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第35話 北方娼婦
朝日を浴びて山肌が明るさを増していくのを、シェイドは椅子に掛けて窓際からぼんやりと眺めていた。これが、ここから見る最後の朝になるかもしれないと思いながら。
待ちわびていた知らせが、今朝早く届けられたのだ。あの瑠璃色の羽をもつ鳥が夜明けと同時に運んできた。
数日前、シェイドは自分たちが生きて囚われていることを知らせようと、窓辺にやってきた小鳥に自らの髪の束を結び付けて離した。やってきたのが、ミスルの離宮で見かけた、目も覚めるような青い羽根を持つ鳥だったからだ。
同じような鳥がこの山にはたくさんいるのかもしれないし、髪を結び付けた鳥がまっすぐ離宮に戻る保証もない。離宮に戻ったとしても、誰かが見つけてくれるとは限らない。それでも何もしないよりはいいと、一縷の望みを美しい鳥に託して飛び立たせた。
翌朝、小鳥は足に小さな蔓を巻き付けて再びやってきた。離宮の温室で栽培されている『シェイド』の花の蔓だ。
どれほど嬉しかっただろうか。
シェイドはパンくずに夢中の小鳥の足に、今度は折り畳んで用意しておいた小さな紙片をそっと結びつけた。この旧砦の名と部隊について暗号のように記したものだ。
その翌朝やってきた小鳥は、足に青く固い小さな蕾を結び付けられていた。『花開く時まで待て』――暗号を読んだ者からの返答だ。
そしてその『時』は、まさに今夜だった。
今朝方窓辺にやってきた小鳥の足には、小さな紙片が括りつけられていた。逢瀬を契るささやかな恋文のように、そこにはたった一行『朔の夜に忍んでまいります』――サラトリアの字でそれだけが記されていた。
今夜は月の出ない新月の夜。星以外に地上を照らすもののない暗闇の夜だ。救出にこれほど相応しい夜があるだろうか。
ゆっくりと息を吐き、恐れと緊張で震え出しそうな自分を抑える。今夜を逃せば機会が再び巡ってくることはないかもしれない。失敗は許されない。
ウェルディの加護を乞うように、シェイドは組んだ両手に額を押し付けた。
隣の部屋に人の気配がして、シェイドは窓に向けていた顔を振り向かせた。
ゾッとすると同時に、体の芯が熱をもって疼き始めるのを自覚する。初めは死んだ方がましだと思うほどつらかったことなのに、どんな環境にも慣れてしまえるものだと、シェイドは自嘲気味に考えた。
施錠されていた扉が開き、男が一人、顔を覗かせた。
「……お利口にして待ってたか?」
揶揄するような言葉とともに入ってきたのはコーエンだった。そしてその後ろから続くのは二人の領兵。隣室で見張りに当たっている男と、階段の下を警備している男だ。
コーエンは窓際の椅子に座るシェイドに手を差し出すと、立たせて寝台の方へ導いた。
シェイドは逆らわず、コーエンに背を抱かれるようにして素直に従う。領兵の一人が慣れた手つきで寝台の上に外套の使い古したものを敷いた。シェイドは身体に巻いていた掛布を床に落とし、促されるまま裸でそこに横たわった。
「こいつを咥えてろ。ここは声が階下に丸聞こえだからな」
いつものように丸めた布を口の中に押し込まれる。男の精の匂いが染みついた、不潔で吐き気を催しそうな代物だが、汚れた布を咥えさせること自体が男たちにとっては愉しみの一つなのだろう。シェイドが大人しくそれを噛み締めると、男たちは目配せしあって淫猥な嗤いを浮かべた。
立てて開いた膝の間に一人目の男が入ってくる。シェイドは肌身離さず手に持っていた経典を心臓の真上に乗せて両手で押さえた。
この小さな経典はラナダーンから与えられたものだ。こうすれば胸の中央に烙印されたファラスの紋章を隠すと同時に、いまだ腫れ上がってじくじくと痛む左胸の傷を、腕で押さえて隠すことができる。
「昨日はここに若様のお情けをいただいたか?」
