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スケッチブック(黄崎 side)
「お疲れ!みんな集合ー!!」
「はい、部長!」
オレが呼びかけると、剣道部員達は練習を止めオレの周りに集まった。この夏で3年生が引退し、オレはめでたく部長に選ばれた。ずっとなりたいと思っていたから嬉しかった。夏休み中もほぼ毎日のように部活に精を出している。
部活中は色んなことを忘れられる。だが最近は赤坂や黒井のことが頭に入り込んでくる。マジで鬱陶しい。特に黒井に関してはあの憎たらしいくらいに綺麗な顔と、赤坂への異常な愛を思い出す。それを振り払うように、オレは毎日竹刀を振り回していた。
部活が終わり水を飲もうと外に出ると、そこにはなぜか赤坂がいた。思いもよらぬ登場に心臓がビクッと動いた。後ろ姿であいつだってわかるなんて……重症だな。何やら地べたに座り込んでいる。体調でも悪いのか?
オレは背後からゆっくり近づいて声をかけることにした。
「おい」
するとやつは振り返った。手にはペンとスケッチブックを持っている。
「あ、黄崎」
「何だお前、絵でも描いてるのか?」
「う、うん。下手なんだけどな」
後ろから覗き込んでみる。どうせ幽霊部員の帰宅部なんだから大したことないだろう……と思いきや、そこに映ったのはモノクロで描かれた綺麗な花だった。
「お前に見られるのは恥ずかしいな……」
少し俯きながら赤坂はそう言った。何だよ……下手くそってバカにしようとしたのに……こいつ結構上手いじゃねぇかよ……。オレは全く絵が描けないからよくわからないけど、花びらひとつひとつが丁寧だし、濃淡が上手く表現されている。こいつがこんな絵を描くだなんて信じられねぇ。
「……上手いな」
「ま、マジ!?」
「オレは嘘なんて付かねぇよ」
自然に出た言葉に対して、赤坂はみるみる頬を緩ませていった。
「嬉しい……。俺、画力には自信なかったからさ……。しかも黄崎に褒められるなんて余計に」
「このオレ様に褒められて舞い上がってるのか、お前」
「だって、お前ってめったに褒めないじゃん?だから、少しは胸張っていいのかなって」
赤坂はガキのように純粋な笑顔を浮かべていた。……チッ、んな顔見せてんじゃねぇよ!いつもは人寄せつけないようなピリピリした顔してんのにさ……。こいつといると調子が狂いそうだ。
「ふんっ、だからって調子に乗るなよ?オレはめそめそしたやつが嫌いなんだよ。できない自分が嫌ならさっさと努力すればいい。お前に喝を入れるために褒めてやっただけだ」
「……はいはいどうも」
やつはまた元の表情に戻った。……ったく、赤坂の野郎はオレの気持ちをいつも騒がしくさせる。困った男だ。
そういや、こいつはこんなところで絵なんて描いて、何があったんだろう。美術部とはいえ幽霊部員だろ?
