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青葉春也という男
「ね、伊達さん、聞きました?つい最近入ってきた青葉 ってヤツの話」
事が終わった後、隣で寝転がっている横居が、ニヤつきながら話しかけてきた。
「まあな」
青葉春也 のことは知っていた。
最近入ってきた契約記者で、カメラマンも兼ねていたはずだ。
明るい茶色の短髪に、大柄な体が特徴的な若い男で、以前は音楽雑誌のライターをしていたと聞いている。
週刊文士の若い記者やカメラマン、編集部員は、どちらかと言えば軽薄さが目立つ。
その中にあって、真面目な彼は結構に浮いていた。
そのせいだろうか、他の記者やカメラマンからの評判は、あまりよろしくはない。
横居や他の記者、カメラマン曰く「芸術家ぶっている」そうだ。
「アイツね、「創作に懸命に向き合うアーティストについて書きたい!こんな下品で汚いもんじゃなくて!」って言ってたんすよ。はっはっは!」
青葉のそのセリフが面白かったらしい横居は、両手で腹を押さえ、肩を震わせて笑った。
「ふうん…」
そんな横居に、なんと意地悪いヤツだろう、と敏雄は冷たい視線を送った。
「ふ、ハハッ!笑えるでしょ?ウチみたいな週刊誌でそんなの売れるかよって話ですよ」
「そうかもなあ」
横居の言い様は意地の悪いものであるが、間違ったことを言っている気はしないので、敏雄は肯定する態度を取った。
「それでね、ふふふっ…1回言ってやったんです。「大半の人はそんなの求めてねえよ。ウチはゲスでいいんだよ、ゲスで。下品で汚い?大いに結構だ。それが大衆に求められてんだから!」って」
「それで?」
「めっちゃくちゃ不貞腐れた顔して、歯ア食いしばってましたよアイツ!あのときの顔、写真に残しとけばよかったかなあ。あっはっは!」
横居が腹を抱えて笑う。
「底意地悪いぞ、ほどほどにしとけよ」
「わかってまーす。まあでも、あんな調子じゃ、契約切られちまうのも時間の問題ですよ。大きな口叩く割には、ロクな写真持ってこないらしいし!」
横居はまだまだ笑い続ける。
その笑顔の、なんと意地の悪いこと。
昔はこんなではなかったのにな、などと考えながら、敏雄は目を閉じて、襲い来る睡魔に身を任せた。
翌日、その日の仕事を終えた敏雄は、少し離れた位置にある青葉のデスクに視線を移した。
自分と同じように、これから帰る支度をしていた青葉は心なしか、あまり元気がない様子だった。
無理もないことだろう。
他の記者には心ない言葉を浴びせられ、持ち込んだ写真や記事はことごとくボツにされ、このままでは契約を切られるのも時間の問題とあっては、落ち込まずにはいられまい。
「おい、青葉」
その様子が気になった敏雄は、帰ろうとしている青葉を呼び止めた。
その呼びかけに応じるかのように、青葉が顔をこちらに向ける。
青葉はあからさまに驚いた顔をして、敏雄をジッと見つめていた。
当たり前と言えば、当たり前であろう。
青葉とはまともに会話したことがないのだから。
契約記者と正式な専属の記者との間には結構な隔たりがあるから、なかなか交流することはない。
声をかけられる心当たりなどあるわけもないから、ここは驚くのが妥当な反応なのだ。
「お前、横居に何か言われたんだろ?」
驚いて立ち止まる青葉に、敏雄はゆっくり歩み寄った。
「ええ、まあ…」
青葉が歯がゆそうな顔をしてうつむいた。
「横居の言葉は気にすんなよ。アイツはいつでも口が悪いんだ」
「はい…」
青葉は一応、「はい」とは言ったが、どこか煮え切らない様子だった。
「あのな、横居が言う「大衆は人様のゲスい部分を求めてる」ってのは、事実っちゃあ、事実だ。
だが、お前の「創作に懸命に向き合うアーティストを撮りたい」も間違ってねえよ。要はな、数と話題が取れたらいいんだ」
「数と話題…」
敏雄の言葉を聞いて、青葉が顔を上げた。
「ああ、どんなにいい作品でも、誰にも知られてなくて、数も取れなかったら駄作扱いだ。
その逆もしかり。世間様は、数字と話題性に弱いんだ。だから、お前は「自分が撮りたいもの」で、「どうしたら数と話題が取れるか」を考えたらいいんだ」
「……数と、話題…」
