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第3話

 天から遣わされた神獣であるシルラの本質は『愛』であり、人間を癒し、支える。だが人に敵意や怒りの感情を向けられると、それをそのまま受け取り、攻撃的な猛獣へと姿を変える。当てられた光を、鏡が反射するように。 「あなたがシルラと戦おうとすると、シルラも戦います。仲間だと思えば、シルラもそう思います。シルラを恐ろしい獣にしてしまうのは、向かい合う人なんです!」  アイの訴えを眉一つ動かさず聞いていた男が、左手で肩のあたりを押さえた。表情は変わらないが、顔色が悪い。 (もしかして、怪我を……っ?)  アイの緊張が高まる。  シルラの爪や牙で傷つけられると、そこから即効性の毒が回り、数時間で人は死に至る。シルラが恐れられる所以だ。シルラは滅多なことで人を傷つけないが、相手が殺意を抱いて戦いを挑んできたときは応戦する。おそらく彼が先に、敵意を持って剣を抜いたに違いない。 (早く解毒薬を処方しないと……っ)  普通の人間ならシルラの爪の先がかすっただけでもその場で昏倒してしまうのに、目の前の彼は意識を保ち会話すらできている。どれだけ強靭な肉体と精神を持っているのだろう。しかし、いくら並外れた強い兵士でも、このままでは命を失う。 「あなたを死なせたくないし、この子たちにもこれ以上、あなたを傷つけさせたくありません! お願いですから剣を離して……!」  気丈に立っていた男の体がついに揺らいだ。頭を振り膝をつくが、まだアイとシルラに警戒の目を向けている。 「おまえに、尋ねたい。シルラの……」 「もうしゃべらないで!」  毒の回りが早まってしまう。止めるアイに構わず、男は続ける。 「シルラの、里は……」  言葉が途切れ、剣が手から離れ地に落ちた。 「エド!」  揺らめき崩れていく体を受け止めるべく、エドが駆け寄っていく。アイもすぐに続いた。  シルヴェリア国は、建国当時はシルラに守られた平和な国だった。人と同じだけの数がいたというシルラと、それを総べる一人の神子が賢王に仕え、国民の平和と安寧を守っていた。自然に恵まれ気候も温暖な地には農作物もよく育ち、民も一年中飢えることなく幸せに暮らしていたという。  その状況を一変させたのが数百年前の、国境を接する大国ゾルディアとの戦争だった。領土は広いがそのほとんどが寒冷地であるゾルディア国が、資源豊かなシルヴェリア国を属国にすべく侵略してきたのだ。  圧倒的な兵力を誇るゾルディア国軍に、対外的な軍を持っていなかったシルヴェリア国はなすすべもなく攻められた。民に多くの犠牲者を出し国が敵の手に落ちる寸前に、国王がついに『奥の手』を発動した。シルラの性質を兵器として利用したのだ。  シルラは相手の感情をそのまま反射する。敵意には敵意を。殺意には殺意を。征服欲には征服欲を。殺戮を求める猛獣と化したシルラに押し返され、見る間に戦況は逆転、ゾルディア国軍は退却していった。  戦争には勝利した。だが後に残されたのは累々と積み重なる人間とシルラの屍、そして荒廃しきった大地だった。  平和のために遣わされた神獣を、もう二度と戦いの道具にされるようなことがあってはならない。  シルラを争いに巻きこんだことを心から悔いた当時の神子は、生き残ったシルラを連れて森の奥に移り住んだという。それが、シルラの里の始まりだ。そしてその神子とともに里に下ったのが、軍神と呼ばれた伝説の兵士だったそうだ。  以来シルラの里には、その神子とつがいとなった兵士との血を受け継ぐ者たちだけが、ひっそりと暮らしてきた。シルラを再び軍事利用されることがないよう、人の目から隠しながら。  それゆえこれまでずっと、里の者ではない人間が足を踏み入れることはなかったのだが……。 (傷ついてる人を放ってはおけないよね……)  シルラたちの力を借りて家に運び入れ、自分の寝床に横たえた兵士の額の汗を、アイは丁寧に拭いてやる。ここに連れてきた半日前には燃えるほど熱かった額も、解毒薬を処方ししばらく経った今はだいぶ冷め、呼吸も落ち着いている。 (でも、どうして軍の人がこんなに近くまで……)  アイは不安に唇を噛む。このところ不穏な波がこの国に押し寄せてきているのは、アイも知っている。

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