シェイドが答えられぬのを見越したうえで、領兵が言葉で嬲ってきた。
男は指に油を取って、連日の荒淫で花開かんばかりにぷっくり膨れた窄まりにそれを塗す。傷が残ってラナダーンに不審を抱かれないためだ。
「……ゥン!……」
油断しているといきなり二本の指が根元まで入り込んできて、シェイドはくぐもった声で喘いだ。使われ過ぎてひりつくその場所は、指で探られただけで、ぞくぞくした痺れが背筋を走り抜けてくる。臍から下が別の生き物になってしまったように、意志に関わりなく腰が淫らに揺らぎ、肉壺の中に入れられた指をしゃぶり始めた。
「慣らす必要なんぞなかったな」
「……ンンッ!」
男は言いざま、指で拡げた窄まりに猛った肉棒を宛がい、力任せに突き入れてきた。先走りが滑りになって一気に奥まで入り込む。尻に毛むくじゃらの陰嚢が当たった。
「どうだ、いいか」
確信を込めて男が問いかけた。シェイドは観念しきったようにガクガクと頷いた。
腹の中を脈打つ肉の芯が埋めている。ピクピクと痙攣するそれに好い場所を押し上げられて、シェイドは雄の匂いがする布を噛み締めながら喜悦の啜り泣きを漏らした。
胸に奴隷の証である札をつけられてから、シェイドの日常は一変した。
朝一番にニコと呼ばれる大男が部屋に来るのは同じだ。パンと水、それから近頃は目を楽しませる小さな野の花を乗せて、黙って盆を置いて行く。
小鳥たちとパンを食べ終わるころ、早い時間にここへやってくるのはコーエンだ。この部屋の警備に当てられた領兵を懐柔して、いつも数人でやってくる。
ラナダーンに知られぬよう汚れを受け止めるための敷物まで持参して、声を出せないよう口を塞ぎ、交代で手早く事を済ませて去っていく。
元はと言えばアリアから戦勝の褒美に下賜されるはずだったのだから、自分がシェイドを女として使うのは当然の権利だというのが、コーエンの言い分だ。
男たちの体液の匂いもすっかり消えた午後遅い時間になると、今度はラナダーンが訪れる。食べ物を持参することが多いが、一度鳥の肉を持ってこられたので肉は駄目だと伝えたら、以後は果物や甘い菓子を持ってくるようになった。
神聖文字で綴られた小さな経典を二人で覗き込み、ラナダーンがそれを読みあげてから、中に書かれた教えを説いてくれる。日が暮れて文字が読めなくなれば、そのまま寝台に倒れ込んで肌を合わせる日もある。寝首を掻かれることを怖れているのか、ラナダーンがここで眠ることはない。
シェイドが王位に就く案を、ラナダーンは頭から否定しているわけではなさそうだった。
傀儡の王としてシェイドを王位に就けた方が事がうまく進むと、祖父を説得しているらしい。そのためにウェルディに帰依させ、王族として最低限必要な神聖文字を習得させようとしているのだ。
シェイドはそれを利用し、ウェルディの教えも知らなければ、神聖文字も読めないふりをした。わざとゆっくり話を聞き、分からぬからと何度も前に戻って問いかける。――後ろから数枚目の頁が破り取られていると知られる日を、少しでも遅らせるためだ。
王族かそれに準ずる高位の貴族は、古代の神殿で用いられた神聖文字を幼少期から習い覚える。ヴァルダン家で王妃としての教育を受けたシェイドも同様だ。どこに何を書いてあるかは、目を瞑っていても言える。
シェイドは後ろの方の一枚を丁寧に破り取り、必要な文字に一つずつ印をつけて鳥の足に結びつけた。サラトリアなら、これを読み解けるはずだと信じて。
そしてそれは、願い通りサラトリアの手に渡ったようだ。
「ンッ、ンッ、……ンン――ッ!……」
終盤に向けて男の動きが激しくなる。中をぐちゃぐちゃに掻き回されて、震える腹の上に透明な蜜が零れ出た。
愛撫一つ与えられない暴力的な交わりだというのに、この肉体はどんな辱めも官能に変えてしまう。感じすぎる自分を止めようとするかのように、シェイドは両手に持った経典を強く握りしめた。
