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未熟すぎる自分ですが
「あ、えっと、おじゃまします」
土曜の夜、澄伽を最寄り駅まで迎えに行き、初めて自宅に招き入れた。
このマンションに引っ越してきてから数年経つが、誰かをここに入れるのは初めてだ。
一夜限りの相手に住んでいる所がバレるくらいなら、毎回お金がかかってでもホテルに連れ込んできた。
ピザが食べたいと言うので、いちばんマシなチェーン店からテイクアウトした。さっそく部屋がその匂いで充満しかけている。
「わ、すごいおっきい部屋」
「あ、荷物その辺に置いてね。トイレはここ、お風呂はここ。で、あの引き戸の向こうが寝室。ベッドのある部屋ね」
先週の告白を意識してか、澄伽の様子はぎこちない。俺から距離を保とうとしているのがバレバレだ。
そのわりには泊まりの誘いは断られなかった。
他人の家に泊まるのは初めてで持ち物がわからないと言うので、大抵の物は貸せるから下着と次の日に着る服だけでいいよと伝えてあった。
「冷めないうちに食べよっか」
澄伽にはピザ屋で売っていたグァバジュース、俺は買い置きのビール。
何となくクセで乾杯をしてから食べ始める。
そうして澄伽はやっぱり食事に集中するから黙る。いや、もしかしたら今回は気まずさもあるのではないか。
「ほんとはさ、どうせ家に呼ぶなら何かメシ作ってやりたかったけど、俺料理ほとんどできないんだわ」
やや険しい顔つきだった澄伽の表情がきょとんと崩れた。
「うっそ、意外。何でもできそうなのに」
「だってひとり暮らしなのに、自分だけのためにわざわざ作ったりしないって」
外食にデリバリー、どうでもいい時のコンビニ飯。それから上司や同僚との仕方なくの付き合いに、疲れるだけの取引先との接待。精神的に少しも充実していない食生活だ。
「おれは最近カレー作れるようになったけど」
「えっ、すごいじゃん。俺無理かも」
「お母さんの帰り遅い時もあるし、俺ももう大人だし、ちょっとずつできるようになりたくて。お母さんに何回も教わったの。こうね、野菜を切る時は猫の手にするの」
ピザを一旦置き、野菜を切る仕草をして見せる。
ひとりでできることを増やそう。そう健気に頑張っていていいなとも思った。
それ以上に、ただ想像してしまった。俺のために食事を用意してくれる澄伽の姿を。
「いいな。食べてみたい、澄伽の作ってくれるカレー」
澄伽は戸惑ったのかやや俯いてしまった。そういえば呼び捨ては許されたらしい。
「あ……でもまだあんまり自信ないから……」
暗に断られているのか。
俺はまだ澄伽からの告白に返事をできていない。
だから彼は反応に困っている。困らせているのは俺。
さて、どのタイミングでどう話せばいいのか。
ピザを食べ終え、ダイニングテーブルからソファへ澄伽を招く。
いつしかバーで隣合って座った時のように密着はできない。澄伽の方から少し距離を取ってくる。
「ねぇ、アレ持ってきてくれた?」
「アレ?」
「うん。LINEでお願いしたやつ。澄伽の職場で作ったお菓子」
「うん、持ってきたよ」
澄伽はリュックとは別に持っていた手提げの紙袋をローテーブルの上に置く。
「なんか恥ずかしいな」
「気になるじゃん。澄伽が普段どんな物作ってるのか」
そうしていくつかの小さな透明の包みをテーブルの上に出してくれる。
数日前に境さんがくれたのと同じくらいの透明のパッケージの裏面には『社会福祉法人わだつみ作業所』と製造所の名称が記してあった。ここが澄伽の職場だ。
「これは?アーモンドのクッキー?」
「そうそう。おれこれ好き」
「こっちは?」
「これはチョコチップとココナッツの」
「うわぁ、その組み合わせ絶対いいじゃん」
どれも用意しておいたシンプルな紅茶に合いそうだ。
「このシンプルっぽいやつは?」
「あ、これね……名古屋コーチンの卵使ってるクッキー」
「おぉ!俺の地元の!」
名古屋には有名で美味しい物がたくさんある。
名古屋コーチンも、そこで生まれ育った人間としては誇らずにいられない物のひとつだ。
「遊司郎さんがさ、名古屋が実家って言ってたから……」
そんなことは話したか?
