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先生と話したり絵のアドバイスをもらったりしているうちに、すっかり暗くなった。部活をしていた生徒達の声も気づけば聞こえなくなっていた。 「うわっ、もうこんな時間か!すみません、長居してしまって」 「俺は大丈夫だよ」 慌てて荷物を片付け、帰る支度をした。先生との話に没頭していて、時間の流れを忘れていた。スマホで電車の時間を確認する。今から30分後か。走れば間に合う。これを逃すとさらに1時間待たないといけない。田舎町だから仕方ない。 「赤坂くん!」 鞄を持ち急いで美術室をあとにしようとすると、先生に呼び止められた。 「今日は暗くなったし、送っていくよ」 「えっ!?そんな、大丈夫ですよ!」 先生は車通勤だ。暗いとはいえ、俺は男だし暗い道を歩くくらい慣れている。それに、俺のせいで遅くなったんだし、先生の世話になるのは申し訳なかった。 「元々俺が居座ってただけですし……」 「いいよ。俺も今から帰るし、家まで送るよ。ここから遠いんだよね?」 車の鍵を手に、先生はほんの少し笑った。ホントに先生は優しい。拒否し続けるのも悪いと思い、俺は先生の優しさに甘えることにした。 「すみません、ありがとうございます……」 結局、俺の家の近くまで送ってもらうことになった。先生の車は黒色の普通車。運転席に座るその横顔は、夜の暗さや街灯と相まってかなり様になっている。黒髪から覗く切れ長の瞳は真っ直ぐと前を見つめている。これで独身なのが信じられない。 車内は柔らかい芳香剤の匂いがする。流石は大人な橙堂先生だ。助手席に座りながら、俺は何だか落ち着かなかった。 「赤坂くんにだけだよ、こんなことできるの」 「えっ……」 先生は運転しながら一瞬こちらを向き、人差し指を唇に当てた。そしてまた前を向いた。なんて色気のある大人だ。男の俺でも少しドキッとしてしまった。 「他の部員は女の子ばかりだからね。流石に女の子と車内で2人きりは危ない」 「確かに犯罪臭がしてしまう……。でも、あいつらなら喜ぶと思いますよ。あいつらみんな先生のファンですから」 「ははは、そうかなぁ」 そう言って先生は軽く笑った。あの女共は先生と2人きりになったら鼻血を出しそうだ。今日の話をしたら羨ましがるかな。いや……この話はあいつらにはしないでおこう。「その後どこ行ったの!?ホテル!?」「どこまでヤったの!?」などと尋問される光景が目に浮かぶ。 「家族以外の車に乗るなんていつぶりかなぁ」 「人の車なんて乗る機会めったにないよね」 「そうなんですよ。最後に乗ったのは中学の時かもしれないです」 「それは結構前だね」 その後は会話が途切れ途切れになった。夜の静けさが余計に先生のミステリアスな雰囲気を醸し出している。黒井とはまた違う不思議さがある。 沈黙は気まずいことが多いけど、先生とはそんなに感じなかった。先生は元々口数も多くない人だし、俺も四六時中喋るタイプでもない。 こういう時、運転手が黒井だったらどうなるだろう。俺の話をゆっくり聞いてくれそうだな。たまに抱き着いてきたりして危ない運転になりそうな気もするが。じゃあ、黄崎だったら?うるさそうだなあいつ。アホな自慢話をするか、俺をバカにするか。あと運転も荒そう。片手ハンドルとか。 そんなことを考えつつぼんやりと外の景色を眺めていると、途端に眠気が襲ってきた。いつもの電車から見える風景と違うとはいえ、自分の家へ向かっている道中だから、ある程度見慣れた世界だ。何だか懐かしい感覚に陥り、次第に瞼が重たくなってきた。 ―――― 何もない真っ白な空間。とても心地よくて温かい。そこに1人佇む俺。何かが俺に触れていた。その何かがわからず、辺りを見渡すけれど誰もいない。 何だろう、この感覚は。誰かに触れられる感触があるのに、思考が麻痺して上手く言葉にできない。何だ……一体、誰…………? ―――― はっと、目が覚めた。目の前にいるのは、橙堂先生だった。俺の髪に触れ、至近距離で見つめている。 「うわっ!せっ、先生!」 こんなに近くで先生を見るのは初めてだ。遠くから見ても綺麗だけど、近くだと余計整っているんだと実感した。目の下の泣きぼくろがセクシーに感じる。 俺がびっくりしていると、先生は平然とした様子でゆっくり俺から離れていった。 「ごめんごめん、家の近くに着いたから起こそうと思って」 ああ、そうか。俺はうとうとして先生の車の中で寝てしまってたんだ。どんだけ爆睡してたんだ、俺。 もう家の付近まで来たらしい。車で送ってもらっておいて寝てしまうなんて……。 「すっ、すみません、寝ちゃってて……」 「いいよいいよ、それだけ疲れてたってことだね。今日はゆっくり休んで」 「はい、ありがとうございます」 俺は自分の荷物を持ち、改めて先生にお礼を言った。 「何から何までありがとうございました」 「どういたしまして。気をつけて帰ってね」 「はい、先生も気をつけて夜道を走ってくださいね。この辺は特に道が危ないので」 「ははっ、暗い道の運転はいつもやってるから大丈夫だよ」 昔はもっと危ない運転してたから、と先生は笑った。この人、実は昔暴走族だったとかじゃないよな?結構ヤンチャなタイプだったのかもしれない。 「流石、先生は余裕ですね」 そう笑って俺は車から降り、静かにドアを閉めた。そして一礼して背中を向けた。しんとした空気に虫の声が響き渡る。 展覧会の絵か。久しぶりに絵の具やらスケッチブックやらを引っ張りださなきゃな。ホコリ被ってそうだな。帰って早速やってみるか。俺は伸びをした後、家に向かって歩き始めた。

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