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第47話 告白

 馬車は速度を落とし、ゆっくりと停止した。辺りには大勢の人の気配がする。宿場町に着いたのだ。 「ファルディアまでは長旅になりますから、ここで馬と兵士を少し休ませます。シェイド様も揺られ通しでお疲れでしょう。楽になさってください」  シェイドの背を抱き直して、サラトリアは乱れた白金の髪を指先で整えた。シェイドは無言のまま気怠そうに瞬きした。何度も昇りつめた恍惚の余韻が、未だにシェイドから言葉を奪っていた。  あの後、サラトリアは凌辱の詳細を話させるためにシェイドを翻弄し続けた。  地下牢でどんなふうに責められ、何度極めたのか。貞節を守り切れないと知って、どんな思いを味わったのか。傭兵たちに身を差し出すとき、何と言って彼らを誘ったのか。  シェイドは自らが快楽に逆らえない性質であることを思い知らされた。感じ始めると止められない。さらなる悦びを求めて、強欲に際限なく貪ってしまう。  尻を振って善がり泣くシェイドに、サラトリアはそれが自然な反応なのだと何度も囁いた。人は一人では生きられないものだ、誰かを恋い求めることは人としてごく自然な反応なのだと。  一方的に嬲られ続けるのがあまりにも苦しくて、もういっそ抱いて終わらせてくれと願ったが、サラトリアは最後の一線を超えようとはしなかった。牡の部分は張りつめていたが、サラトリアがその欲望を解放することはついになかった。 「……ファルディアまで……送ってくださるの、ですか……」  掠れた声を絞り出してシェイドは尋ねた。  ファルディアまで行くには、片道で十日、往復ならば二十日かかる計算だ。直ぐに取って返したとしても王都に戻れるのは誕生祭の直前となる。  ヴァルダン当主であるサラトリアには、国王の右腕であることを内外に示すためさまざまな準備に追われているはずだった。本来ならば、とてもファルディアまで同行している余裕はあるまい。  だがシェイドの問いかけに、サラトリアは軽く笑った。 「ファルディアでも、海を渡った北の大陸でも、シェイド様が行きたいとおっしゃるならどこへでもお供いたしますよ」  軽い口調で応じたサラトリアに、シェイドは悲しくなって目を伏せた。  こちらは本当に心配しているのに、適当に躱されたようで気持ちが沈む。やはりサラトリアにとって、自分はまともに会話するに値しない存在なのだ。  黙り込んでしまったシェイドの髪を、サラトリアの指が慈しむように撫でた。 「……懐かしいですね。初めて王宮でお会いした時も、貴方はこんな風に髪を短く揃えておられて……小さなお顔の周りで銀糸のような髪がキラキラと輝いて、まるで天上から舞い降りた花の精のように見えました」  昔を懐かしむような言葉を、シェイドは不思議に思いながら聞いた。  砦から救出された後、不揃いだった髪は顎の高さで切り揃えた。あれから少し伸びて髪の先が肩につくほどにはなっているが、この長さになったのは父王の側仕えとして奥宮殿に出仕していた頃以来だ。ジハードと初めて出会った時にはもう、髪はすでに背の中ほどまで伸びていたように記憶している。  だとすれば、サラトリアとはそれよりも前に会っているということか。  訝しそうなシェイドの様子に気付いたのか、サラトリアは顔を覗き込んで笑いかけた。 「貴方は覚えていらっしゃらないでしょうが……。元服して初めて出仕した時に、先王陛下のお部屋でお会いしました。十五年ほど前の話になります」  十五年前……と呟いて記憶を辿ったが、少年だったサラトリアのことは全く覚えがなかった。あの頃はまだ人間一人一人を区別して認識するという習慣がなかった。 「あの時から、私の心は貴方に囚われています」  突然頬に口づけを受けて、シェイドは戸惑いに目を瞬いた。  一瞬押し付けられた温かい唇。『奪う』のでもなく『使う』のでもなく、ただ『与えられた』温もり。  今起こったことを確かめるように、指で口づけされた頬に触れるのを見て、サラトリアの端正な顔が切なく歪んだ。想いが堰を切ったように、頬に触れた手を取り、その甲に恭しい口づけを落とす。 「シェイド様……どうか、私の伴侶になってください。ずっと前から貴方を愛しています。貴方が国王陛下と出会うずっと前から」  呆然として、シェイドはサラトリアを見つめた。  告げられた言葉を何度頭の中で反芻しても、意味が浸透してこない。それは貴公子が美しい姫君に言うべき言葉のはずだ。薄汚れた北方奴隷崩れに与えられるような言葉ではない。  戸惑いを隠せないでいるシェイドに、サラトリアは焦れたように言い募った。 「私は貴方に求愛しているのです。どうか、これからの時間を私とともに過ごしてください。決して後悔はさせません」 「……公爵……私は……」  ――私は、ジハードのものです。  そんな言葉が思わず口から零れそうになって、シェイドは言葉を呑み込んだ。貞節を守れず何人もの男に穢された身で、そんな言葉を口にする資格はもうない。そしてサラトリアの求愛を受けるような資格も当然ないのだ。 「私が……何をされたかを、ご存じでしょう……?」  馬車の中で洗いざらい白状させられた。