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第4話
「またこれ見てんの?」
後ろから声をかけると、透はビクッとして振り向いた。
「松岡先輩」
写真部の部室のテーブルに、透は体育祭の時のアルバムを広げて見入っていた。
「だって、綺麗じゃないですか」
透は後夜祭の、佑と龍司のダンスシーンを撮った写真を見つめた。
「それを撮った俺の腕も、もっと褒めてほしいもんだなぁ」
松岡はテーブルを挟んだ透の斜め前のイスにすわりながらそう言った。
「あ、も、もちろんです。先輩の腕すごいです」
慌ててそう言った透の顔を見て、松岡は笑った。
「あ、先輩、聞いてください!今日、生クイーンとキングを見てしまいました!あと、情報屋も」
「見た、って…。そりゃあいつらも同じ学校内で普通に学生生活してんだから…」
「違うんです!」
言いさした松岡をさえぎって、透はテーブルの上で両のこぶしをにぎった。
「ニメートル以内の距離で、しかもしゃべっちゃいました!クイーンと」
「はあ」
「それから、プリンスも見たんです!僕に笑いかけてくれたんですよ!」
「あ、そ…」
松岡は興奮して話す透に、苦笑いをしながら若干引き気味の相づちをうった。
松岡は佑たちと同学年だったが、この山の麓にある附属中学ではなく外からの高校受験で通学組。去年も今年も誰とも同じクラスになっていないため、話をしたことはない。
体育祭や文化祭は写真部はいつも大忙しだった。
毎年、人気の生徒というのがいて、その生徒たちを部員全員で手分けして一日中交代で張り付く。
もちろん、写真を撮り、あとで本人の許可を取って売るのだ。そうして得た収益を、学校から出る部費だけでは買えない機材購入などに当てている。
佑は去年の十一月に転校してきたので、体育祭で初めて写真部が張り付いた生徒だった。龍司はそれまでノーマークだったが、後夜祭で裏から極秘の協力要請が来たことから、今回マークの対象になった。
男が男の写真を欲しがる心理は松岡にはよくわからなかったが、学校の外にもファンはいるらしいから、頼まれて買っているケースもあるのかもしれない。
松岡は我ながらいい写真が撮れたと思っている。と言うよりも、いい被写体に出会えた、そう思った。二人が踊っている姿を捉えた時のゾクゾクする感覚は、今も鮮明に思い出せる。体に刻まれたと言ってもいいくらいだ。
松岡は透が見ている写真に視線を向ける。
正直、この被写体の写真であれば、自分も買ってもいいと思えるかもしれない。
だが、佑にも龍司にも販売の許可はもらえなかった。そして真澄には毎回断られている。
今回SNSにいくつか二人のダンスの動画が流されたが、それらも生徒会から厳しい削除要請があり、全て削除されている。
「う〜っす」
部室のドアが開き、数人の部員が入って来た。
透がテーブルに広げているアルバムを見て、彼をからかい始める。
文化祭───あの二人は絶対にまたパフォーマンスをする。松岡はそう確信していた。
透はベンチにすわって、スマホで写真を撮っていた。
写真部に入って一ヶ月ちょっと。それまでカメラなんて触ったことのない透は、まだ部のカメラはメンテナンスの方法を教えてもらった時しか触らせてもらえていない。
「いつもそうやって撮ってるの?」
後ろから声をかけられ、振り向くと、
(クイーーーン!!)
