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僕がセックスする理由
前回と同じ金曜日、同じ時間帯にColoradoを訪れ続けた。澄伽に会える可能性があると考えたからだ。
ようやく澄伽に会えたのは最初に会ってから三週間後のことだった。マスターいわく、そう毎週来るわけでもなかったらしい。
「こんばんは!」
しっとりとした空間にそぐわない元気な挨拶。
「おっ、澄伽ちゃんこんばんは。特等席の隣でこの前のイケメンがお待ちかねだよ」
マスターが顎で俺を示すが、澄伽は首をかしげる。
「ユウのこと、覚えてない?何週間か前にここでふたりでお話してさ、一緒に店出てったじゃん」
「純伽くん、久しぶり。もう忘れられちゃったかな」
やわらかい口調を心がけようと決めていたが、そんな必要はなかった。澄伽のほんわりとした表情と雰囲気に、こちらまで和んでしまっていた。
「うーん……ごめんなさい。わかんないや」
「そっか」
一度気まぐれに抱いただけでしつこく追いかけまわしてくる奴ばかりで、嫌気が差していた。
澄伽は俺のことを覚えていなかった。
だからと言って、彼のことをあっさりと俺を忘れてくれる都合のいい相手だなんて少しも思わず、むしろ忘れられていたことが結構ショックだった。
澄伽が特等席のカウンターの端に座ろうとする。
「ねぇ、こっちでゆっくり話さない?」
ゆったりと並んで座れるソファ席を示す。
「ユウ、澄伽ルールってのがウチ的にはあってさ」
「わかってる」
マスターも熟知しているんだろう、澄伽から目を離すととんでもない男に絡まれている可能性があることを。だから常に見守っておけるカウンターが指定席。
「マスターごめん」
澄伽に聞こえないよう、カウンター越しに小声で頼み込む。
「今日はあの子とどうこうなるつもりはない。でもどうしても誰にも聞かれないとこで話したい」
「……まさか惚れた?」
マスターが唖然としている。
「それは秘密」
否定するつもりはなかった。
もっと大切にしてやればよかったと激しく後悔する気持ちは、きっと終わった恋とよく似ていた。
ようやく了解を得られたので、澄伽をソファに案内する。
「うお!ふかふかだ!」
濃紺のソファと同じ生地のクッションを抱えて、満足げにしている。
「はい、ジントニックとシンデレラね」
ローテーブルに飲み物が運ばれてくる。
シンデレラ。
この前、これは澄伽にぴったりのドリンクなんだとマスターは何かを匂わせていた。
実態は終電厳守のシンデレラボーイ。
たいしたシャレではなかったけれど、あの帰り際のドタバタ加減も今となっては微笑ましい。
「澄伽くん、俺のこと忘れちゃったんだよね。俺の名前はユウ。ここのバーで会って、その後で外に魚がいるホテル、一緒に行ったんだよ」
「魚のホテル……?うーん……」
本当に忘れられてしまったなら仕方がない。
「おれ、いろんな人とホテル行くからいちいち覚えてないよ。男の人からLINEいっぱい来るから。会いたいなって。そんでいろんな人とホテル行く」
「……そっか。澄伽くんってモテるんだね」
俺と会っていない期間に幾度それがあったんだろう。一体どれほどの数の男と繋がりを持っているんだろう。
ただ確実にわかるのは、その男どものほとんどが澄伽の純粋さにつけ込んで弄んでいるということだ。
この前の自分のことは棚に上げて、腸(はらわた)が煮えくり返る思いだった。
「LINE、全部返すの大変だし、断んなきゃいけないこともあるけどね」
「全部返すの?ウザいのは無視してもいいんじゃない?」
「そうかな……でもみんな優しいしえっちしてくれるし……」
澄伽は何か思うところがあるのか、ぎゅうとクッションを抱え直し俯く。
さて、彼がどう反応してくるか未知数だけれどそろそろ本題だ。バッグの中からありきたりの茶封筒を取り出す。
