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会見
痛む腕を押さえて、敏雄はよろよろと立ち上がった。
オフィス内を見渡すと、石垣が隅でうずくまっているのが見えた。
立つことすらままならないのか、ずっと胸を押さえて呻いている。
益子はかろうじて立って歩くことはできたが、原型をとどめないくらいに、頬やまぶた腫れあがっている。
よほど手ひどく殴られたのだろう。
──覚えてろよ、南!
敏雄の歯ぎしりが、いっそう激しくなる。
元をたどれば、石垣の言うとおりではないか。
40歳にもなって、親子ほど歳の離れた若い女と関係を持ち、それを突っつかれたからといってこんな仕打ちで返すなんて。
逆恨みもいいところだろう。
救急車が到着する頃には血も止まっていたが、南に対する怒りは止まることがなく、むしろ加速する一方だった。
このことを記事にするとき、どんなふうに書き立ててやろうか。
警察が出動する事態になったのだ。
人気商売で生きている彼らが、こんなことをして無事で済むわけがない。
──絶対、タダじゃ済まさねえ!
痛む腕を押さえながら、敏雄は南と弟子たちが連行されていく背中を睨みつけた。
このことを記事にすれば、自分たちが受けた仕打ちを徹底的に書き込めば、世間はきっと黙っていない。
そうすれば、南だって泣く泣く謝罪せざるを得ない。
どんな人気タレントも、大いなる民意に勝てないことを敏雄は知っている。
報道当初は、記者が何を聞いてもどこ吹く風と聞き流していながら、大勢にバッシングされた途端、ペコペコと泣きながら謝罪したタレントなど、ごまんといる。
だから、南だってこの一連の出来事を突っつかれたからには、こちらに突撃してきたときの勢いがウソのように、大人しく謝るに違いない。
少なくとも、このときの敏雄はそう思っていた。
南を陥れるチャンスは必ず訪れる。
そのときを静かに待とう。
南に一泡吹かせてやる。
そして、その姿をとことん嘲笑ってやる
療養中の敏雄は、ずっとそんなことを考えていた。
──あわよくば、芸能界から追放だな!
包帯が巻かれた腕を押さえて、敏雄はニーっと口の端を真横に広げた。
追放されるのは自分の方だなどとは、気づきもせずに。
そのときは、意外に早くやって来た。
事件から13日後、南の記者会見が行われたのだ。
例に漏れず、敏雄もそこに参加した。
腕にはまだ包帯が巻かれていたが、痛みは無いし、医師の話によれば、包帯もあと数日ではずせるとのことだった。
しかし、そんなことは敏雄にはどうでもいい話だった。
南に報復してやる。
それ以外に何も頭になかった。
会見場所は、都心にあるBスタジオ、時刻は17時。
敏雄ははやる気持ちを抑えて、会場内で南が来るのを待っていた。
前代未聞の大規模な時間であったからか、注目度も高く、記者やカメラマンの数も相当なもので、会場内は混み合っていた。
会場の隅には長いテーブル。
その上にはマイクが数台立てられ、本日の主役とも言える南の出番を待っていた。
そのうちに、南がゆっくりとした動作でやってきた。
「えー、それでは、ただいまより、南さんのお話を聞いていただきたいと思います」
司会役の男の声が、会場内に響きわたる。
司会役の説明が終わると、南の口が開いた。
「今度の不祥事ってのはね、向こうさん、エックスデー側がね、言論とか報道の自由だとか言って、おれやおれの周りの人たちを撮り続けてたんです。
それはいいんですよ。でもね、おれとしてもプライベートを守る自由ってものがあるわけで。それに対して具体的な態度を取ったわけですが、そのために暴力を使ったり、弟子たちを巻き込んでしまったことに限っては、本当に反省しております」
頭を深々と下げた南の、長い釈明が終わる。
「今回のことは、刑務所行きや引退覚悟でやったんですか?」
記者のひとりが質問してきた。
「現場で逮捕されましたから。逮捕された時点じゃあ、警察にひっぱられるのは当然と思いましたよ。暴れたことは暴れたんだから」
南はあせる様子もなく、淡々と答える。
「すぐに釈放されて、芸能界復帰は近いと聞いています。それに対してどう思いますか?」
「結果はどうなるかっていうのは、まだわかりませんね。まあ、テレビ局の要請がありましたんでね、ビデオ撮りくらいはやっておこうかって思ってますよ」
「お茶の間のアイドルとして、社会に与える影響は非常に大きいと思いますが、事件を起こした後の今のお気持ちは?」
女性の声がした。
敏雄は声の主を知っていた。
某テレビ局のアナウンサーだ。
「お茶の間のアイドルなんて、おれのほかにも山ほどいるだろう。おれひとりでテレビを切り盛りしているわけじゃないんでね。あと、おれの行動が世間の子どもたちに悪影響だって主張してる人がいるね。もしそうなら、その親たちが「アレは南健司が悪いんだ。絶対にマネするじゃないぞ」と教えてやるべきだと思ってる」
「写真雑誌に対する現在の考え方は?」
別の雑誌記者が聞いた。
以前会ったことがある、敏雄の顔見知りだ。
「お互い因果な将来だと思うよ。今回殴られた人は、オレには殴られるわ、家族にはお父さんそんな商売やってんのかと言われるわ、いやな思いしてるだろうし、そうすると当事者同士がいちばん酷い目にあったってことですよ。オレも酷い目にあって、向こうも酷い目にあってる。どっちが悪いとかいう問題じゃない」
「殴られてケガした人に対してはどう思っていますか?」
「申し訳ないと思ってる」
「お弟子さんたちには?」
「同じです。申し訳ないと思ってます」
尋問は続くが、南の様子は変わらない。
「引退するだとか、そういうことは考えたのでしょうか?」
女性アナウンサーの隣に立っていた男性記者が質問した。
「引退するだとか、そういうことは20代から考えてるよ、いまに始まったことじゃなくて。いつでも面白くなくなる前に辞めたいと思ってる。芸能界入ったときから、ずっと考えてる」
南の冷静さは、相変わらず崩れない。
今度は敏雄の番だ。
「ひとりで行く、という手段は考えられなかったんですか?」
敏雄は、南の顔をじっと見つめた。
自分が暴行した記者がここにいるとなれば、少しはあせるだろうと期待していた。
「ひとりで行くのは、おっかなかったね」
南が簡潔にそう答えたと同時に、敏雄と南はしっかりと、寸分の狂いもなく目が合った。
その獲物を見据える猛禽類のような瞳を、敏雄は二度と忘れることができなくなった。
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