ウェルディの経典を胸に抱き、無抵抗に凌辱される異教徒の背徳的な姿は、男たちの劣情をさらに煽った。邪教に穢れた肉体をより残酷に苛んでありもしない罪を告白させ、淫らな罪状に相応しい罰を下してやろうと唇を舐める。
「手を退けろ。札に悪さをしていないか確かめてやる」
二人目の領兵が圧し掛かりざまにそう命じた。シェイドは許しを乞うように見つめたが、その視線は男の優越感と支配欲を掻き立てただけだった。
「さっさとしないと札を千切るぞ! 左が駄目になっても、まだ右の乳首が残ってるからな!」
興奮した男が大声を上げて恫喝した。物音を気にするコーエンがチッと舌打ちしたが、領兵は意に介さなかった。両方の乳首を失ったら、今度は男根に穴を開けて札を着けてやると、声も抑えず脅す。この砦の中では、どうやら傭兵の頭は軽んじられているらしい。
シェイドは言われた通り、経典を手に持ったまま両腕を頭上にあげた。痣と内出血だらけの薄い胸が現れた。中央にファラスの烙印、そしてその左右に張り詰めた柔肉の突起がある。淡く色づき、形よく膨れて柔らかそうな右の肉粒とは対照的に、左のそれは金属の輪に貫かれ真っ赤に腫れあがっていた。傷口はまだ塞がらずに血の混じった体液を滲ませている。
丸い小さな金属製の札は俄か拵えで用意されたらしく、まだ誰の名も刻まれていなかった。
「軍功を立てたら、そこにお前の名が刻まれるかもしれないぞ」
先に終えた男が揶揄するように言う。二人目の男は膝裏を掴んで、シェイドの身体を二つ折りにするほど深く持ち上げると、浮き上がった尻の中に肉杭を打ち込んだ。
「……ゥウ……ッ!」
膝の裏を押さえた手でゆさゆさと大きく揺らしながら中を抉られる。身体が揺れるとそれに伴って札が揺れ、まだ傷の癒えぬ乳首に焼かれるような痛みが走った。
シェイドが痛みに体を強張らせるたびに、男の怒張は肉筒に締め付けられる。その感触が心地いいらしく、男は勢いをつけて叩きつけるように腰を前後させた。
「……軍功を立てて、褒美をもらう時には、使い古しじゃなく、新しい奴隷をもらうさ!」
「違いない」
息を乱しながら嘲る男の言葉と残酷な責めに、閉じた瞼から涙が零れた。
痛みより屈辱より、これほどの目に遭わされながら、悦楽に堕ちて果てそうになっている己の体の浅ましさが悲しい。いくらシェイドが否定しても、北方人は生まれながらの性奴なのだと、この肉体の方が雄弁に語ってしまっていた。
「……ゥウウ、オッ……ウ――ッ……」
首を激しく振りながら、男を締め付けてまた昇りつめる。
尿道の奥に緑色の秘薬を塗りつけられてから、体がおかしくなってしまっていた。
あれ以来、どんな無体な目に遭わされても、尻の中に異物を感じた途端、一溜まりもなく陥落してしまう。
犯されればすぐさま腰が揺らいで中のものを締め付け、奥深い場所を肉棒に擦らせようといやらしく誘い込む。乱暴な挿入が痛くて苦しくて、まるで拷問のようだと感じているのに、屹立は腹の上でピクピクと跳ねて蜜を吐き出し、淫らな悦びを露わにしてしまう。いくらもしないうちにすぐに達し、達している最中にまた強い絶頂に襲われる。痛くて苦しいのに、いくら味わっても尻を振るのを止められないのだ。
極まった時の蜜が狭いところを抜けていく感触も、言い表せないほど強く感じるようになってしまった。背筋に震えが走り、瞼の裏には光が弾け、鼻にかかった甘えるような声が漏れるのを抑えられない。吐精するときには気が狂うと思うほど感じ過ぎて、あられもない声を上げながら腰を振り立ててしまう。
もっともっと味わいたくて尻を振り、逝っても逝ってもキリもなく次の男を求める。生まれた時からそうしていたかのように、四六時中尻の中に肉棒を感じていないと飢えて堪らない。娼館から逃げた奴隷に使われる薬だと聞いたが、これを使われると逃げ出す気力もなくなるのがよくわかった。性交なしではいられないのだ。