俺の記憶にはないが、澄伽が知っているということは、どこかのタイミングで話したということだ。
「……あの、他にもいろいろ種類はあるんだけど、好きそうなやつ選んできた」
それで名古屋コーチンをチョイスしてくるのは、あまりにも気が利いていて今かなり感動している。
澄伽が俺の出身地を覚えていてくれて、俺のためにそれを選んで持ってきてくれて。
「ありがとう、澄伽。俺のために選んでくれたの、すごく嬉しい」
澄伽の表情はほんのり微笑んでいた。
「食べていい?」
「うん……どーぞ」
やはり一番嬉しかった名古屋コーチンのクッキーを口に運ぶ。
サクサクと歯触りの良い食感に濃厚な風味。これはレベルが高い。
「すっごく美味い。え、他のも開けていい?」
お世辞でなく本当に口に合ったので、結局持ってきてもらった物の全種類を少しずつ摘んでしまった。
「すごいね澄伽は。こんな美味しいのを作ってるんだ」
「おれだけじゃなくて、みんなで作ってるんだよ。苦手なこととかできないこととかもあるから、できることをそれぞれがやってる」
澄伽は膝の上で両手の拳をぐっと握り、かすかに微笑んだ。
「食べてもらえてちょっと嬉しかった。こんなの……遊司郎さんに食べてもらえるようなもんじゃないのに……」
「何で?こんなに美味しく出来てるのに」
言葉に詰まりながら澄伽は呟く。
「おれたちのしてることなんて、ほんとは仕事じゃないよ。……こんなことしかできないから、特別にやらせてもらってるだけだもん」
「そうかな。俺、この前仕事の休憩中にさ、先輩にお菓子もらったの。澄伽のとこじゃないけど同じような作業所のやつ。それ食べたら元気出て、その後の仕事も頑張れた。ちゃんと役に立つ物作る仕事してるんじゃない?澄伽も」
仕事を頑張れた、は嘘で、澄伽に連絡する気合いが入った、というところだ。
「……おれ、たまに考えるんだ。もしおれが『普通』だったら、きっともっといろんな仕事とかもできて……それから、遊司郎さんのことも好きになってよかったのかなって」
好きになってよかったのにって?
もう告白してくれたのに?
それなのにいまだ俺への想いを自分で許せていない?
また泣きだしそうで泣けない顔をしている澄伽を無心で抱き寄せていた。彼は驚きながらも腕の中に収まってくれる。
「どうしてそんなこと言うんだよ……。……俺だって澄伽のことが大好きだよ。すごく、すごく、いちばん大事に想ってる」
見下ろして見える澄伽の表情から、動揺が伝わってくる。
「なんで?だって、おれは『普通』じゃないよ?なんで?なんで?おれなんかのこと好きとか言うの?」
「澄伽、」
「……遊司郎さんにはおれなんかでいいわけないってわかってるよ。でも諦められなかった……。星の砂にいっぱいいっぱいお願いしたし、今日もやっぱり会いたくなって家まで来ちゃったんだ……」
どうしても自分に自信が持てない澄伽。
それでも俺への恋心を諦めずに持ち続けてくれている。
告白した後で気まずかったろうに、今日も会いに来てくれた。
明るく素直で母親思いで、ちょっと自尊心が低くて、それでも好きになった相手に告白できるほどの勇気と度胸がある。
俺には足りていなかった。その勇気と度胸が。
どうしても他人より苦難の多くなってしまう澄伽を、丸ごと受け止め、必要とあればずっとずっとそばで支えていく勇気と度胸が。
「初めてだったから……こんなに誰かを好きになったの。すごい胸がドキドキしてたまに苦しくて、でも……あったかかった」
澄伽がそっと俺の胸を押し返し、腕の中から出て行った。
「全部楽しかった、ありがとう。……ごめんなさい、今日は帰るね」
ソファから立ち上がった澄伽をこのまま見送ってしまったら。
もう二度と会ってもらえることはない気がした。
『今日は』ではない、今のは澄伽なりの永遠の別れの言葉だ。
「澄伽、」
彼がリュックを拾い上げようとしたところを、後ろから抱き締めた。
「何勝手に帰ろうとしてんだよ。……俺さっき言ったじゃん。大好きだって、いちばん大事だって」
「でも、」
「俺のこと好きになってくれて嬉しかった。俺は澄伽みたいに強くないけど、ちゃんと、ずっとそばにいる。澄伽に何か困ったことがあった時は、いちばんに頼ってもらえる相手になれるよう頑張るから」
「もう……もうやだってぇ……なんで、なんで……」
澄伽がぐずって俺から逃れようとする。放してやる気などさらさらない。
「お願いだから俺と付き合って?」
「え、え……?」
「澄伽と一緒にいられたらそれだけで幸せだし、もう他の誰にも触らせたくないの」
抵抗する力の抜けてきた澄伽の身体をこちらに向かせる。
俺は跪いて澄伽の片手を取る。こんなことは当然したことがない。
「カレーすら作れない未熟すぎる俺ですが、どうか俺の恋人になってください。世界でいちばん愛してます」
ポーズだけはまるで御伽噺(おとぎばなし)の王子様とお姫様。
俺はとても王子なんて器ではないが、澄伽はそうだ、初めて会った時から終電厳守のシンデレラボーイだった。
『お姫様』はずるずるとへたり込むと、
「おれ、もうムリ……やだ、バカみたい、嬉しいよ、遊司郎さん……」
泣きだしそうで、それでも幸せを嚙みしめるような、最高に愛おしい表情をしていた。
その頬に片手を這わす。
「ね、ちゅーしていい?そしたらもう澄伽は俺の恋人。俺の自慢の恋人」
紅潮した顔が恥じらいながらも、こくんと頷いてくれた。この上ない喜びに胸が満たされる。
澄伽も同じ気持ちでいてくれているよう願いながら、ゆっくりと唇を重ね合わせた。
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