32 / 37

大人だから(橙堂 side)

「で、菅原《すがわら》さんと赤坂が似てて襲っちまった、って訳か」 俺の向かい側に座る男がそう呟いた。頬杖をついてニヤリとしている。 「いや、襲ってはない。襲いかかったが正しい」 「普段冷静なお前が珍しいな」 男はそう言って笑った。彼の名前は鳴海《なるみ》宗佑《そうすけ》。赤坂くんの担任かつ俺の同僚だ。宗佑は頼りになる存在で、この気持ちを唯一打ち明けられる人物だ。 ちなみに菅原というのは和臣の苗字だ。宗佑と和臣は、俺が和臣と付き合っている間に何度か会ったことがある。 赤坂くんを見送った翌日、俺は宗佑を誘って居酒屋に来ている。彼と2人で飲むのは久しぶりだ。飲む、といっても俺は酒に弱いので飲んでるのは宗佑だけ。 「それにしても、輝が飲みに誘うなんて驚いたよ。めったにないじゃん?いつも俺からだし」 「そうかな。まあ俺飲めないしね」 「その代わりさっきからずっと煙草吸ってるな」 「これが俺にとっての酒なんだよ」 別に煙草が美味しいとは感じないが、気づけばいつも吸っている。完全にニコチン依存症だな。 「もはやつまみより煙草を嗜んでるよな、お前」 「そうかも」 宗佑は和臣との件も知っているし、赤坂くんへの好意も理解している。そしてそれらのことを秘密にしてくれる。 今日は何だか、彼と話したい気分だった。こんなこと、こいつ以外に言えない。 「赤坂って、普段は落ち着いていて真面目なんだけど、どこか抜けてるところがあるんだよな。頭いいし暗記も得意なのに、今日の朝飯何食べたかは忘れてたり」 「確かに自分でも物忘れが酷いって言ってたね。そういう一面も可愛いんだけど」 実際、彼は俺の名前を覚えるのに苦労してた。ヒョウドウ先生とか言われたりもしたっけ。認知症ってあだ名がつくレベルらしいけど、悪気がないことはわかっている。 「それに、あいつ面倒くさがりなところもあるけど、何だかんだ親切なんだよなぁ。前は雨でびしょ濡れになったクラスメイトに体操服を貸してやってたよ」 宗佑の言う通り、赤坂くんは優しい。見返りを求めている訳でもなく、無意識で人に優しい言葉をかけたり行動に起こしたりする。そこが和臣と似ていて、俺は惹かれてしまったんだ。 「2人きりの車で爆睡するなんて、天然タラシだな赤坂は。俺だったら襲ってるかも」 「髪に触れたりしたから、ギリギリアウトな感じもするけどね」 「ギリギリセーフだよ。まあ、赤坂もお前に気を許してるから寝ちまったんだろうな。とはいえ、好きなやつにそんな無防備なことされたら我慢できねぇな」 「もし最後まで手を出してたら、俺は間違いなく懲戒免職だよ。それに、大人だからな。流石にそこまではしないよ」 「PTAから苦情来ても面倒だしな」 そう2人で笑い合った。赤坂くんを襲ったりしたら俺の教師人生どころか人生そのものが終わる。生徒だし未成年だし色々問題がありすぎだ。 確かに、俺は赤坂くんに想いを寄せている。けれど彼に告白しようとか付き合おうとか、そんなことは一切考えていない。和臣と別れた日から、俺はもう誰とも恋仲にならないと決めていた。ただ終わりが来るまで想い続けるだけだ。 「本当は想うことすら禁止なんだけどな」 相手は学生。俺みたいなオッサンが恋をするのはあまりにも身分違いだった。 小さく息を吐く。宗佑は残りの酒を飲み切ると、急に真面目な顔つきになった。 「俺は教師として……赤坂の担任としては、お前に『赤坂と付き合えよ!』とは言えない。教師と生徒の関係は、簡単に崩せるもんじゃない。でも、1人の男として、俺はお前の想いを肯定する。たとえその不安に耐えきれずに教師を辞めたとしても、どの選択をしても、俺はずっとお前の味方だ」 宗佑は穏やかに笑った。俺達は教師。生徒に手を出すことは許されない。立場ってやつがある。それを宗佑はわかっている。その上で、俺の気持ちを支えてくれる。彼は昔から情に厚くて思いやりがある。だから俺は彼を深く信頼している。 「こんなこと言うのはあれだけど、世の中には配偶者や子供もいながら、何も悩まず平気な顔で不倫するやつもいる。色んな女をたぶらかして夜な夜な遊ぶやつもいる。お前の想いは純粋で綺麗なものだよ」 宗佑の笑顔はいつ見てもほっとする。この想いに悩むこともあるけど、せめて彼を好きでいるだけなら……。そう願うばかりだった。 「ありがとう」 いつまでも忘れられない和臣の姿と、昨日美術室で無邪気に笑ってくれた赤坂くんの姿が、俺の中でせめぎ合っていた。

ともだちにシェアしよう!