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第2話
週末、荒井さんと昼頃に会う約束をした。
沙緒里も快く了解してくれたので、特に問題はない。
荒井さんの家にDVDプレイヤーがあるから、彼の家で見ることになった。見せて貰うお礼にでも、何かつまめるようなものを買って行く。
「甘いのがいいのかな…?」
映画を見ながらとか、お腹空いたらとか、あれこれ考えていくうちに、買いすぎた気がした。
また、荒井さんの住む小さなアパート。
少し取れかかっているインターホン。せっかく性能の良さげなインターホンなのに、引っ張ればすぐ取れそうなくらいに壁から剥がれている。そっと、ボタンを押した。音が部屋の中に響いているのが外まで聞こえてきた。
「はーい!!!」
部屋の奥からどたばたと走ってくる音が聞こえた。そして、荒井さんが出迎えた。
「花岡さん!いらっしゃいませ!」
「あ、あぁ…、いらっしゃいました。」
「えへへ!どうぞ!片付けたので、前より綺麗ですからね!」
「そんな、大丈夫ですよ。」
「ささ、どうぞ!」
彼の部屋は、前に来た時のあの散乱状態も綺麗になっていた。
「あの、これ良かったら。」
買いすぎた差し入れを彼に渡した。
「えっ、こんなに!」
「まぁ、見ながらとか、でも。」
「えへへ、いいですね!でも…奇遇ですね、僕も用意してたんですよ……」
荒井さんも同じことを考えていたようで、お菓子がテレビの前に用意されていた。
「…映画館みたいでいいですね」
「えへへ、じゃあ…これも追加で置いておきますね」
「はい。お腹空いたらでも。」
「そうですね。さ!もう準備は出来てるんですよ!見ましょう!」
「はい、」
2人か3人程座れるようなソファに座った。
この小さな部屋にソファは大きいような気がするが、彼の部屋は物が少ないので、不思議と気にならなかった。
「すみません、テレビ小さいんですけど…」
「十分ですよ。」
「そうですか、良かった。」
2人で持ち合わせたお菓子を食べて、映画を見た。
ある家族の物語だった。感動するようなハートフルな話なので、泣ける用意は出来ていた。
でも、案外泣いていたのは荒井さんの方だった。
ちらっと隣を見ると、ぐしゃぐしゃのティッシュでめちゃくちゃに泣いていた。
「そんなに泣きます??」
「だってぇ…!」
「分かりますけど…!」
嗚咽もするくらいに泣いていた。そんなに??
「ふっ…」
「笑わないでください!!!とっても感動したんです!!??」
「いい事ですよ」
「訳が分からない…!」
映画を見終わったあとお腹が空いたので、2人で昼兼夕飯を作った。
狭いキッチンだけど、楽しかった。
「荒井さん、普段料理するんですか」
「そりゃあ、まぁ。一人暮らしですから」
「そうですか、偉いですね。俺一人暮らししてた時、殆どコンビニ飯だったんで…」
「意外。でも料理お上手ですよね」
「結婚してから料理するようになったんで。まだ勉強中ですけど。」
「いいですね。……あっ、そうだ!!」
荒井さんがテレビの横にあった棚の引き出しを開けた。
「この中、映画とかドラマとか入れてるんです!何か見たいのありませんか??」
「えっ……凄い!こんなに?」
「結構集めてるんですよ!」
「佐中監督の作品、結構多いですね」
「そうなんですよ、」
「いい趣味してますね」
「えへへ」
この監督の作品は恋愛ものが多い。少女漫画のような純愛から、大人な恋愛まで。見てるこっちがドキドキする。
「何か見たいのあったら貸しますよ」
「一緒に見ましょう。」
「えっ」
「一人で見るのもいいですけど、やっぱり共有できる人がいないと。」
「あははっ、そうですよね!」
それから、荒井さんと映画鑑賞会を開くことが多くなった。たまに、ご飯を一緒に食べたり、酒を飲んだり。徐々に、お互いに心を開いて仲良くなった。
_______でも、荒井さんと鑑賞会を開いたある日のことだった。
俺の心を揺さぶられたのは。
この日は、前に話した佐中監督の恋愛映画。
少し大人な雰囲気。一緒に見ようと言いつつ、少しドキドキしていた。これは、1人で見た方が良かったか…?