青葉がまた、オウム返しに敏雄の言葉を口に出した。
「おう、だから、お前はお前の撮りたいもので勝負して、もう少しがんばれよ」
「…はい」
少しは納得できたらしく、今度は返事する声に幾分かハリがあった。
「ああ、それと。有名人のゲスいところを撮るのは、数と話題を取りやすいけどな、その分、代償も大きいんだ。横居もおいおいエラい目に遭うと思うぜ」
そう言うと敏雄は、右腕の傷跡をさすった。
「……そうですか。あー…もう、失礼しますね」
青葉は一礼すると、その場を足早に去っていった。
青葉春也は悩んでいた。
以前勤めていた音楽雑誌が廃刊して職を追われてしまい、そこからようやくありついた仕事は、下世話な写真週刊誌の契約記者兼カメラマンだった。
渋々就いた仕事だけあって、全くやる気にはなれなかったし、何より青葉を辟易させたのは、そこのカメラマンや記者の暴挙だった。
仕事とはいえ、他人のプライベートを盗撮盗聴したり、しつこく後をつけていくのは、どうにも抵抗があった。
それに対して、わずかでも不満を漏らそうものなら、「じゃあ辞めれば?」の一言で終わらされる。
特に、横居という記者の有り様は最悪だった。
以前、妻の出産直前に女を自宅に連れ込んだ議員の突撃取材に向かったことがある。
取材のきっかけは不倫相手の女からのリークで、その不倫相手の女が売り込みに来たとき、横居はそれはもう嬉しそうに「これはチャンスだ」と言って笑い、さっそくその議員に突撃取材しようと言ってきた。
上司に命令されて渋々ながら、それについて行くことになった青葉は、横居とともに議員宿舎の出入り口付近に張り込み、その議員が出てくるのを待った。
やっていることはまるでストーカーのそれのようで嫌気がさしたし、当事者の議員が出てきた途端、獲物を見つけたハイエナのように飛びついていった横居の姿は、本当に見苦しいとしか言いようがない。
「三崎 さんですよね?」
「え?ええ…」
突然名前を聞かれた三崎議員は、戸惑いの表情を浮かべた。
「週刊文士の記者です」
「はあ…」
横居が身分を明かすなり、三崎議員の肩がぷるっと震えた。
「この女性、知ってます?」
横居はスマートフォンを取り出して、画面に写った女の写真をこれでもかというほどに近づけて、三崎議員に見せた。
「あー…知らない知らない」
誤魔化すためなのか何なのか、三崎議員が「へへへ」と薄ら笑いを浮かべ始める。
「本当に知らないですか?」
「うん、知らない」
言い捨てて、三崎議員は待機していた公用車に乗り込むと、逃げるようにその場を去っていった。
「後日たのしみだなあ!」
その様子を見送った横居はニヤッと笑った。
「何でですか?」
「ありゃあ、クロだよ」
実際、その通りだった。
後日、三崎議員が事実を認め、さらには、相手の女がメディアに出て、いつどこで会ったのか、メッセージアプリでのやりとりを洗いざらい暴露した。
三崎議員はもともと、男性議員で初めて育児休暇を取ったことで話題になっていたが、このことで信用を失って謝罪会見を開くこととなり、強いバッシングを受けた。
「はっはっは、大当たりだったな!」
この一件で世間が大騒ぎしていたとき、横居は驚くほどに上機嫌であった。
そんな横居を見て、青葉は眉をひそめた。
「何が面白いんですか?こんなの…」
「自分が創ったものが話題になれば、嬉しいと思わねえ?そういうことだよ」
そのときの横居の、意地の悪い笑みときたら。
青葉は、嫌悪感で吐き気がこみ上げてくるくらいに、気味が悪かった。
「ぼくは、創作に懸命に向き合うアーティストについて書きたかったんですよ。こんな下品で汚いもんじゃなくて…」
このタイミングで、思わず本音を漏らしてしまったことを、青葉は後悔することになる。
「あははははは!正気かお前⁈」
青葉の言葉を聞いた横居は、今まで見たことがないくらいに大笑いしていた。
「大半の人間はそんなの求めてねえよ。ウチはゲスでいいんだよ、ゲスで。下品で汚い?大いに結構だ。それが大衆に求められてんだから!!」
「そんな…」
「大体なあ、そんなご立派な主張は結果出してから言えや。お前、ロクなネタ持ってきてないから、クビ候補だって噂立ってんぞ!」
