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第4話

 大戦からかなりの年月が経ち、戦禍の跡は完全に消えたかに見えた。だが、ここにきてまた暗雲が漂いはじめているのを、閉じられた里で暮らすアイも感じてきている。  齢九十を越えるゾルディア国の現王が、再びシルヴェリア国への妄執を燃やしはじめたのだ。これまでも小規模な領土侵犯はあり、小競り合いは続いていた。だが、ここにきて残りの生を燃やし尽くすかのように、王は侵略を目論み大軍を整えていると聞く。  シルヴェリア国もかつての大戦後は、攻撃に対抗するための自軍を組織していた。特に国王直属の本軍は国中から優れた人材を集め、厳しい訓練を経て鍛え抜かれた精鋭兵士の集まりのようだ。軍を束ねるオーガ将軍は天をつくほどの巨漢で、領土を狙ってくる敵軍を単身でことごとく追い散らしてきた最強のつわものらしい。 (でも、どんなに強い軍があっても……戦争は駄目)  アイは硬い表情で深く息をついた。  戦争で傷つき命を落とすのは、名もない兵士や民たちだ。憎しみは憎しみしか生まず、増幅した憎悪は世界を滅ぼしていってしまう。  それを人間に気づかせるために、シルラが天から授けられている。そしてシルラとともに世に平和をもたらすのが、神子であるアイの使命だ。 (どんな命もみんな大切……。この人も、なんとかして助けなきゃ)  アイは横たわった兵士を気遣わしげに見る。シルラは人間の病や怪我を治す不思議な力を持っているが、シルラの毒を受けた者を癒すことはできないので、里に代々伝わる薬を飲ませ様子を見守るしかなかった。  幸いその兵士の生命力は相当に強いようだった。普通の人間なら何日も生死の境をさまようところだが、わずか半日で顔色もよくなり、明らかに回復してきている。 「これならきっと、もう大丈夫だね」  そばに控えているエドとルゥを振り向く。安堵の表情のアイに反して、シルラたちの瞳はまだ警戒している。  もしも彼が意識を取り戻しシルラたちに敵意を向けたら、また同じことになってしまう。それだけは、なんとしても避けなければならない。 「エド、ルゥ、しばらくみんなのところにいてくれる?」  シルラは神子の命に決して逆らわない。だが、よほど心配なのだろう。シルラの中でも最年長でずっとアイのそばにつき従っている二頭は、顔を見上げたまま動こうとしない。  忠実な愛しい家族にアイは微笑みかける。 「この人が起きておまえたちがいたら、また怖い顔になるでしょ? だから、ね? 僕は大丈夫。何かあったらすぐに呼ぶから」  手を伸ばし頭を撫でてやると、二頭は気持ちよさそうに目を細めた。高潔な神獣だが、こういうところは小さな猫と同じだ。  シルラが退室し兵士と二人きりになると、少しだけ緊張した。  改めて彼を見つめる。男らしくはっきりとした目鼻立ち。硬そうな短い髪も、確か瞳も濁りのない漆黒だ。肩から胸にかけて包帯が巻かれている上半身は、見るからに鍛え上げられた筋肉がついてたくましい。  これほど美しい人に、アイは初めて会った。本当に、伝説の軍神のイメージそのものだ。 (この人……アルファだ)  本能的に感じた。  すべての要素において優れ、人々を総べるカリスマ性と才を持つアルファ。世を動かし、地を耕して社会を作っていくベータ。特異な能力と魅力的な容姿を持ち、優れたアルファを産むことができるオメガ。男女のほかに、この世界にはその三つの性がある。  アイはオメガだ。オメガは男女を問わず子を産むことができるので、血筋が絶えぬようにシルラの神子は必ずオメガとして生を受ける。国でも数えるほどしかいないオメガ性の者は、同様に少数派のアルファ性の者が『運命のつがい』として天に定められているという。  アイの母もオメガで、アルファの父と結ばれた。アルファはあらゆる点において秀でているので、政務を行う国の中枢部の人に多いという。アイの父は天才と名高かったシルラの研究者で、里の調査でたまたま森を訪れ母と出会ったと聞いている。  アイはまだ、父以外のアルファに会ったことがない。交流のある近隣の村人たちは皆ベータだったので。  アイの父も確かに美しかったが、物静かでいつも穏やかに微笑んでいるような人だった。目の前の彼はまったく違う。

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