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第53話 神饌:ウェルディの系譜②

 上王は王位継承権を放棄した。  それと同時に二君主制の廃止と上王位の返還も申し出たが、年若い新王の専政を怖れた貴族たちが嘆願し、その件は見送られた。無論、先頭に立って反対したのはラナダーンだ。  上王は前王葬送の儀と新王即位の儀には参席したものの、以後は白桂宮に引きこもり、誰とも顔を合わせようとしなかった。助言を求めれば書面で応えてはくれるが、公の場に姿を現そうとはせず、宮廷は光を失ったようになった。  ――宮廷は偉大な導き手であった前王を喪い、上王も姿を隠した。  ヴァルダン公爵をはじめ、政治に直接かかわる重臣たちは新しい王を盛りたてようとしてくれるが、力不足は否めない。亡き父王はまだ壮年と呼べる年齢で、これほど早く代替わりが行われるとは予想もしていなかったからだ。  父の業を引き継げば継ぐほど、その力の偉大さ、先見の明をまざまざと実感させられる。何かを予感していたのか、議事録の写しにはすべて父王の細かな所感が書き込まれており、進むべき道を示してくれてはいたのがせめてもの幸いだ。  その道標があったにしても、ラナダーンにとっては政治も外交術も、先日までは学ぶべき学問でしかなかったものだ。それが現実の責務となって圧し掛かってきた今、腹を据えてかかれるほどの胆力はラナダーンにはまだ備わっていなかった。  今の自分には、上王の助力なしでこの国の舵取りをしていくことは不可能だ。  ラナダーンはそう考え、政務の合間を縫っては白桂宮に足を運んだ。  即位式の後、いったい何度ここに足を運んだだろう。  数日に一度は通っているというのに、明るい髪色をした侍従長は、ただの王子であった時と同様、王となった今もラナダーンをホールより先に迎え入れようとはしなかった。  ――会えぬ日が続き、もしや体調でも崩しているのではと思い始めた頃だった。  いつものように白桂宮を訪れたラナダーンを迎えたのは、いつもの侍従長ではなく見覚えのない従者だった。  従者は面会を申し込んだラナダーンを、宮の奥へと導いた。    導かれるままホールから奥へと進むうちに、この宮で過ごした幼い頃の思い出がラナダーンの脳裏に次々と蘇ってきた。  元々ここは、ジハード王の正妃となったタチアナのために建てられた宮だった。王族の住まいとしては全体に小さいものの、中の拵えは格の高いものだ。  季節ごとに咲き乱れる花の中庭。廊下を飾るいくつもの絵画。足元には精緻な模様を描き出した織物が敷き詰められ、広い書斎は様々な本で埋め尽くされている。病弱な正妃の無聊を慰めるためのものだったようだ。  父王が大柄な男だったにも関わらず、この宮の調度品は全体的に小振りなものが多い。特に食堂のテーブルは小さくて、父王と上王がいつも肩を寄せ合うように食事を摂っていたのが印象的だ。余程親密な相手とでなければ、こんな小さな食卓で食事を共にするのは気づまりに違いない。  父王は亡くなった正妃を心から愛していたのだろう。しかし、たった半年ほどで正妃は亡くなり、その後迎えたラナダーンの生母も産褥で亡くなった。  結局この宮は上王が使うことになり、産まれたばかりで母を亡くしたラナダーンも元服まではここで育てられた。だが考えてみれば奇妙な関係だ。  異国風の姿を持つ妾腹の兄と、ウェルディの現身のような弟。長子でありながら王位から遠ざけられた庶子と、その兄を第一王位継承者に定めた正統なる王。――通常ならば王位を争う間柄のはずだ。  なのに、父王は『上王』という地位を作ってまで二君主制を導入し、上王はその地位に固執することなく、王位継承権も放棄している。  複雑な事情があったのだろうと今なら察せられるが、ラナダーンの知る限り、父と伯父とは不思議なほど仲の良い兄弟だった。  懐古しながら進むラナダーンは、小宮殿の中で最も奥まった部屋へと案内された。王族の部屋としてはかなり小さな部屋だ。  来客用の部屋でないことは、調度を見ればわかる。上王の私室だろう。  ここで待つよう案内されて、ラナダーンは戸惑いながら二人掛けの椅子に腰を下ろした。  案内の従者が去ってから、ラナダーンは物珍しげに部屋の中をぐるりと見まわした。この宮の装飾は決して華美ではないが、凝ったものが多い。ラナダーンは部屋の四隅を飾る柱に目を向けた。  白い大理石でできた柱には、天へと蔓を伸ばす葉が見事に浮き彫りにされている。  