透は危うくスマホを取り落としそうになった。
「もしかして、あの日もそうやって撮ってた?」
「あ、そ…です。それで、何勝手に撮ってんだ、って怒られて…。前にも同じようなことがあって、先輩にはやめろって言われてたんですけど…」
透はスマホを両手で握りしめた。
「すわっていい?」
「ど、どぞ…」
佑がベンチに腰をおろしても、透は緊張して話しかけられなかった。
「いい天気だね」
佑が空を振り仰ぎながら言った。
「俺、この季節が一番好きなんだよね」
透は空を見上げる佑を見て、綺麗だ───と思っていた。
決して女性的な美しさではなく、けれど男性的なゴツゴツした感じもない。細いがしなやかで、内面の強さを放っている。
この人を、スマホではなく、松岡先輩のように撮ってみたい、そう思った。
「あの…っ」
透は思わず佑に話しかけていた。佑が透を見る。
「いつか、写真を撮らせてもらえませんか?」
佑はわずかに首をかしげる。
「あ、僕、まだカメラのこととかなんにもわかんなくて、だから部のカメラは触らせてももらえてないんですけど」
透は人生最大の勇気を振り絞った。
「勉強します!だから、撮らせてくださいッ!」
佑はキョトンとした顔をしていた。
「え…っと、君、もしかして写真部?」
「あっ!?あー、そうです!写真部です!この春入部したばっかりです」
透のうろたえぶりに、佑は笑った。透は恐縮しながらも、その無邪気な笑顔にドキリとした。
「じゃあ、もしかして、体育祭のゲリラに協力してくれた一人なのかな?」
「あ、はい」
「そう」
佑は透の目をじっと見てくる。そしてふっと笑みを浮かべると、
「ありがとう」
と言った。
(こちらこそ───)
透は顔が熱くなるのを感じながらそう思った。
入部したての透たちには詳細は一切知らされていなかった。全て先輩の指示に従うように、言われていたのはそれだけだ。
透はあの日、二人が踊るところに誰も立ち入ることがないように、人を押しとどめる役目が指示された。そのために、人垣の一番内側で二人を見ることが出来た。
感動した。“感動”という言葉が陳腐に思えるほど、とにかく心と体が震えた。
周りの歓声や口笛は耳に入ってこなかった。
音楽と二人のステップと息遣い。それしか聴こえなかった。
(なんて美しいんだ)
そう思った。
「尾高くん、…だっけ?」
透はハッとした。
「予鈴、鳴ったよ」
「あ、え?」
佑に言われて、透は辺りを見回した。
先ほどまで校庭にいた生徒たちが本校舎や本館にむけて歩いている。
「行こう」
佑に促され、透はまた緊張しながら佑のあとについて歩き出した。
本校舎の一階で、佑は“じゃ”と言って片手を上げ、階段へとむかった。
「あのッ」
透はつい声を発した。佑が振り返る。
「いつか…」
透はそれ以上言葉に出来なかったが、佑は笑みを浮かべ、
「うん」
とうなずいた。
「顔、この位置」
後ろから右手を回され、あごの下に手を当てられる。
壁一面の鏡の前。練習用に借りたスタジオである。
佑のすぐ斜め後ろに立つ龍司が、左手を腰に回してくる。あごにかけられていた右手が、佑ののど元から胸へと滑り下りる。
佑はビクリと体を引く。
その瞬間、耳元で抑えたような笑い。
「たっくん、敏感」
佑は鏡の中の龍司をにらみつけた。
「堀井は攻め甲斐があるだろうね」
まだ笑いながらそう言った龍司に佑は、
「龍司、それ以上言ったら…」
と言いかけたが、
「ごめんごめん」
とすぐに謝ってきた。
「だけど、たっくん」
一瞬のうちに龍司の顔は真顔になった。
「この曲では、たっくんの美しさと色気が必要なんだ」
佑は鏡の中の龍司を見つめた。
「この曲の間だけでいい。僕に恋して」
「………………」
「僕をうるんだ目で見つめて、僕に紅潮したほほを寄せて、その指先まで僕を求めて」
龍司が佑の指に指を絡ませてきた。
「もし…」
龍司がふっと哀しげな笑みを浮かべた。
「僕がダメなら、堀井のこと考えてもらってもいいから」
「龍司…」
「たっくんの、色っぽい顔が見たい」
そんな練習初日の龍司の熱いまなざしは、すぐに冷徹な表現者のものへと変わった。
「顔こっち!」
「もっとゆっくり!情感こめて」
「手首、もっと柔らかく!」
「ためて!バランス崩さないで!」
「もっと高く!たっくんなら出来るだろ!?」
龍司の要求は前よりも明らかに増していた。それでも佑は龍司の要求に応えようとした。
龍司の要求は、つまりこの曲の一番良いものを創り出すという確信が、佑の中にあったから───
「指先、そう、綺麗だ」
曲のエンディング。龍司の言葉に佑は大きく息をつく。
龍司は佑のほほを両手で包み、
「たっくん、やっぱり君はすごいよ」
と言った。
今回はアップテンポの曲とスローなバラードの二曲を踊ることにした。
バラードは激しい動きはないものの、逆にゆっくりとした動きには筋力を必要とすることを佑は身をもって知った。
「表情とか、体や顔の傾けかた、指先の細かな表現って、言葉で説明しても実際にやって見せても、なかなか出来ないことがほとんどなんだ」
「………………」
まだ息が上がっている佑は、黙って龍司の言葉を聞いていた。
「でもたっくんはいちいち説明しなくても、初めからそれが出来てた。これは生まれ持った才能なんだよ!」
龍司は佑の額に自分の額をつけた。
「僕が探し求めてたものだ」
龍司の声は震えているように聞こえた。
「龍…司…?」
「あ、ごめん、勝手に一人で盛り上がって。感動して、つい…」
額を離した龍司の目には涙が浮かんでいた。
「うまく…言えないけど、俺たちの最高を表現しよう」
佑は龍司の目を見てそう言った。
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