「ンンッ……!」
急に男が体を離したかと思うと、顔に熱い飛沫が振りかけられた。中に注げば痕跡が残るため、主人の所有物に勝手に手を出しているのを悟られないよう、領兵たちは持参した敷布の上やシェイドの体の上にそれを振り撒いた。
この嫌な臭いにもすっかり慣れて、時にはこれを嗅ぐだけで蜜が漏れる。顔に浴びて濃厚な臭いを吸い込めば、尻の中を逞しいものでぐちゅぐちゅと掻き回されている錯覚がして、蜜が勝手に零れ出てきてしまうのだ。
シェイドは体に白濁を浴びるのに合わせて、無意識のうちに空になった尻を揺すっていた。手で扱いて絞り出した領兵は、その無様な姿を嗤った。
領兵が満足すれば、最後に挑んでくるのはいつもコーエンだ。
シェイドは蕩けて潤んだ瞳で髭面の傭兵を見つめた。
「よしよし、お待ちかねだったな」
あからさまな優越感を示して、コーエンが挑みかかってきた。体を俯せに返され、腹の下に丸めた敷物が押し込まれる。シェイドは意識して足を開き尻を高く掲げて、先の二人の時よりも従順に男を迎え入れた。
「デカいのが欲しかったか? ん?」
「……ン……ッ」
入り口を浅く嬲る亀頭を待ちきれない様子で、シェイドは尻を突き出した。浅く埋められただけの塊を、自ら後ろに下がって呑み込んでいく。自分を犯す男を悦ばせようと小刻みに尻を揺さぶり、中を締めながら奥へ奥へと誘い込んでいく。その尻が、大きな音を立てて一つ叩かれた。
「この……盛りのついたメスめ! そら、望み通りお前の好きな奥までブチ込んでやるぞ!」
「ン!……ンン――ッ!」
筋の浮いた怒張が潜り込んできた。反射的に引いた体を引き戻されて、自ら巨大だと嘯く怒張が容赦なく埋まってくる。二人の領兵に思う存分犯されて腫れた肉壺は、新たに入ってきた異物の大きさに悲鳴を上げていた。なのにその悲鳴さえも、脳に辿り着くころには蕩けるような官能に変わる。怒張を根元まで収められる頃には感じすぎて、腰の下の敷物をぐっしょりと濡らすほどの蜜を零してしまっていた。
「びしょびしょにしちまって、そんなに嬉しいか。だったら、好きなだけ食いやがれ」
悦に入ったコーエンの言葉に、口が利けるならどうしてこれが嬉しいものかと吐き捨ててやりたかった。けれど白い尻がそれを裏切る。言葉の通りに自ら揺すって太いものを出し入れし、吸い付く粘膜が濡れた音を立てた。反り返った怒張に中を押し広げられ、内側から責められると屹立の根元が切なく疼く。それでもまだ足りない。
凶器のようなこの肉棒をもっと激しく出し入れされて、入り口が捲れ上がるほど乱暴にされたい。大きな雁に浅いところをたっぷり擦って高められ、昂りきって逝く時には腹の奥底を深々と突いてほしい。
その欲望を抑えきれずに、シェイドは四つん這いのまま大きく腰を振り始めた。
「淫売が……!」
罵倒ももう耳に入らなかった。腰を振ると吊り下がった胸の札が揺れて激痛が走る。その痛みさえ痺れるような疼きに変わって、下腹を甘く苦しく苛んだ。
――確かに、自分は淫売になってしまった。国王以外の男の前で裸になり、男たちの凌辱を逆らいもせずに受け入れている。しかもそれで快楽を得ているのだから、盛りのついた雌犬よりも卑しい生き物だ。
もしもこんな姿を国王に見られでもしたら……。
「……ンッ……」
想像すると、感度が深まった。下賤の男を咥えこんで善がっている自分が呪わしいのに、体の熱はどんどん高まって行ってしまう。
「くそ……ッ」
「!……ンン――ッ……ゥウウウ、ウゥ――ッ!」
冷静を装えなくなったコーエンが、腰を掴んで後ろから激しく突き上げ始めた。太く反り返った肉棒が連日の荒淫で過敏になった場所をきつく苛む。
痛みと、それに勝る法悦に襲われ、シェイドは噛み締めた布の間から絶叫にも似た嬌声を迸らせた。
「イ、ゥウウ――――ッ!……イゥウッ、イ、イッイァウウゥ――――ッ、ッ!」