それを言われると、青葉は何も言えない。
結果が出ていないのは事実なのだから。
その日から、青葉は横居との接触をなるだけ避けるようになり、横居も横居で、青葉とはまともに目も合わさなかった。
横居とのことがあってから1週間後。
青葉は、もうこの仕事はやめてしまって、別のところへ転職しようかと考え始めていた。
転職先の目処は立っていないから、今すぐ辞めるとなると生活に困ることがあるかもしれない。
しかし、青葉にはもう、この仕事を続ける理由や意義があるようには感じられなかった。
こんな下卑た仕事を続けるくらいなら、いっそ貧窮してしまった方がマシなのではないか、とさえ考えるようになった。
「おい、青葉」
そんな気持ちを引きずったまま帰ろうとしたところ、急に呼び止められた。
声の主は、横居とよく一緒にいる伊達という壮年のベテラン記者だった。
この記者は、どちらかと言えば横居とは真逆のタイプの男だ。
横居はいかにも今どきの若者といった風体で、頻繁に服装や髪型を変えている上、口調や振る舞いもどこかくだけている。
一方、目の前のこの男は、髪型は基本的に変わることがなく、いつもきっちりとセットされている。
眉や髭は手入れが行き届いていて、服装は簡素そのものだ。
顔には年相応にシワが刻まれてはいるが、目つきは凛々しく、鼻筋通った顔つきは清潔感があり、記者というよりは議員や男性アナウンサーに近い印象を与えた。
「お前、横居に何か言われたんだろ?」
「ええ、まあ…」
横居の名前を出されて、青葉は傷口に塩を塗られたような気持ちになった。
「横居の言葉は気にしなくてもいい。アイツはいつでも、誰に対しても口が悪いんだ」
「はい…」
彼も横居と同様に、自分のことをバカにしてくるものと思っていたから、青葉は意外に思った。
慰めてれているのだろうか。
それでも、胸がつかえたような感覚は未だに消えない。
「ああ、それとな。横居が言う「大衆は人様のゲスい部分を求めてる」ってのは、事実っちゃあ、事実だ。
だが、お前の「創作に懸命に向き合うアーティストを撮りたい」も間違ってねえよ。要はな、数と話題が取れたらいいんだ」
「数と話題…」
敏雄の言葉を聞いて、青葉は顔を上げた。
「ああ、どんなにいい作品でも、誰にも知られてなくて、数も取れなかったら駄作扱いだ。
その逆もしかりで、世間様は数字と話題性に弱いんだ。
だから、お前は「自分が撮りたいもの」で、「どうしたら数と話題が取れるか」をひたすら考えたらいいんだ」
「……数と、話題…」
青葉はまた、オウム返しに敏雄の言葉を口に出した。
「おう、だから、お前はお前の撮りたいもので勝負して、もう少しがんばれよ。まあ、辞めたいって言うなら無理に止めることはしねえけど」
「…はい」
ここに来てからというもの、バカにされるばかりであったから、まさか励まされるとは思っていなかった。
「お前は間違っていない」と言われたからだろうか、青葉は少しばかり気が晴れたような気がした。
「ああ、それと。有名人のゲスいところを撮るのは、数と話題を取りやすいけどな、その分、代償も大きいんだ。横居もそのうち、痛い目見ると思うぜ」
伊達が右腕をさすった。
そうされると、そこにある傷跡に嫌でも視線が泳いでいってしまう。
伊達の右腕の甲には、白く盛り上がった長さ5センチほどの、細長い斜め切りの傷跡がある。
傷跡自体が濃く残っている上、目立つ位置にあるせいで、青葉は彼とすれ違うたびに、それに注視してしまっていた。
──手術の跡とかかな?
あまり傷跡ばかり見つめていては失礼かもしれないと思って、青葉は目を逸らした。
伊達はどうやら、まだ青葉の返事を待っているらしい。
「……そうですか。あー…もう、失礼しますね」
少し気まずい気持ちになった青葉は一礼すると、その場を足早に去っていった。
『お前の「創作に懸命に向き合うアーティストが撮りたい」も間違ってねえよ』
伊達に言われた言葉が頭の中で何度もエコーすると同時に、嬉しさがこみ上げてくる。
そんなだから、腕の傷跡に対する疑問はあったという間に消え失せてしまった。
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