葉の上で憩う小鳥たち、羽を広げた蝶、実をいっぱいに抱えた栗鼠、そして雪を積もらせた大きな蕾。  描かれているのは『シェイド』の葉と蕾だ。柱の中央には花を活けるための窪みが作られているが、秋口に差し掛かろうという今は、落ち着いた色合いの秋の花が飾られていた。  忙しさに紛れて季節を感じる暇もなかったが、もう夏も終わったのだなと、ラナダーンは花を見遣った。窓を覆う布も、既にこれから来る寒さを遮るために厚いものに変えられている。痩せ気味の上王は北方の血を引くくせに寒さには弱かったので、もうすぐこの宮の暖炉には火が入れられるだろう。  今はまだ片づけられたままの暖炉に目を向けた時、ラナダーンは男物の上着が椅子の上に投げ置かれているのに気づいた。  無造作な様子で置かれているが、金糸で刺繍を施した立派なものだ。格式で言うならば公爵位あたりだろう。家紋までは判別できないが、上王のものでないことは確かだ。  と、その時。ラナダーンはどこからか人の声がすることに気が付いた。  押し殺した声は途切れがちに何かを訴えている。ラナダーンは息を詰めて気配を殺しながら、声の聞こえてくる方向を探した。  それは、隣の部屋へと続く扉からだった。  近づけば、扉が少しばかり空いたままであることがわかった。声はそこから流れてくる。  ラナダーンは足音を忍ばせて扉に身を寄せると、静かにゆっくりとその扉を押し開いた。 「……ぁ……ぁあ、あ……ッ……もう……ッ……」  啜り泣いて哀願する声に息が止まりそうになった。  少年のように澄んだ声は、聞き違えるはずもない上王のものだ。扉の隙間をじわじわと広げる。隣は上王の寝室であったらしく、天蓋のついた大きな寝台がまず目に入った。  寝室の窓には薄い綾織の布が掛かっているだけで閉じられてはいない。そこから差し込む真昼の光が、室内を鮮明に照らしていた。  部屋の中央にある寝台に、人影が二つ。  こちらに背を向けて膝を突く人物は、上半身を寝台の上に伏せ、両腕は傍らの男に背中で一纏めに握られているようだ。衣服の裾が大きく捲り上げられ、白い臀部と床に膝を突く腿が露わになっている。 「ぁあ!……あぅ!……ひぃん、ッ! やめ……ッ」  引き攣った悲鳴は、かすかに媚びるような艶をも含んでいる。心底嫌がっているだけではなく、官能に酔ってもいるのだ。  寝台に腰かけたもう一人の男は、片手で相手の両手を拘束し、残る手で何か棒のようなものを握っている。その棒が震える白い尻肉の中に埋められるたび、啜り泣くような甘い悲鳴が寝室に木霊して、ラナダーンの心を居ても立ってもいられぬほど搔き乱した。  ラナダーンにももうわかっていた。  床に膝を突き、剥き出しの尻に淫具を突き入れられて啼くのは上王だ。そして涼し気な顔で国王にも等しい存在を辱めるのは、亡き父王の盟友でもあったサラトリア・ヴァルダン公爵だった。 「やめて……もう、も、ぅやめて……ぁ、ぁあ……」  制止を乞う、弱々しい声。扉を大きく蹴り開けて、今すぐにでも飛び込んでいくべきだと思うのに、体が動かない。  穢れなき乙女のような清廉な伯父が、臣下にすぎぬ公爵に組み伏せられ、淫らな責めに鳴いている。その妖しい光景から目を放すことができないのだ。  黒々とした淫具は石を磨いたものだろうか。適度な反りを持つそれは、まるで隆々とした男の欲望そのものだ。  生々しく象られた亀頭が肉襞を押し分けて尻の狭間へと潜り込み、根元まで押し込まれるたびに高い啜り泣きが漏れる。だがそれが抜けていこうとするときには、白い尻と腿は吸い付くように蠢いて、出ていってくれるなと縋りついているのが見えた。  あんな下劣な道具で尻を犯されて、上王は女のように悦んでいるのだ。  ゆっくりと抜き差しする動きが、徐々に速さと激しさを増していく。淫具が出入りする濡れた音までがラナダーンの耳に届く。それと重なって徐々に高まっていく、上王の喘ぎも。 「……あひ、ひぁあああぁ!……あぁんッ、やめて、そこはだめぇ……い、ひゃぅううッ……」  あられもない善がり声が上がった。それを待っていたかのように、淫具の動きはさらに大きくなる。  腹の奥で石の男根をぐりぐりと揺さぶられて、白い尻がいやらしく悶えた。悲鳴と息遣いが切羽詰まったものへと変わっていく。切れ切れの哀訴は徐々に悦びの色に塗り潰され、それに呼応するように白い内股がブルブルと震える。  びく、びく、と二度ほど大きく、玩具を咥えた尻が跳ね上がった。