「……イキっぱなしか! このメス犬め!」
罰を与えるように、コーエンが尻を何度も強打した。男を呑んだまま、打たれた尻が、ビクッ、ビクッ、と跳ね上がる。腹の奥が捩じれ、頭の中が真っ白になりそうな快感が走り抜けて来た。敷物に擦られる萎えた屹立からは蜜が糸を引いて垂れ落ちる。今日味わった中で一番深い法悦だった。
絶頂に痙攣する尻をなおも責め立て、激しく腰を叩きつける音が部屋に響いた。周りの温度が上がり、先に事を済ませた領兵たちの興奮も増していく。
――そのせいで、彼らは部屋に誰かが駆け込んでくる気配に気づくのが遅れた。
「……お前たち……!」
鍵のかかっていない扉を開け放ったのは、日が傾くまではこの部屋に来るはずのないラナダーンだった。
ラナダーンは部屋の状況を認めると目を座らせた。腰の剣に手をかけ、今にも抜いて斬りかかりそうな表情で低く唸る。
「今すぐここを出ていけ。……今すぐにだ」
その気迫と怒気に、丸腰の男たちが敵うはずはなかった。
領兵とコーエンを蹴散らしたラナダーンは、ひどく疲れた様子を見せ、悄然と寝台の端に腰かけた。
シェイドは荒い息を吐いて寝台に倒れ伏したまま、疲労の滲む横顔をひそかに観察した。
――何もかもうまくいかない。ラナダーンの浅黒い横顔はそう告げているように見える。
祖父のマクセルは仮初めと言えども北方人の頭に王冠を載せることを拒み、王権を譲るよう国王を説得しているはずのアリアは塔から出て来ない。領兵と傭兵は好き放題して統率が取れず、王都に額環を取りに行かせた部下からも何の報告もない。八方手づまりになった、と。
額環さえ手に入れることができれば、ラナダーンはこの状況を打開できる。だが、良い知らせが彼の元へ届くことはないだろう。王都までは馬で駆ければ往復に二日程だ。それがもう五日も経つのに知らせがないのは、王都へ行かせた部下が捕らえられたためだろうと、シェイドは考えていた。
『第一王位継承者を示す黄金の額環は、王都ハルハーンにあるヴァルダンの城下屋敷の中。今は亡きタチアナ・ヴァルダンの部屋の中に置かれている』――シェイドが、ヴァルダン家の詳細な間取りとともに、そう偽りを教えたからだ。
ヴァルダンの屋敷の警備が厳重なことを、あの屋敷で半年を暮らしたシェイドはよく知っている。国王が突然消息を絶った今、ヴァルダンの警備は普段よりいっそう厳しくなっているだろう。そこへ素性怪しい男たちが忍び込んで行ったのだから、見逃されるはずがない。
離宮の鳥に託した伝言がなくとも、ヴァルダンの手の者はいずれここに辿り着いていたはずだ。居所さえ掴めれば、城壁の向こうで大人しく手をこまねいているほどサラトリアは間の抜けた男ではない。そして戦神に例えられるジハードもまた、ただ諾々と大人しい虜囚のままではいないだろう。
後はただ、一度の機会があればいい。
国王が無事ここを脱出するための夜――それが、今夜だった。
「ラナダーン……」
シェイドは半身を起こしてそっと手を伸ばすと、寝台の端に腰かけたラナダーンの服の裾に触れた。
振り返った顔には微かな戸惑いが浮かんでいた。シェイドは深い恍惚を味わった後の熱っぽく潤んだ瞳で見つめ、大事なことを打ち明けるかのようにひそやかに囁いた。
「貴方にお伝えしたいことがあります。今夜にでも、私のために時間を作っていただけませんか」
否、と言われるのならそれも仕方のないことだ。ラナダーンは夜が更けてからここへやってきたことはない。きっと祖父であるマクセルの目が厳しいのだろう。その時には叫び声でも上げて、警備する兵たちの注意を引くしかない。
だがラナダーンは操られたように頷くと、裾を掴んだシェイドの手を取って慈しむように甲に口づけした。
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