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横居の粘着

教育長と加害者の小学生たちへの取材の一部始終が誌面に載ってから、1週間後。 「取材終了って、どういうことですか⁈」 編集部近くの廊下。 敏雄の口から出た言葉に、青葉は絶句した。 「編集部の決定だ。俺たちの出番は終わったんだよ」 青葉が驚愕する一方、敏雄は冷静だった。 長年記者をしていれば、取材の打ち切りどきもわかってくる。 こうなることは予想できていたのだ。 「何でですか⁈」 青葉は納得していない様子だった。 「ほかの雑誌だの新聞だのニュースサイトだのが、もう散々取り上げ尽くしてる。このニュースの鮮度は、とうの昔に落ちてるんだ。わかるだろ?今さら取材行ったところで、きっとどこも現場が荒らされてる」 ここでいう「現場が荒らされている」というのは業界用語で、すでにほかの記者やカメラマンが取材し尽くした状態をさす。 事件や事故の現場付近に住む人や関係者への取材は、基本的に早い者勝ちだ。 人間というのは何度も同じことを聞かれると、うんざりしてしまう。 したがって、遅くにやって来て関係者や近隣住民に話を伺っても、辟易した彼らがまともに答えてくれないばかりか、追い返されることだってある。 だから、早いうちに地取りを開始して、新しい情報を仕入れる必要があるのだ。 「でも…」 「気持ちはわかる。だけど、そろそろ取材をやめざるを得ない事態が起きてるんだ。 何か情報がないか、ほかのメディアの連中が報道合戦に入り始めてる。それだけならいいがな…」 「やめざるを得ない事態って、いったい何なんですか⁈」 青葉が眉間にシワを寄せて、敏雄を睨んでくる。 「この事件が報道されてからというもの、動画配信者が「説明責任を果たせ」だの「被害者の人権は無視するのか」だの、毎日のように校門前で騒いでるそうだ。それだけじゃない。保護者会でも言ってたけど、爆破予告とか脅迫文が届いてるらしい。それこそ、それが原因で逮捕者まで出てる」 青葉の眉間のシワが伸ばされて、肩の力が抜けていく。 「報道したおかげで、学校側や教育委員会や市はやっと重い腰を上げて対応するようになった。これだけならいいことだよ。でも、そのせいで被害者の友達だった子たちまでバッシングの巻き添え食らって、ノイローゼ気味になったそうだ。さらには、事件とはまったく無関係な男子高校生が勝手に加害者のひとりだと誤解されて、誹謗中傷された事件まで起きてる。無関係なんだぞ?無関係な人を犠牲にしてまで、これ以上報道する必要はあると思うか?」 敏雄はとくに「無関係」という言葉を強調さかて、青葉を説き伏せた。 「この一連の原因作ったのは誰だと思う?俺たちだよ。正確には、俺だ。俺が書いた記事に触発された連中が騒ぎ出してるんだ」 「そんな…!」 青葉が打ちひしがれたような顔をして、敏雄に詰め寄ってきた。 「落ち着け!」 敏雄は青葉の両肩を掴むと自分の方へ引き寄せて、唇を塞いだ。 「んんっ…⁈」 突然のことに驚き、青葉が抗議しようと仰け反る。 敏雄はそんな青葉の後頭部を押さえ込んで、逃げられないように深く口づけ、口内に舌をねじり入れた。 「んんーっ!」 青葉が敏雄の背を叩いた。 もう限界らしい。 唇を離してやると、青葉はめいいっぱい息を吸い込んで、肺に酸素を取り入れた。 「春也、落ち着いたな?」 母親が乳児にゲップさせるときみたいに、敏雄は青葉の背中を優しく撫でさすった。 「……敏雄さん、ズルいです」 青葉は顔を真っ赤にしてうつむき、叱られてすねた子どもみたいな顔をした。 「何がだよ?」 その反応がなんだかかわいいと思った敏雄は、クスッと笑った。 「仕事中にこんなとこでイチャつくなんて、ずいぶん余裕ですね」 2人の背後から、聞いたことのある声がした。 横居だった。 掴んできたネタを提出しようと編集部に向かう途中、横居はとんでもないものを見た。 若手の頃からずっと一緒にいて、心から尊敬している先輩記者と、まだまだ若輩の契約記者の青葉が、白昼堂々、職場の廊下でキスしていたのだ。 「春也、落ち着いたな?」 その先輩記者が、青葉の背中を優しく撫でさする。 あんなこと、自分はされたことがないのに。 「……敏雄さん、ズルいです」 一方で青葉は、うぶな少年みたいに顔を真っ赤にしてうつむいた。 ──なんだよ、その顔… 横居の心に、真っ黒で卑しい気持ちが芽生えてきた。 最近、敏雄がろくに相手をしてくれないと思っていたら、いつ間にやら青葉とこんなに親密になっていたのだ。 「何がだよ?」 敏雄が嬉しそうにニヤついている。 あんな顔、横居は見たことがない。 横居は顔全体が引き攣れるのを感じた。 「仕事中にこんなとこでイチャつくなんて、ずいぶん余裕ですね」 見なかったフリをして踵を返そうかとも思ったが、言わずにはいられなかった。 今はどうにも、虫の居所が悪い。 イヤミのひとつでも言わないと、腹の虫がおさまる気がしなかった。 「横居さん…」 青葉の顔の赤みが、サッと引いた。 同時に、敏雄から離れて距離を取る。 恥ずかしいところを見られて、冷静を取り戻したようだった。 「春也、先に行ってろ。まだ物読(ものよ)み(資料分析)が残ってるだろ?」 「あ、はい」 気まずそうにしているのを見かねた敏雄は、青葉を向かうへやることにした。 今のところ、横居と青葉の関係は良好とも険悪とも言えない微妙な距離感を保っている。 しかし、一度諍いを起こした以上、何かあればいつ言い合いを始めてもおかしくない。 ここは引き離してしまうのが一番の安全策であろう。 「いつから下の名前で呼び合うほど仲良くなったんですか?」 青葉が離れていった途端、横居が敏雄を睨みつけた。 「俺と春也、付き合ってるんだよ」 「オレがいるのに⁈」 横居は心底驚いた様子で返した。 「は?お前とは寝てたけど、付き合ってはいなかっただろ」 「え?」 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、横居が変な声を出した。 「え、じゃねえだろ。俺たち、付き合う付き合わないの話なんて、いつしたよ?」 今度は敏雄が横居を睨みつけた。 「………ありません」 しばらく間が空いた後、横居が力なく答えた。 「そうだろ?じゃあな、次の仕事があるから失礼するぞ」 敏雄は素っ気なく言うと、横居を置き去りにするように、その場を早足で去っていった。 A市のいじめ自殺事件についての取材はひと段落したとはいえ、まだまだ仕事がある。 こんなことで足を休めている場合ではないし、向こうにやった青葉を呼び戻す必要もある。 リークされた案件が山ほどあるし、これからの取材にも青葉は必要なのだ。 ──なんだったんだよ、アレ… 編集部にネタを提出した後、取材に向かう車中で、横居は唇を尖らせていた。 先ほどの敏雄の態度に、不満が残っていたのだ。 ──いや、まあ、いいか 今は自分の仕事に集中しなければ、と横居は車を停めた。 今日は不倫疑惑のある音楽プロデューサーの自宅マンション前で張り込みだ。 今日は運の良いことに、停めてから10分程度で、狙っていたプロデューサーが女と一緒に出て行くところに出くわした。 ──今だ! 横居は車から降りて、プロデューサーの方へ走っていった。

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