「あのさ、これね、俺とこの前ホテル行った時に部屋に忘れてあったから」
「忘れ物?何だろ?」
澄伽は俺が手渡した封筒の中身を確認した途端、明らかに動揺しだした。
「あ……わ、うわ……コレ失くしたと思ってたのに……」
口元を手で押さえ、もう片方の手で封筒をくしゃりと握り締めている。
「う、裏に書いてあるのとか見た、よね?あの、おれ、黙っててごめんなさい……」
ついにクッションに顔を埋(うず)めてしまった。
細い肩がわずかに震えている。あまりに弱々しく見え、抱き寄せてやりたい衝動にかられる。
「お、おれ……この店来る時とかはあのマーク外してて、それでリュックのポケットから落ちちゃったのかも……。うぅ~、ごめんなさい」
「待って、違う違う。謝らなきゃいけないのは俺の方。しんどいこととかいっぱいやらせて……って覚えてないかもしれないけど、俺は澄伽くんが大変なの何にも知らないで、身体に負担かけたし酷いことも言った。本当にごめん」
土下座したい気持ちだったが、他の客もいる手前、頭を下げるだけに留めた。
どれだけの間、頭を下げ続けていただろうか。澄伽の方が顔を上げる気配に、こちらも姿勢を戻した。
「えっと……名前、ユウさんだよね。あのね、おれ、違うんだ。おれはこういう人間だからって、特別扱いされて優しくされたいんじゃないよ」
澄伽は自分の言葉でぽつりぽつりと語りだす。
「おれ、IQ?ってやつが周りの人より低いみたいで、難しいことわかんなかったり、考えるの苦手だったりして……バカにされたりとか、よくわかんないけど変な目で見られたりすることもたまにあるよ」
「そっか、大変なんだね」
「でもさ、ここのお店で会う人とかLINEで繋がってる人とかは、俺とちゃんとお話してくれる。ちゃんと普通の人として見てくれる」
ああ、だからか。
最初に会った時も、たしか俺と話せることをとても喜んでいた。
それでもだ。
ここのバーに来る男たちも澄伽のLINE友だちにいる男たちも、澄伽と話がしたいんじゃない。セックスがしたいだけなんだ。
「澄伽くん、でもさ、キミと話してくれる男のほとんどは、キミとセックスがしたいから。だからおまけで話してくれてるだけなんじゃないかな」
辛辣だっただろうか。
それでもわかっていてほしくなった。自分がただの性欲の捌け口にされていることを。
しかし澄伽は意外にも穏やかな顔をしていた。
「わかってるよ、そんなこと」
「わかってるなら、もうこんな店に来たりとかLINEで呼び出されて行くとか、やめた方がいい」
「いやだよ……おれ、えっちしたいもん……えっちするの好きなんだもん……」
どうしてそんな扇情的な言葉を吐き捨てながら、瞳いっぱいに涙をためるのか。
アンバランス。
澄伽という人間のことがわからない。わからないからわかりたい。
澄伽の瞳からぽろっと雫がこぼれ落ちた瞬間、堪らず抱き寄せてしまっていた。
「うぅ~、ぐっ、う」
「あーもう。いいよ、泣いてて」
俺の肩口に顔を押しつけ、懸命に泣くのを我慢している。きっと泣くことに慣れていない。
「あ、あのね……えっちしてる時は、おれ、障害あって、みんなと違ってみんなより頭わるいこと、忘れてられるから……」
そんな理由で。
つらさを紛らわすためのもっと他の趣味や娯楽など、見つけられなかったのか。あまりにも悲しい。
「そっか……だからいっぱいエッチしてるんだ。エッチするの、ほんとは嫌じゃない?」
「うーん……たまに嫌なときもあるよ。痛いことされるのとか」
この前の己の行いを思い出して胸が痛む。いや、痛くて苦しかったのは澄伽の方だ。
「じゃあ俺にされたことすごく嫌だったよね。謝っても許されないと思うけど、本当に申し訳ない」
