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第10話
“スリー”のタイミングで佑が軽く床を蹴ると同時に、龍司が佑の体を自分の頭よりも高い位置まで一気に持ち上げ、ゆっくりと回転しながら、その高さを徐々に下げる。
床を蹴ると言っても跳躍と言うより、実際には上に伸び上がるような感じではある。
持ち上げられた佑は首と背を反らせ、片膝を曲げた姿勢をキープする。
高さが下がり、龍司の肩の位置で、その肩に佑の体を乗せるような状態で腰に当てられていた手が素早く体に回される。
その間もゆっくりと回転しながら、佑の足が床に着いたところで、佑の体を半回転させ正面で向き合い、龍司は佑の手を取る。
佑は龍司に手を取られたまま、体を床と水平になるまで倒し片足を後ろに上げる。龍司の顔を見つめている佑の表情は優しい中にも色気が含まれている。
リフトの練習に入る時に、音楽は止められていた。講堂の中にはカメラのシャッター音が響く。今日は松岡と、そして透もカメラを構えていた。
「うん、いい感じ。次ね」
龍司が明るい表情で言い、次のリフトのために真澄と力也に立ち位置を伝える。
佑は龍司から五、六メートルの距離を取る。佑がうなずくと再び龍司がカウントを発し、“スリー”で佑が龍司に向かって足を踏み出す。
助走のあと、また佑が床を蹴り、龍司は正面から飛び込んで来た佑の腰を両手でとらえ、その勢いを利用して一気に自分の頭の上まで佑の体を上げる。佑は両手を左右に広げ、両足を足首で交差し、静止の姿勢を保つ。
数秒静止したあと、その高さが下げられたところで佑が龍司の首に両腕を回し床に足が着くと、龍司がひざを曲げ、佑の腰と背中に腕を回し、低い位置で佑の首と背を反らせる。
龍司はまた“いい感じ”と、反らせていた首を上げた佑と目を合わせて笑った。佑も同じように感じているのか、どこか不敵にも見える顔で口角を上げる。
「じゃ、もうひとつ」
龍司が言った。
最後は、佑と龍司の二人が体育祭の後夜祭で踊った時のリフトだった。
床に近い位置で佑の顔がピタリと止まった瞬間、窓の外のギャラリーのどよめきが講堂内にも伝わって来た。
誰の目にも体育祭の時よりもキレがあり、細かい部分の動きが洗練されているのが見てとれたようだ。
龍司が佑の体を起こす時、もしもの場合に備えてすぐ側で床にひざを付き、佑の顔が床に接触しないように構えていた真澄と佑の視線が合ったのがわかった。
佑が先程の不敵な笑みとは全く違う顔でフワリと笑うと、普段あまり表情を変えない真澄が目を逸らし、片手で髪をかき上げていた。
その真澄の様子に龍司がすぐ側に立つ力也を見ると、力也もそれに気づいたのか龍司と目が合うとニマッと笑った。
「堀井はホントたっくんにぞっこんだよね」
公開練習のあと、龍司が隣で撤収作業をする力也に話しかけてきた。力也は笑いながらすぐにうなずいた。
「うらやましいなぁ」
うつむきがちにそうつぶやいた龍司の横顔を、力也は不思議に思って見る。
「おたくらも仲いいじゃん」
練習の始まる前と終わりに龍司と落合が言葉を交わしているのを、力也は目にしている。今も落合は作業を手伝ってくれている。力也はその落合のほうにチラリと視線を投げた。
「ん〜、でも…」
龍司も落合に一瞬目を向けたが、ため息と共に再びうつむいた。
力也がそんな龍司を見ていると、龍司は視線だけを上げてボソボソと言った。
「あの人は、やっぱり…、僕と付き合ってること人に知られたくないっぽくて…」
龍司はそう言ったが、落合は前回の公開練習同様、今回も龍司の誘いを受けて練習を見に来ている。写真部でも放送部でも文化祭実行委員でもない、いわば部外者の落合が講堂の中にいるのだから、もしひた隠しにしたいのであれば断るはずだと力也は思った。
