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47 ケンカの代償

「まだ、暑い」  残暑色濃く残る中、それでも飛び交うトンボに秋の訪れを感じさせられる。  太陽に手を翳(かざ)して遮りつつ、同時にあまり焼けていない己の肌の白さに奈智はうんざりとした。  筋肉も付きにくければ、日に焼けても赤くなるだけでちっとも黒くならない。運動部にでも所属すれば違ったのだろうか。とても健全なる高校生の体格とは言い難い。胃腸を除けば他は健康体そのものなのに。  それが不健康なのだと、いまいち抜けている奈智には気付かない。 「二年の足立だろ」  ……どちら様でしょう?  掛けられる声に、奈智は首を傾げた。  見上げる多分男子高生だろう二人には全く覚えが無い。 「えっと?」 「付き合えよ」  ドコへ? 「イイトコ連れてってやる」 「ホント、ホント」 「あ、いや、俺は人と待ち合わせが──」 「あぁら、こんな所に居たのね、奈智くん。探したわ!」  強制的に引かれる手に、心底困っていると急に背後から抱きつかれて仰天する。 「っし、静香(しずか)、さん……!?」 「いい子ね、覚えてくれたのね!」  頭を撫でてかき混ぜられ、目を白黒させる。  覚えていたも何も、つい最近知らされた衝撃的事実はそう簡単には頭から離れてくれない。  この華奢な彼女があの堀ちゃん先輩のお母さんだなんて、誰が思うだろう。奈智も事実を知らされた今でもとても信じがたい。さすがに、あの大きな堀ちゃん先輩がそのままのサイズで生まれたとは考えられないが、それでも可憐なこの一見少女と見間違うほどの彼女から誕生したとは思い至らない。人体の神秘とはよく言ったものである。 「お、カワイイじゃん、彼女も一緒にイイコトしようよ」 「んふっ、楽しそうね。──でも、おにーさん達、トイレ探さなくて大丈夫かしら?」  魅惑的に笑った彼女に怪訝な顔をさせた男達は、次の瞬間腹を押さえ始めた。 「っな、何……!?」 「早くしないと、大変なコトになっちゃうわよ?」  人差し指を立てて唇に当て、歌うようにして紡ぐ言葉は一見して和やかな雰囲気。  去って行く二人の後姿を呆然と眺めて奈智は呟いた。 「……何、したんですか」 「まぁ、人聞き悪いわね。なぁんにも、してないわよ」  ウソつけ。  しれっと答える、とても人の母親には見えない彼女を改めて見上げて未だ強い影響力を与え続ける太陽の存在を後ろに確認する。 「……まだ、日があります」 「えぇ、あるわね」 「日没後じゃなくても、大丈夫なんですか?」  不思議に思って尋ねれば、彼女は首を傾げた。  数回、堀ちゃん先輩のお母さんに出会ってはいるが、それはいずれも日の暮れかけた頃もしくはガッツリと夜。長く黒い髪の透き通る肌の若干ミステリアスを漂わせる正統派和風美人はてっきり、夜にしか行動できない人間だと思っていた。そう、たとえば日の光に当たると溶けるとか。 「やーん、何そのかわいい発想! 持って帰りたいわ! ちょうどいいわ、行きましょう!!」 「あ、あの、ホントに待ち合わせが……」  先ほどの男子学生といい、彼女といい一体ドコに連れて行くつもりだ。  ハイテンションに若干顎を引きつつ、距離を取ろうとするも強く抱きしめられたその腕からは逃れられず。己の非力に密かに涙した。  ココは一体、ドコなのだろう。  堀ちゃん先輩のお母さんに引き摺られ連れて来られたかわいい喫茶店で、奈智は痛む頭を抱えていた。 「あ、あの……」 「なぁに?」  もしかしたら己の親よりも年食っているかもしれないがシワひとつ無い顔で魅惑的に微笑まれ、発すべき言葉を捜しあぐねる。  一体何をどうしたら、こんなに若々しいのだろうか。