「でも覚えてないから、もういいよ。……それに、ユウさんの身体おっきくてあったかくて安心する」
澄伽が俺の背中に腕をまわし、抱擁が深くなる。まだかすかに鼻をすすっている健気な彼の、ほんの一時(ひととき)の癒しになれるのならば、何かしらはしてやりたいと思った。
それから、少し落ち着いてきた澄伽と寄り添いながら、それぞれに酒とノンアルコールをちびちびと飲んだ。
「おれはね、昼間は作業所ってとこに行ってるよ。パンとかクッキーとか作ってる。ユウさんは?」
「俺?俺はね、こういう者です」
名刺入れから一枚取り出し、仰々しく差し出す。
「何これ、名刺?」
澄伽はそれを片手でつまむように適当に受け取ると、俺のフルネームをじっと見つめているようだった。漢字にローマ字表記が記してある。
「おおさわ……ゆう……し、ろう?」
「正解。俺の本名は大沢遊司郎。ユウはここでの偽名だから、遊司郎って呼んでくれたら嬉しい」
「いいよ、遊司郎さんね!」
関係を少し続けてもいいかなと思った相手に、こちらのステータスを誇示してみる目的で名刺を渡してみることはこれまでもあった。
男はそうでもないが、女は俺の勤務先のネームバリュー、そして年齢にしては高い役職に食いつき、そればかり褒めちぎっては一層こちらの気を惹こうとしてくる。
そういう関係は追われることにこちらが疲れてしまい、どれも長続きはしなかった。
「名刺とか、おれ初めてもらったかも」
澄伽は社名にも職位にも触れることなく、ただ嬉しそうに名刺を見つめていた。
「これ、電話番号?」
「ああ、でもそれは社用スマホ……仕事で使う用の電話だから、あとでプライベート用の連絡先教える。LINEが使いやすい?」
「うん!わー、またLINE友だち増えちゃう」
機嫌良さそうに身体を揺らしている。
セックスで現実逃避している澄伽。
もしかするとこのままでは俺は、彼のスマホの中にたくさんいるセフレのひとりで終わってしまうのかもしれない。
それは嫌だ。
守りたい、慈しみたい、この腕で捕まえておきたい。
俺はきっとこの子の心と身体を救いたいと思い始めている。
「あのさ、良かったら今度、どっか澄伽くんの行きたい所に遊びに行かない?」
「行きたい所?」
「うん、どこでもいいよ」
澄伽はうーんと唸りながら考えている。
「普段友だちとかと遊びに行くとことかでもいいし。あ、ホテルとかじゃなくてね」
途端、澄伽は渋い顔をする。
「おれ、友だちってホテル連れてってくれる人しかいないし……」
コミュニケーション能力に少し難のあるらしい澄伽は、自分の身体を提供することで他人との薄っぺらな関わりを得ている。
彼が純粋に楽しめる場所、それはどこだ。
「……あ、そういえば魚は好きだよね。この前水槽じーっと見てたし」
「水槽?んー……そうだっけ?でも魚は好きだよ」
「そしたら水族館に行く?小さくて綺麗なのも、大きくてカッコイイのもたくさんいるとこ」
澄伽の目がパッと輝く。
「水族館!?行く!えっと、いつ?いつ行く?」
予想以上の食いつき様だった。こんな反応をされては、俺だって当然嬉しい。
「今日金曜だけど、あさっての日曜日は?少し混むかもしれないけど」
「わかった、日曜日ね!」
その日は、連絡先を交換し澄伽を駅まで送って別れた。
改札を抜けてから俺の方を振り返り、にこにこと手を振ってくれる澄伽の姿に考える。
俺の胸に渦巻くのは、障害を抱える彼へのただの同情なのか。
それともその同情は恋の始まりになりうるかもしれないのか。
本気の恋愛なんてまともにしてこなかった。言い寄ってくる誰のことも真剣に取り合わなかった。
もしもこれが本気の想いに変わるとしてもそうでないとしても、今はもう少し澄伽という人間を知りたい。
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