次の瞬間――。 「……ぁあああ――ッ……」  ついに堰を切ったように、まごうことなき絶頂の叫びが放たれた。 「……アッ……ァア――――……ッ!……いい、ああぁ……いいぃ――……」  噎び泣く声、淫靡に揺れる腰。  石の男根に犯されて、恍惚の頂へと止め処もなく昇り続ける声がラナダーンの耳に刺さる。  あの気高く美しい上王が、尻を振って女のように逝き続けている。臣下の前で奴隷のように跪いて、もっと嬲ってくれと言わんばかりに尻を高く突き上げながら――。  満足そうに獲物を見る公爵が、不意に扉の方へと顔を向けた。ラナダーンは慌てて、弾かれたように扉から身を放した。 「ああぁ……ジハード……ッ……ジハードッ…………」  空いたままの扉の隙間から、亡き父王の名が漏れてきた。何度も、何度も。  叫んでしまいそうな口を掌で押さえ、ラナダーンは上王の私室を後にした。  全身が汗ばみ、体が熱い。  今見たものは何だったのだろう。あれは本当に気品溢れる上王だったのだろうか。  男の片手で包めてしまいそうな小振りな尻は、磁器のように白く柔らかそうだった。その尻肉を左右に開かれ、禍々しい玩具を押し込まれて、跳ね上がるようないやらしい動きでそれを迎え入れていた。  慎みの欠片もない、雄を誘う動き。人を惑わせ、欲望を煽り立てる、掠れた嬌声――。  白桂宮のホールまで出てきて、ラナダーンはやっと人心地ついたように大きく息を吸い込んだ。涼しさを帯びた外の空気が胸を満たす。だが、浄められたような気持ちには少しもなれなかった。  下腹で若い欲望がジンジンと熱を持って疼いていた。  今からでも引き返して、あの寝室に飛び込んでいきたい。公爵の不遜を断罪するためではない。あの白い体を組み敷いて滾ったこの欲望を突き入れ、さらなる悦びの声を上げさせるためだ。作り物の道具と生身の若い男、どちらの方がいいのかと問い詰めるためだ。  ――上王を女のように征服する。ラナダーンは自身が抱いていた欲望を自覚した。  ラナダーンが抱いていた想いは、肉親の情でも敬慕の念でもない。女を奪うように力でもってあの肉体を制し、光り輝く髪の一本までもを己のものにするという、雄の欲望だった。  他の誰よりも相応しいはずだ。ラナダーンはこの国で最も尊い血を持つ国王なのだから、許されてもいいはずだ。 「……国王陛下」  立ち去りがたくて、ホールで懊悩するラナダーンに、密やかに声をかける者があった。白桂宮侍従長フラウだ。  前王の信任厚く、今もこの宮の全てを取り仕切る壮年の侍官は、掌に収まるほどの小箱をラナダーンに差し出した。 「どうぞ、これを。陛下の執務室の奥にある、戸棚の鍵にございます」  寝室で行われている姦淫などとっくに承知なのか、北方人の血を引く侍従長の顔は憎らしく思えるほど静謐だった。  問いただしたいことは山ほどある。  あれはなんだ。公爵はなぜ上王の私的な場所に入り込んでいる。亡き父と上王とは、真実はどのような関係だったのだ。  ――しかしそのどれも口にすることなく、ラナダーンは息を収めて差し出された箱を手に取った。  王の執務室は二間続きになっている。  ラナダーンは午後の政務を取りやめることを従者に告げ、人払いを命じた。  普段政務に使用している部屋を抜け、その奥にある小部屋へと足を踏み入れる。ここは執務の合間に休息をとるための部屋だが、前王は一人で草案を練る時などはこちらのほうを主に使っていたようだ。  小さめの机の上には、使い古した筆記具が整然と並んでいる。正面の壁には二枚の肖像画。一つは若い父王が私的な装いで上王と並び立っているもの。もう一つは、正妃タチアナとの婚礼を描いた壮麗なものだ。絵の横にはタチアナ妃が身につけたという婚礼衣裳が飾られていた。  ラナダーンは二つの肖像画の間に置かれた棚に足を進めた。  辞書や歴史書、法令書や地図などが仕舞われた棚だが、一つだけ鍵が掛かって開けられない引き出しがあった。鍵の存在を誰も知らなかったため、忙しさに紛れて放置していたのだが――。  ラナダーンは侍従長から渡された鍵を鍵穴に差し込んだ。噛み合う感触とともに、鍵が回る。  滑りの良い引き出しを開けると、中には革で装丁された一冊の本が鎮座していた。  薄く纏う埃を手で払い、椅子に座って表紙を開く。  『ウェルディの系譜を継ぐ者へ――』  父王の力強い筆跡が語り始めた。

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