心がけか? まぁ、我が親も十数年振り近づく出産に備えて、出てきた腹を抱えつつこれでもかという位に買出しに励んでいるのだが。別に買い物は好きなだけ行ってくれればいいのだが、父が居ないと自分を荷物持ちにするのはいかがなものか。せめて、自分よりも力のある兄を……いや、たとえ親であろうとも、彼が大人しく人の荷物持ちに納まるなどと到底思えない。やはり、己なのか、そうなのか。心の中で己の運命に悪態をつきつつ、奈智はテーブルの向かいに弱々しく声を掛けた。 「……えっと、携帯返してください」 「ヤよ。どうせ、あの子に連絡するつもりなんでしょ?」  まんまと人質に取られた通信手段はさっさと電源を切られ、プゥと頬を膨らませ横を向いてしまった彼女のバックの底で眠っているハズ。  ──あぁ、親子。  約半年前の堀ちゃん先輩との出会いが頭を過ぎる。  とっても似つかないと思っていた彼等の共通点を見つけてしまい、何かとても負けたような気がするのは、ただの気の迷いか。 「いいじゃない。ゆっくりお茶しましょう」 「は、はあ」  ね? と綺麗に首を傾げられ、反論を許さない無言の迫力に問答無用に呑まれる。混乱したままの己を落ち着けるために口を付けるは、席に付いた途端勝手に注文されていつの間にか運ばれてきていた紅茶。 「奈智くんは、あんな子のドコがいいの?」 「? あんな子?」  どんな子?  疑問符を顔に貼り付けた奈智は、彼女の次の言葉に盛大に噎せた。 「克己。表向きの気性はやさしいかもしれないけど、何考えてるのか解んないし、ねぇ?」  それを親であるあなたが、言うのですか。  同意を求められ、どのように返答したものか呼吸困難に陥りつつ奈智は回らない頭で考えるも導き出せず。 「あ、あの──っうわっ?」 「見つけた!」 「あら、見つかっちゃった」  急に後ろから抱きしめられて、飛び上がる。 「奈智を巻き込むな」  見上げた先には待ち人であった彼。若干息を乱して汗が光るように見えるのは、店内の照明の加減か。 「いいじゃない、かわいいんだし。座る?」  言葉の意味が解らない親子の会話に耳を傾けつつ、他人である奈智は大人しく再び紅茶を含む。 「変なことされてないか?」 「っえ、あ……いえ、あの?」  目を細めて撫でられる頬に顔が熱くなるのを止められず、思わず視線を外す。 「ずるーい! あたしが触ると怒るクセに。ケチな男は嫌われるわよ」 「……聞いたぞ。喧嘩したって」 「だから、ナニよ。あっちが悪いのよ!」  やっぱり話が見えない。 「キーケース忘れて飛び出しちゃったら、ちょうど奈智くんが居たから」  俺? 「奈智は俺と出掛ける予定だったんだぞ」 「まぁ、待たせたのね。男の風上にも置けない」 「誰がその待たせる一端を握った」 「あ、あの……?」  耳朶を弄る指先に心拍数を上げられつつ、ヒートアップする会話に奈智は首を傾げた。  要約すると、愛しの夫と派手な喧嘩した静香はキーケースを忘れたまま家出。自宅はおろか、子供たちの部屋にも転がり込むことができないとハタと気付いた彼女は、そこでぼやっとしていた自分を見つけ、暇つぶしに連れまわした。だから、ナゼ己なのだろうか。夫婦の争いにしろ、全くの赤の他人である。大概いい迷惑だ。ちなみに、この間二人の息子の一人である堀ちゃん先輩は父と他のキョウダイにとっ捕まり、出掛けるのが遅くなったとのこと。  赤の他人である奈智は幸いな事に、タロットカードが宙を舞い壁に刺さって穴を開けるほどの殺傷能力を兼ね備えた、大々的ないざこざだとは露知らず。 「何だ、また絡まれていたのか?」  呆れたような声を出されて、ぐうの音も出ない。 「そうよ、あたしは恩人よ? 感謝しなさい。ってことで、奈智くんは連れて行くから」 「鍵だけくれてやる。