30 / 34

20年前の敏雄

その眼差しときたら、まるで強力な銃から発射される弾丸みたいだ。 青葉が子どものように扱われるのに弱いのと同様、敏雄は青葉のコレに弱かった。 こんな目を向けられては、話さざるをえなくなるではないか。 「これか?20年前についたんだよ。俺がちょうど、お前ぐらいのときだな」 敏雄が、腕の傷跡を指先でそっとなぞる。 「何があったんですか?」 「若気の至り…にしたって、あまりに酷い話なんだけどな」 敏雄は、20年前の自分に起きたことを話し始めた。 今から20年前。 当時は現在とは比べものにならないほどに、写真週刊誌が売れていて、どの出版社からでも発行されていた。 それだけに、当時の週刊誌の記者やカメラマンの取材方法は、現在を生きる若者から見れば、あまりにも目に余るものが多かった。 夫が週刊誌に載れば、今度は妻、その次は親で、その次は息子か娘を撮る。 その子どもがたとえ、年端もいかない幼児であってもお構いなしに写真を載せる。 敏雄が週刊誌の記者になったのは、そんな時代だった。 当時の敏雄はスポーツ紙や音楽雑誌なんかの記者も希望していたのだけど、当時は不景気なのもあって、ことごとく不採用になり、ようやくありついた仕事がこれだった。 それでも、不満はなかった。 就職浪人するよりはマシだと思っていたし、自分の書いた記事がきっかけで世間が大騒ぎするのは愉快でたまらなかった。 何よりそのときは、尊敬する先輩記者がいて、その先輩記者と飲みにいったり、ともに取材することが、当時の敏雄には何より楽しいことだった。 そんな楽しい日々が終わりを告げたのは、敏雄が25歳のとき。 人気お笑いタレントの南健司の女性関係について、取り上げたのことだった。 南については、それまで散々とりあげてきた。 まずは南自身のこと。 そこから、南の両親について、南の妻について、南の長女について。 南は大物タレントだから、ちょっとした騒ぎでも記事を書けば、それが売りになった。 ときには、小学校のときの担任だとか、出勤大学の教授だとか、幼少期に隣に住んでいた住人だとか、もはや赤の他人と言ってもい いほどの間柄の人間にまで、取材を敢行するほどだった。 だからそのときだって、南の不倫相手の女を取材することに、なにひとつ躊躇うことはなかった。 「40のオッサンが20歳の女子大生に手を出したとなっちゃあ、きっと世間は大騒ぎだな。なあ、伊達」 これから取材に向かうというときに、先輩記者兼カメラマンの石垣七郎(いしがきしちろう)が、嬉しそうに話しかけてくる。 彼は敏雄より2つ歳上の先輩記者で、入社したばかりのとき、まずは彼のアシスタントをするところから始まった。 それからというもの、よく石垣と2人で行動するようになり、ときどきは飲みに行ったり、お互いの家に泊まったりもするほど懇意にしていた。 「そうですねえ。最悪、これきっかけでカミさんと離婚してくれたら、バカ売れ間違いなしですよ!」 「はっはっは!お前どうしようもない悪党だな!!」 「石垣さんだって思ってるクセにー!」 2人は意地悪く笑いながら、取材に向かうため、廊下を歩いて行った。 今回もいつも通りに取材して、いつも通りに帰っていく。 少なくとも、このときはそれができると敏雄は思っていた。 南健司と交際しているという、その女が通っている大学はS区にあった。 大学の校門の前、敏雄が石垣と待ち伏せしていたところ、それと思わしき女が出てきた。 「すみません、川田邦子(かわだくにこ)さんですよね?」 石垣が女に接近していき、敏雄もそれについていく。 「……そうですけど、なんですか?」 女──川田邦子が怪訝な顔をして、詰問してきた石垣を、睨むように見つめてくる。 ──この女か 他人のフリをされなくてよかったと、敏雄は内心ガッツポーズを決めた。 ──この女もバカだな、知らん顔してたらヘンな疑いかけられずに済んだのに 敏雄は彼女を内心バカにしながら、距離を詰めていく。 「週刊エックスデーです。あなた、南健司さんと交際されていますよね?そのあたりについて、お話を伺いたいのですが…」 石垣がカメラをかまえて、川田邦子を問い詰めた。 「知りません、失礼します!」 川田邦子は石垣と敏雄の脇をサッと避けて、逃げるように駆け出していった。 「今、一瞬だけ顔色変わったよね?ねえ、付き合ってるんでしょ?」 「待ってください!」 石垣と敏雄が、川田邦子をひたすら追いかけていく。 「南健司さんが結婚してたこと、ご存知でした?不倫ってこと、わかってます?」 「やめてください、迷惑です!!」 石垣の追及に対して、川田邦子が走りながら叫んだ。 「一介の女子大生が不倫なんかして、しかも相手が大物タレントってなったら、これから一生外を出歩けなくなりますよ?わかってます?」 川田邦子に追いついた石垣は、逃がすまいと彼女の細い右手首を掴んで、カメラを向けた。 「痛い!」 その際、川田邦子がそれを振りほどこうとして暴れ出した。 石垣はそばに停められていた車に川田邦子の体を押さえつけた。 「ちょっと…ねえ!」 敏雄がそれを制止しようとしたところ、揉み合いになり、川田邦子が転倒した。 「うう…いたた……」 その場に倒れた川田邦子は、脚を押さえたまま、その場にうずくまっていた。 「ダメだなこりゃ…」 石垣が呟いた。 「ですね、後日聞きに行きます?」 「うん、そうするわ」 これでは取材どころではなさそうだとの判断から、石垣と敏雄はその場を去った。 「あれ、結構なケガしたんじゃないですか?」 川田邦子から離れていった後、敏雄は小指の爪先を耳に突っ込んで、中を掻き回した。 「知らねえよ、逃げようとするから悪いんだろ。自分でケガしたのに、ああまで叫ぶとか、こっちが悪いみたいじゃん」 石垣は心底ウンザリした様子で肩を落とした。 「同感。じゃ、近いうちにまた話を聞きにいきますか」 「うーん。そのときに収穫あるといいけどなあ」 2人は盛大にため息をついた。 何ひとつ収穫がないまま編集部に帰るとなると、上司に大目玉を食らうことは明確だろう。 だから、このままでは帰れない。 何か収穫が欲しい。 そのためにはどうするか。 いろいろ考えた結果、石垣がある提案をしてきた。 「とりあえず、あの女の実家に行ってみるか。売れっ子芸人の愛人してるなんてこと、さすがに親には内緒にしてるだろうし、そのへん聞いてみようか」 「なるほど!」 石垣の提案に、敏雄は感心して両手をパチンと叩いた。 「実家の場所は調べがついてる。ここからそう遠くないから、行くぞ」 「りょーかいです!」 2人は車に乗り込んで、川田邦子の実家に向かった。

ともだちにシェアしよう!