性に奉仕する家畜のような扱いを受けたことも、そうされて悦びを抑えきれなかったことも。  見目麗しい奥侍従が褒章として功績を上げた臣下に下げ渡されることは確かにある。だが、シェイドはもはや奥侍従でさえない。サラトリアはそうしたければいつでもシェイドを組み敷き、力で制して犯せばいいのだ。きっとジハードもそれを咎めたりはしないだろう。  視線を合わせようとしないシェイドの顔を仰向かせ、サラトリアはまっすぐに見つめてきた。  ウェルディリア人としては彫りが浅く色白な青年の顔には、いつもの柔和な笑みさえ浮かんでいない。淡い褐色に緑が散った不思議な色合いの瞳が、シェイドの心の底まで覗き込むように見つめてくる。強い意志を感じさせるまっすぐな視線だった。 「私の心は変わっていません。貴方が何をされ、どんな扱いを受けたのだとしても、私にとって愛しく大切な方であることに変わりはありません。愛しているから、苦しまれるのを見るのが辛い。私は貴方に少しでも幸福でいて欲しいのです」  サラトリアの言葉は誠実に響いた。今まで聞いたどんな言葉よりも自然に、胸の奥まで沁み込んできた。  それは砦の中でシェイドがジハードに対して抱いたのと同じ思いだったからだ。  例えジハードが何者として生まれたのだとしても、その魂の眩しさにシェイドは惹きつけられたに違いない。シェイドにとって、ジハードは永遠に愛しく大切な相手だ。  だからこそ、自分を愛したために苦しむ姿を見たくはなかった。世継ぎを得られず苦悩する未来も見たくない。ジハードには曇りのない栄光の中で、ずっと輝き続けていて欲しかった。――そのためには、側に自分が居ては駄目なのだ。  愛しい相手に想いが向きかけるシェイドを、サラトリアは言葉で引き戻す。 「貴方はきっと、私の事をあまりご存じないでしょう。私を見て、もっと知ってください。貴方は過去を忘れなくてもいいし、私を愛せなくてもいい。ただ、共に過ごす時間の中で貴方が幸せを感じてくださったら、私はその十倍も百倍も幸福なのです」 「……公爵……」  魂まで奪い去られるようなジハードの愛し方とは全く違う、サラトリアのそれは与える愛だ。シェイドは微かに痛みの残る左胸をそっと押さえた。  奴隷の証はサラトリアの手で取り除かれた。馬車はシェイドの望み通りファルディアへと走っている。責め問いされて恥辱の何もかもを白状させられた時は苦しかったが、全てを吐き出したせいか今は心が軽い。そして砦での出来事を全て知ったうえで、サラトリアは受け入れると言ってくれているのだ。  忘れることも割り切ることもできないが、いつかは過去の事として気持ちの整理をつけることができるのだろうか。手を震わせながらも、平静を装って見せたフラウのように。  ちょうどその時、馬車の扉が外から叩かれた。全裸のシェイドに掛物を被せて、サラトリアが応対する。扉の外の兵士と短いやり取りをした後、戻ってきたサラトリアの手には皮付きのまま茹でられた芋と豆の皿があった。 「馳走とは申せませんが、今の時期の実りだそうです。一緒にいただきましょう。旬の物には大地の力が宿っていると言いますから」  まだ湯気の出ている芋を、サラトリアは手で割って寄越した。鼻を近づけると微かに土の匂いがする。  受け取ったシェイドはそれを口に含み、味わうようにゆっくり咀嚼した。味は何もついていなかったが、温かいものを噛み締めていると素朴な甘みが感じられた。 「……美味しい……」  驚きを込めて、シェイドは息を吐き出した。  白桂宮にいた頃は、どれほど手を尽くした食事を出されても喉を通らなかったというのに、何の抵抗もなく食べられるのが不思議だ。これはサラトリアに全てを受け入れて貰えたからだろうか。  サラトリアの言うように、確かに自分は傷を負っていたのだろう。拗らせて膿を溜めた古傷だ。痛みを伴いながらもその傷を開き、悪いものを出し切ったせいで、傷はやっと回復に向かっているのかもしれない。  ただ茹でただけの芋が生かす力となって、全身に満ちていくように感じられた。 「しっかり召し上がってください。貴方は少し痩せ過ぎです。……そんなことでは、ファルディアまでの道中で私に襲われても逆らいきれませんよ」  おどけた様子でサラトリアが言う。昨日までならこの言葉も、見下され馬鹿にされているのだとひどく腹立たしかっただろう。  けれど今は、サラトリアが心から案じてくれているのが伝わってきた。 「公爵に襲われて逆らえる人間は、そう多くはいないでしょう。でも、貴方は望まぬ相手を襲うほど不埒な方ではありませんから」  そのつもりがあるのなら、サラトリアはもう自分を組み敷いているはずだ。足に触れるサラトリアの昂ぶりは、時折獰猛に存在を主張する。それを抑えているということは、初めから無理強いするつもりはないのだろう。  幾分気安い調子で牽制するように応じたシェイドに、サラトリアは笑みを深くした。 「では覚悟なさってください。襲わずとも貴方の方から私を求めてくださるように、熱烈に求愛いたしますから。ファルディアに着くころには貴方はきっと私の虜ですよ」

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