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58 立ち止まって

 ずっと、居た。 「っくしゅっ!」  ちいさなくしゃみをして、奈智は更にマフラーに顔を埋めた。手にしていたホットの紅茶は早々に常温と化しており、さらに孤独を深める。  現在、兄弟たちは仲良く親睦を深めているであろう。両親は健診のあと、母の調子が良ければ買い物に出掛けるとのことだから、互いに久しぶりに訪れた水入らずにシッポリとしているだろう。  街中が赤や緑に彩られるこの時期、我が家の二組のカップルともにそれなりに感化されるようで、自宅でも何となく浮き足立っている。生憎とだが、自分にはそんな甘ったるい雰囲気の中、馬に蹴られて自爆しに行くマゾっ気はサラサラ無い。 「……さむ」  白い吐息を上げつつ吐き出せば、思いの外響いて、ひとりぼっちを実感させられる。少しでも体温の放熱を抑えようと、境内の階段に座り込んだ身体を丸める。そんな憐れな高校生を、生暖かい眼差しで眺める二匹の狛犬。  ザワザワと不穏に擦れる枝の音に若干不安を感じつつも、先ほどの思考に戻る。  降って湧いた兄の一人暮らしに、奈智はイマイチ実感できずにいた。  兄もいい年だ。今まで実家を離れて暮らしていなかったこと事態がある意味、不思議だったのかもしれない。あの自由奔放な彼が一箇所に留まっていたことが奇跡だったのだろう。 「ご飯作れないけれど、どうするんだろ……?」  虚しく響いた言葉は、寒空に溶けて消える。  食事は、洗濯は、掃除はと、まるで母親のように心配している自分に気付いて、頭を抱える。彼のことだ、その辺りは誰かを雇うのではなかろうか。いや、自分のテリトリーに他人を置くのを嫌う人間だ。どうするのだろう。  ──沙和、は?  突然、閃いた人物に奈智は息を飲んで顔を上げた。  兄弟でもあり、恋人でもあるあの子をどうするのだろう?自分は半ば事故的に偶然知ってしまったが、双子の弟は知っているのだろうか。  置いて、いくのだろうか?  いや、兄の事だ。一緒に連れて行くであろう。  思い直して、再びマフラーに潜る。  ──同時に二人、居なくなる。  今までは居る事が常だった、彼ら。特に腹の中から一緒だった沙和。これからもずっと一緒だと思っていた。いくら、どんなに迷惑を掛けられてもそれほど怒れなかった。 『「何もない」と嘆いてばかりで回りの幸福に気付かないのは同じくらい間抜けだ』  あれは図らずも、奈智が兄に正体を問いただしに向かった人物の言葉。  その通り、だ。  今さらになって、思い知らされる。  いかに周りが見えていないのかを。無くす頃になって気付く、遅さ。  『青い鳥』は童話通り、家にあったということか。  白い息を吐き出して、奈智は更に身体をちいさくした。 「……ん?」  コーン、コーン……  いつの間にか微かに響く音に気付く。  耳を澄ませばやはり、気のせいではないらしい。  ナンだろうと首を傾げつつ、電子音に遮られる。  沙和、だ。 「は」 『ちょっとー!! この、不良ナチ!! ドコ居るのー!?』  い。  出た途端上げられる大声に、耳が痛む。 「……どうしたの」  せっかく、日常に転がる幸いを噛み締めている中、それをぶちのめす緊張感の無さに全ての気力を持っていかれる。 『イマ、何時だと思ってるのー!!』  珍しく怒っているらしいことは感じ取って、時間を確認すれば。  俗に言う──丑の刻。  ……よもや。  先ほど響いていた音はいつの間にか止み、近づいてくる微かな炎に奈智は引き攣れたのどで小さく悲鳴を上げた。 『ちょっとー、聞いてるー?』  不服そうに上げられた弟への返事もそぞろに、全力でその場を後にした奈智は己の予感が外れていなかった事を知らない。

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