何だか少し気まずくなるのも嫌だったので、ご飯を食べて話しながら見ていた。
案の定、ラブシーンがあった。
(…流石に気まずいか…?)
そんな事を思った矢先、荒井さんは何も思ってなかったのか、こんな事を言い放った。
「花岡さん、普段奥さんとえっちするんですか」
「…!?」
とても噎せた。
「え?いや…え?聞きます?そんな??」
「いや…気になったんで。」
「…あぁ…」
「しないんですか?」
そう聞かれたので、これまでを思い出してみた。
「そんなに……してない。」
付き合ってから結婚して、恵が生まれる前も今も、合計しても片手に収まるくらいしかやってなかった。
「……へぇ。」
荒井さんはふぅん、とこくこく頷いた。
「…なんですか、聞いといて。」
「…溜まらないですか」
「え、何が。」
「性欲。」
「…もう、麻痺してる気がする。」
「麻痺?」
荒井さんくらいに若い頃は、そりゃあ、旺盛だった。
でも結婚してから、レスになるだろうな、子供が出来たらもっとしなくなるだろうな、そんなのは承知の上だったし、かといって1人でシコるのも気が引けた。
だから、しなかった。妻にも誘われなければ、誘っても断られるし。我慢していくうちに、もう慣れた。
俺の性欲、どこいった??
「…結婚すると、そうなるんですね。」
荒井さんが呟いた。
「まぁ、人によりけりですけど。」
「寂しくないんですか?」
「うーん…多少は。」
「そうでしょう?なんか、えっちが全てじゃないけど、結婚したらそういうのないと、なんか…ね。」
「…何だか、俺の言いたいこと全部代弁してくれたみたい。」
「えぇ、そうですか?」
「……荒井さんは、彼女とかいないんですか?」
「あぁ、えっと…い、いました。けど、別れました。」
「え、そうなんですか」
「なんか、難しいんですよね。女心ってやつ?」
「まぁ…そうですよね。」
「何とか女心を分かろうと勉強してやっといい感じになって。…えっちもしたけど、挙句の果てには、お前じゃ興奮しないって言われました!!」
「……」
荒井さんは、あはは!と笑ってるけど、きっと、この人に何かあったんだな。そう悟った。
「…たまに思ってたんです。もう、男の人に乗り換えちゃえば楽なんじゃね?って。あはは」
「…まぁ、楽そうっちゃ楽そうですけど。」
「……色々、大変ですね。お互い。」
ふと荒井さんを見ると、彼は微笑んだ。
俺の何かが揺らいだ。揺さぶられた。分からないけど。荒井さんが可愛く見えた。何なんだその彼女。別れて当然だろ。何があったんだ。
「何かあったら相談乗りますから!」
荒井さんにそう言われた。
「……荒井さんも。」
「えへへ、ありがとうございます!」
そう言って、この日はお開きになった。
もう、映画の内容忘れた。
荒井さんの言ったことが頭の中から離れなかった。
________________
「ただいま。」
「おかえりなさい、楽しかった?」
「あ……うん、凄い感動する映画でね。」
「そっか、良いね。」
「おう」
寝室へ行き、着替えた。
着替えようとした手が止まり、ふとベッドを見た。そして、沙緒里に目がいった。
付き合ったのは2年、結婚して3年。
それなのに、セックスレス?早くないか?
「ママ!」
恵の声がした。
……まだ幼い恵がいるから仕方ない?