今回は練習の開始前から窓の外にはたくさんのギャラリーが集まっていた。そんな中で顔を赤らめながら会話を交わしていれば、自ずと二人の関係も余程鈍い人間でない限りはすぐにわかるだろう。
龍司は何故そんな思い違いをしているのか、力也はそこまで考えて、言葉を交わしていた二人の様子に“もしかして”と思い当たった。
落合は龍司と話している時に目を合わせようとしない。更には顔は怒っているような表情にも見えた。あれは───
「たっくんと堀井って、寮も同室だし、今年もクラス一緒だし、周りからもほぼ公認だし…」
龍司の話を苦笑しながら聞いていた力也だが、
「あの人、三月に卒業して東京の大学行っちゃうし…」
この言葉で理解した。“人に知られたくない”だろう相手を気遣って、近くに誰も居ないのに名前を言わずに“あの人”と言う、龍司の気持ち。
力也はうつむいている龍司の顔をのぞき込むようにして、小さな声でたずねた。
「……寂しい?」
うつむいていた龍司の目が力也を見て、次の瞬間その目にブワッと涙をあふれさせた。
「えッッッ!?」
一瞬の龍司のその反応に、力也は驚いてつい声を上げてしまった。力也の声は講堂に反響し、そこに居た全員が二人を振り返った。
龍司は両手で顔をおおい、さらに深くうなだれる。
「龍司?」
佑が二人のほうに足を踏み出そうとしている時、すでに大股で力也に向かって来る人物がいた。
「あ、え…っと…」
力也はその人物、落合の剣呑な表情に、これのどこが知られたくないっぽいんだ、と苦笑いをしながら、“おいおい竹内!!”と心の中で突っ込んだ。
「……くん」
肩を軽く揺すられる。
「たっくん」
再び揺すられながら呼ばれて、佑は目を開けた。
「おはよ」
龍司が首を傾け、のぞき込むようにしながら笑顔でそう言った。
「あ…、おはよ」
佑はまだボーッとした状態でそう返事をすると、龍司が笑いながら、
「ごめんね。朝一番に見る顔が堀井じゃなくて、僕で」
と言った。
「え?あ、いや…」
佑はそこで完全に目を覚まし、上半身を起こした。
夏休み後半───
力也の家の佑のために用意された部屋。
佑が初めてこの家を訪れたのは、今年の元日。冬休みのことだった。
その時は真澄の部屋に泊まっていた。
真澄と力也は母親同士が姉妹の従兄弟だ。力也の母親は力也が幼い頃に亡くなっており、真澄はある大物政治家の認知されていない子供、いわゆる私生児で、真澄の母親は真澄が小学校の卒業式の日に、初めてその父親のところに真澄を連れて行き、そのまま姿を消した。
驚いた力也の父親の勇也が、すぐに真澄を引き取り、以来真澄の家も力也と同じ、この田上家となっている。
佑も生まれて間もなく母親を亡くし、後妻となった冴子に幼い頃から育てられたが、父親が家庭を顧みない人間だったために、その冴子も佑が中学一年生の時に離婚をして出て行った。
佑はその後荒れて色々問題を起こし、転校を繰り返した。
去年、父親から“これが最後”と言われ、あとが無い状況で転校した先で真澄と力也と出会った。
佑はやっと自分の居場所を見つけた。
真澄の思いがけない行動から、父親とも和解することが出来た。とは言え、お互いの接し方が急に変えられるはずもない。
そんな佑のために力也の父親である勇也は、物置に使っていた部屋を綺麗に片付け、春休みに佑が訪れた時には佑の部屋として用意してくれていた。
部屋だけではなく、この家には佑の物がどんどん増えている。そのために学校の長期休暇で寮が閉まる時には、自分の家よりも田上家に居る日数のほうが遥かに多い佑だった。
そのことに関して、佑が幼い頃から家政婦として働いてくれている多恵子だけは、ハッキリと“寂しい”と言ってくれた。
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