奈智を連れて行く意味はない」 「癒しが居ないわ」 「知るか」 「……あ、カギ? どうぞ」  そう言って、堀ちゃん先輩の部屋の鍵をキーリングから外して渡せば眼を丸くされる。 「あら、あなた言ってないの? 奈智くん、あたしの用があるのはコッチよ」  示される鍵の束に今度は奈智が目を見開く番だった。 「こっちですか?」  使う予定どころか、ドコの鍵穴に必要なのか不明な古い鍵は無言で佇んでいた。  あれは、しとしとと五月雨(さみだれ)の中。不本意なる目覚ましで起床を余儀なくされ、訪れた祖父と最愛のペットの墓。 『大切にしてるといい事あるよ』  見知らぬ青年から託されたちいさな鍵はしばらくチェーンで首から提げていたが、堀ちゃん先輩から誕生プレゼントでキーリングを貰い現在はそれに通され己の出番を待つ。  ソレ、が?  確か、青年は寺の三男で何年も前に他界しており、あの時会ったのは幻ではないかと頭を捻ったものだ。だがしかし、佇む古い鍵に更に深まるナゾ。最終的に考える事を放棄した奈智は、基本的にその存在を忘れ去っていた。無くさないように、とだけ気をつけつつ。  恐るおそる差し込んで、ちいさく息を飲む。  カチャッ。  次いで解除された施錠に仰天した。 「っなん、で……?」 「ココの鍵だからよ」  というか、ココはドコですか?  見知らぬどこぞの裏口で、奈智は言いようの無い不安と共に緊張に苛(さいな)まれていた。  あまりにあっさりと開錠された扉と今までのナゾが解決されてしまい──あ、いや、うれしいのだが。のどに小骨が刺さったような状態のまま居たくはないのだが、数ヶ月の自分の苦悩を返せ。 「だって、これはお寺で貰った物で」  祖父とペットの眠る寺の名を告げれば、ケロリと返される。 「そこ、あたしの実家よ」  見上げる美女に奈智は目を瞬かせる。 「え……お寺の人?」 「とても見えないがな」  さもつまらなそうに、彼女の息子は合いの手を入れる。それはそうであろう。観たいと言っていた映画がお釈迦になったのだ。それなのに、一緒に来てくれる彼の付き合いの良さに涙を拭う。それとも、実は寂しがり屋か。 「元、よ。お嫁に来たんだもの。奈智くんが会ったのは、すぐ下の弟よ。不思議な子だったのよね」  頬に手を当てて感慨深く溜め息をつく彼女の姿に重なる青年の影。  思い返すに他人に対して意味不明な言動をする辺り、そっくりな姉弟である。去り際にどこかしら人を触っていくなど、特に。目の前の姉は頬であるが、弟はガッツリと唇だった。一体どうしてくれよう、この姉弟。 「奈智?」  頭を抱えて壁に泣きついた自分に掛けられる、堀ちゃん先輩の気遣わしげな声音に身体を起こす。 「でも、何で持っていたのかしらね」  不思議ねと溢す彼女に、他人の自分はもはや何を言うというのだ。 「もういいだろ」 「ケチね」 「行くぞ、奈智」 「あ、はい」  強い力で腰を抱かれ、扉から離される。見上げる先は仏頂面で、やはり映画を相当残念がっているのだろう。穴埋めをすべきか。それもそうか、コトの発端は自分が携帯を奪われて彼に連絡が取れなかったのだから。先に自分は行けないことを伝えていられれば、堀ちゃん先輩は別の人と楽しめただろう。 「あの、先輩。ごめ──」 「奈智くん、返すわ。ありがとう」  放られた物をキャッチして、手の内で確認して奈智は首を傾げた。 「これ、必要じゃ……?」 「自分の持ってる。行くぞ。これからなら、夕飯くらいは食えるだろ」 「あ、はい」  前を歩く広い背に置いていかれない様、足を速めた奈智は周りの景色を眺める余裕も無かった。 引かれる手にほわりと体温を上げられ、彼の母親に見送られつつ後にした場所が堀ちゃん先輩の実家の勝手口と知らされたのは、その日の夜。

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