____そんなの、関係あるか?
夜、恵を寝かせて、沙緒里を誘った。
「沙緒里。」
「ん?」
「……今夜、どうかな。」
「えっ」
「いつからか、してなかったから……」
「恵もいるのに?」
「恵、寝たから…」
「…ごめん…私、今日は気分じゃないかも。今度、また私から誘わせて。」
「…あぁ。」
ほら、また断られた。
何となく、予想はしてた。
「はぁ……」
でも、不思議なことに、ほっとした自分がいた。
俺も気分じゃなかったから。沙緒里に対してどんな感情で、抱いたっけ。忘れた。もう抱き方さえも忘れてしまいそうだ。
俺だって男だ。性欲が無いなんて嘘だ。
何となく、モヤモヤした気持ちを抱えたまま、いつの間にか眠りについた。
________
後日、本当に沙緒里から誘われた。
「泰志さん。…この前、断っちゃったから。」
恵を寝かせた後、寝室に戻ると寝たはずの沙緒里が下着姿で待っていた。
「……あ、あぁ…。」
どうしよう。どうやって興奮したっけな。
せっかく、誘ってくれたしな。
男だから、雰囲気に呑まれて気付けば勃起してるだろ、そう思って、抱こうとした。
唇にキスして、その流れで首にも、胸にも、腹にも…。
「いつぶりだっけ」
「忘れたよ。」
「泰志さん、寂しかった?」
「あぁ。」
「ふふ、ごめんなさい」
まず、勃起するまで待とう。それまで前戯で時間を稼ぐ。何だか、焦りを感じていた。
……勃たない。どうした、俺。
一通り終わり、雰囲気も出来て、いざ…。
「……?」
「泰志さん、どうしたの?」
「あ……いや…ゴム付け…」
「……」
沙緒里に気付かれた。
「泰志さん…、勃たない?」
「いや、そんなことは…」
凄く中途半端に勃起しているだけで、まだ萎えていた。少し焦って自ら擦るけど、何も反応しない。
「……無理、しなくていいんだよ」
「沙緒里…、」
「いいの、泰志さん、今日仕事で疲れたでしょ?仕方ないよ。今日は寝よっか。」
「……」
なんで……?どうしたんだよ、俺。
_____________
職場でぼーっとしてしまうことが増えた。
「お、花岡。どうした?」
「え、あぁ部長。……いえ。」
「なんだ、奥さんと喧嘩でもしたか?」
「違いますよ。なんでもありません。」
「そうかぁ?」
仕事仲間にも心配されるようになった。もしかして俺、顔に出てる?
やばいな…。
「花岡、なんか顔色悪くないか?」
「いえ、まさかそんな。」
「…今日は定時で上がって、早く休んでおけ。」
「あ…なんか…すみません。」
部長に言われた通り、今日は定時で帰ることにした。
「はぁ……!」
定時で帰ったものの、家に帰る気は無かった。
どうしよう。飯食う?いや、夕飯あるしな…。何処かで酒飲む?いや、車持ってきてるって。
あれこれ考えて、散歩がてら駅前を散策することにした。こんな店があるのか、こんな人がいるんだな、とか。店を探したり、すれ違う人々を人間観察したり。
夕方、まだ明るかったのが、もう暗くなりつつあった。
「はぁ……帰るかぁ…。」
会社の駐車場に戻ろうとした。
「……荒井さん?」
荒井さんが、男と歩いていた。似てる人かと思ったけど、確かにあれは荒井さんだった。
「友達か。」
こんなこと思っちゃいけないけど、荒井さんに友達いたんだ、と思ってしまった。
まぁ、そりゃそっか。24歳だしな。バイト先の友達とかなのかな?
「え、待てよ…」
何だか彼が友達と思われる男に、手を引っ張られているように見えた。
「まさか、悪い奴に絡まれてる?」
不安に思ったので、後ろをつけた。あれ……待てよ、ここ……
ホテル街?
ふと、思い出した。
『…たまに思ってたんです。もう、男の人に乗り換えちゃえば楽なんじゃね?って。』
本当に、乗り換えたのか。
そっか、流石に邪魔する訳にはいかねぇしな。余計な心配だったかも。なぁんだ、と肩を竦め、帰ろうとしたけど。
「……嫌がってる?」
ラブホテルに連れ込まれそうになってる?
