65 / 87

51 青春の汗

「足立は得意な運動はあるのか?」 「特別ありません」  紫煙立ち上る向こう、書類を整えつつ奈智は窓の桟に背を預ける顧問に返事をした。 「何かないのか? 野球とかサッカーとか」  これから夜の街にでも繰り出して客引きでもするのかという出で立ちの、本年度からの新規採用にて顧問持ちという何とも摩訶不思議な配属の彼が生徒会室に訪れてまず行ったことは、煙感知器と火災報知機の無効化だったという破天荒さ。公立のオンボロ学校ならでは通用する簡単な手技である。  一応窓際での喫煙という、配慮はありつつも部屋の警報器に細工をし、己の居心地のいいようにするほどの教師が実は生徒会のOBでもあるという世間の狭さに頭を抱えたのは最初だけだった。慣れとは恐ろしいものである。 「中学から一緒だったけど、俺も聞いたことないな」  ダブルクリップを放り投げながら、そういえばと生徒会長も思案顔。 「サンキュ。俺は子猫ちゃん達からバスケが上手いって聞いたことあるぞ」 「長距離が得意らしいってウワサも知ってます」 「でも、短距離も早いよな。この前の体育祭の時も思ったけど」  顧問から始まり生徒会長、副会長、後輩と当の本人を差し置いて広がる話題に、奈智はボンヤリとそれを眺めていた。 「で、どうなんだ?」 「え……うん、ホントに無いよ。頭使うスポーツできないし」 「頭使うって、どれも使うのは身体ですよ?」 「簡単なルールしか覚えられない」  野球はバットに球を当てて取り合えずベース踏めばいい。サッカーは手は使っちゃダメ。パスとドリブルでゴールネットを揺らせばいい。バスケも以下同文。 「……団体競技に向かないな」 「うん、俺もそう思う」  唖然(あぜん)とした面々を見上げて、自分のことながら奈智も頷く。 「今までどんな部活入ってた?」 「字キレイなので、書道部とかですかね」 「何だったかな。時々校庭走ってたな」 「陸上部か?」 「料理部だったよ」  自分以外は皆女子だったが、それはそれは驚きの包丁捌(さば)きであった。いつ指が無くなるかとハラハラと見守ったのは、どうも自分以外には当時の顧問だけだったようだ。極めつけはインスタントラーメンを作成できると胸を張られ、返す言葉を失った。箱入りお嬢も考えものだと頭を抱えた出来事は、根深くトラウマとして残っている。お陰で『男子厨房に入らず』を地で行く我が家の自分以外の男共には調理を強制しない。憐れな食材と己の仕事が増えるだけ。 「週に一回か二回、調理室に続く廊下に行列できてたな」 「なんかね、作っても結局俺が食べるの無くて、味見しかしてなかった気がする」  運動部の飢えた腹ペコ中学生達にはそれはそれはご馳走に見えたらしく、作った端から奪われた。  やさしく頭を撫でられて、副会長に視線を向ける。 「不憫だな。さすが奈智。気の済むまで俺の胸で泣け。トラック走ってたのは?」 「勝ったら、材料費出してくれるって言ったから」  それでかなりの部費が浮いたため、好きなだけ料理が作れたのだ。長距離短距離入り乱れてのなんでも来いの、無差別格闘競技バンザイ。 「……ちなみに、勝率は?」 「えっと、確か八割三分」 「……足立、お前ひとりでこの学校の運動部立て直せるな。助っ人行って来い」  呆然と呟いた顧問の言葉に、その場の誰もが頷いた。 体育祭のアンケート集計終了に一安心した奈智は、今後増殖する校内校外の部活・クラブ勧誘に頭を悩ませるとは露知らず。

ともだちにシェアしよう!