「幽霊部員が絵を描くとはどういうことだ?」
「それが、秋にある展覧会に向けて、絵を用意しないといけなくて……」
「へぇー、それで描いてるって訳か」
「うん。最近はちょこちょこ部活に行って、先生に絵の描き方とか教えてもらってるんだ」
あの幽霊部員が部活に行っているという。珍しいことがあるもんだ。
美術部の顧問って……ああ、あの静かなセンコーだよな。橙堂っていう。1年の頃美術の授業受けたことあるけど、すげぇ楽だった記憶がある。絵が下手なオレでも割といい評価付けてくれてたし。そういやあのセンコー、この前教室に来てたな。赤坂と喋ってたけど、たぶん部活のことだろう。
確か未だに独身って聞いたな。「実は変態」とか「DVがやばくて女に逃げられた」とか色んな憶測は聞いたことあるが、まあまあかっこいいくせに何で結婚しねぇんだろ。興味もないのかもしれないな。
「……じゃあ」
オレは赤坂の前に立ち、持っていた竹刀を突きつけた。
「オレのこと描けよ」
「えっ……?」
「だから、オレを描いて練習しろっつってんだよ!」
こいつがどんなふうにオレを描くのか。こいつの目にオレはどう映っているのか。それが知りたい。そう思い、大胆な発言をした。
一方の赤坂は目を丸くさせた後、静かに頷いた。
「わかった」
自分で言っておきながら、オレはきょとんとしてしまった。まさか本当に描いてくれるとは思ってなかったから……。
「少し時間かかるけど、いい?」
「ああ」
どんなポーズにしようか迷ったけど、普通に立っている姿にした。竹刀を握る手が汗ばむ。暑いから、だけじゃねぇな……。
赤坂は真剣な眼差しでオレを見つめている。それが恥ずかしくて目を逸らしたくなる。いつもは何も興味なさげな顔してるのに、今は火が灯ったような目でスケッチブックとオレを交互に見ている。こいつのこんな顔は初めてだ。
夏の夕暮れ。生徒の下校中の声や部活の声と、赤坂のペンを動かす音が微かに木霊する。余計に緊張感が高まり、じっとしてられねぇ衝動を懸命に抑えていた。
「あーっ、やっぱり人物って難しいな〜!」
赤坂は伸びをしながらそう言った。恐る恐るスケッチブックを見てみると、なかなかにかっこいいオレの絵が描かれていた。
「……悪くねぇな」
「そうかな?ありがとう」
15分から20分の間でここまで完成させたのは素直にすごいと思った。あんまり褒めたくねぇから黙っておくが。本当は礼を言うべきなのはオレなのに。
「かっこいいやつを描くのはかなり難しいわ」
「そうだろ?オレ様はかっこいいからな」
「それに、剣道の道着を着てると余計様になってるから、再現するのに苦労したよ。これはぜひともプロに描いてもらいたいな。実物のお前はホントにかっこいいから、プロの手で描いて欲しいよ」
横ではにかむ赤坂。何なんだよっ!いつもは「自分でかっこいいとか言うなよ」って言うくせして、今日は無駄にオレの容姿を褒めてきやがる。頭に来る。顔が熱くて仕方ねぇ。
それに、少しは自分に自信持てよ。勉強といい絵といい、ちょっと謙虚すぎるんだよこいつは。お前は……結構頭いいし、絵も上手いし、顔も悪くないし……オレに文句言いながらも、何だかんだ優しくて……ああもう!イライラする!!
「いてっ!お前竹刀で頭叩くなよっ!」
「うるせぇ!お前はいちいち褒めすぎなんだよっ!」
「だっていつも自分で言ってるじゃねぇか!」
「〜〜〜っ!!」
「おいっ!痛いから叩くのやめろ!!」
照れ隠しにオレは赤坂の頭を叩いた。こいつは面も身につけてないからホントはしちゃいけないんだけど……この感情に戸惑って思わず軽く叩いてしまった。でも、お前が悪いんだからな。
次の瞬間、赤坂が腕を掻きむしり始めた。
「――って、こんなとこにずっといたら蚊に刺されまくったわ!痒っ!」
「そりゃ夏の外は蚊が多いわな」
「黄崎は刺されてないのか?」
「あいにくオレは刺されにくいんだな」
「羨ましいわ……俺なんかめちゃくちゃ刺されてしまった……」
少し申し訳ない気がした。オレが絵を頼んだせいで刺されてしまったから……。
「ちょっと待ってろ。鞄の中に虫刺されの薬あるから取りに行ってくる」
「えっ、ホントに!?助かるわー。つかよく常備してるな」
「そりゃあオレは陽キャで色んなダチとアウトドアなことするからな!ちゃんと鞄に入れてるんだよ」
「うわっ、何気に陽キャ自慢された……」
そんなふうに言い合った後、オレは赤坂に背を向けて更衣室へと歩いていった。あいつの描いたオレの姿が頭に焼き付く。あいつにはオレがそう見えているんだな。地味なあいつに見合わない優しいタッチ。いや、あのふわっとした画風があいつらしいのかもしれないな。
スケッチブックに描かれたイラストはもらえなかったけど、あの絵をオレは忘れることはなどないだろう。少しだけ……ほんの少しだけ、笑顔になれた。
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