荒井さんが、引っ張られている手を引きはがそうとしているように見えた。…いや、そうとしか見えない。
「嫌がってる?もう、なんだよ!?」
走って彼の方に向かった。
「あの!本当に!」
「なお君、そのつもりだったんだろう?」
「でも!」
「やめてください。」
荒井さんの肩を抱き、男の手を引き剥がした。強く掴まれていた彼の腕は赤くなっていた。
「えっ!?なお君。君、彼氏いたの?」
「え、えっと…!」
「そうです。俺の…なおに触るな。」
「…!」
荒井さんは、驚いている様子だった。
「…酷いよ、なお君。まぁ、後で連絡してよ」
「させるか、この野郎。」
「!?」
俺は男を睨みつけて、荒井さんを連れて去った。
「……えっと、花岡さん?」
「…荒井さん、何してるんですか。」
「花岡さん。」
「?」
「その…あの人、僕が会おうって言って会った人なんです。」
「えっ」
嘘、俺やらかした?荒井さんの友達を追っ払った?
「あ、荒井さんの友達……だったんですか?」
「いえ。」
「え?」
「……アプリで見つけて。」
「アプリ?……マッチングアプリってことですか」
「はい。ゲイ…専用の。」
「ゲイ……?」
本当に乗り換えようとした、みたいだ。
「…でも、何だか違う気がして…。」
「無理に乗り換えなくていいんですよ。危険を犯してまで。まず、ゆっくり考えればいいんです。荒井さんはまだ若いんですから。」
そう言って連れて行こうとした。けど逆に荒井さんに引っ張られた。
「ぅぐっ!?」
「……。」
黙って突っ立っていた。
「…荒井さん?」
「……。」
荒井さんは眉間にシワを寄せて、俺は睨まれた。
「…何か、酷いこと言いました?」
「……!」
「わっ、」
荒井さんは思ったより力が強かった。
俺は思いっきり引っ張られるがままに、ラブホテルに連れていかれてしまった。
「いや、荒井さん?!」
「……!!」
荒井さんは黙ったままで、俺は部屋まで連れてこられた。
「……!」
「痛ってぇ……。荒井さん、どうしたんですか」
荒井さんの怪力に、腕がじんじんとする。
「花岡さんは友達もいて、奥さんもいて。幸せでしょうけど、僕は違うんです。」
「……いや、そんなことは…」
「僕の何を知ってます?」
「……」
「友達多く見えます?いいえ、花岡さん以外友達いません。恋人にも振られて。…就職も出来ない。」
「荒井さん。」
「…僕だって、人肌恋しい時くらい、あるんです。」
荒井さんは、涙目で俺に訴えた。
「それなのに、友達も出来ないし、もう女性は嫌だし、お金もないし!」
「…荒井さん、まさか…。」
「引きました??そうですよ、身体を男の人に売ろうとしました!…幸せいっぱいの花岡さんには関係ないでしょうけど。」
「……。」
幸せか?俺って。娘も生まれて。妻もいる。
それなのに、何か物足りない。それは、前からそんな気がしていた。
「分からない。」
「?」
「俺にも、分からないんだ。幸せなのか。」
「訳が分かりません。」
「……」
部屋の暖かい色の照明に呑まれるように、いつの間にか俺は身体が動いていた。
「わっ!?」
「……」
荒井さんをベッドに押し倒して、俺はスーツのジャケットを脱いだ。
「…妻とやろうとしたら、勃たなかった。」
「?」
押し倒された荒井さんに跨って、彼の顔の横に手を着いた。
「…もし俺が勃起したら、抱かせて。荒井さんも……俺に乗り換えて。」
「…勃たなかったら?」
「……全部、無かったことに。」
「何もかも?」
「あぁ。…どうだ?」
「……うん。」
荒井さんは小さく頷いた。
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