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第11話

次に田上家を訪れた春休みに、勇也が佑のために色々と揃えてくれようとした中、ベッドは丁重に断っていた。 それが正解だったと思える。何故なら、今の佑には部屋の床のスペースが広いほうが有り難かったからだ。 大きな動きは出来ないが、夜、カーテンを開け、ベランダに面した掃き出し窓のガラスに写る姿を確かめながら佑は毎日自主練を繰り返した。 そして、昨日から龍司が一週間の予定で、この田上家にやって来た。佑とダンスの合わせの練習をするためだ。 龍司の家から田上家までは電車とバスを乗り継ぎ、最速でも三時間はかかる。アクセスが悪い場合は、当然それ以上の時間が必要だ。 龍司の両親は商売をしており、長子である龍司は弟妹のために多くの家事をこなしていた。 佑も練習のあとに龍司の家で、龍司手作りの食事をごちそうになったり、龍司が学食ばかりでは飽きるだろうと言って、時おり真澄と力也の分までお弁当を作ってくれたりして、その腕前にはいつも関心させられていた。 もちろん、そのお弁当は佑たちと同じ寮生である落合のため、というのが一番の理由ではある。 そんな龍司が家族の協力を得て田上家まで来た。 佑は事前に勇也たち三人の力も借りて、練習のために借りられる場所を探し、田上家から自転車で十五分ほどのところにダンス教室を見つけた。 借りられたのは通常の午前十時からのレッスンがある前の時間。朝の七時半から九時半までの二時間だった。 「はい、たっくん、支度して。僕、ご飯作るから」 龍司はそう言って佑の背中を叩くと、立ち上がってドアへと向かう。 「ああ、うん」 龍司の後ろ姿を見ると、すでに着替えもすんでいて、昨夜佑の隣に敷いた布団も、たたんで部屋の隅に積まれている。 「うわ…。さっすが、お兄ちゃん」 佑は感心しながらそうつぶやき、慌てて身支度を始めた。 「行ってらっしゃい」 龍司が作った朝食を全員揃って食べ、午前中は地元の商店街の数件の店でアルバイトをこなしている真澄と力也、力也の父親で作家の勇也の三人が一番早くに家を出る二人を玄関まで見送りに来た。 勇也は今、執筆のスケジュールがずれ込み、ほぼ毎日徹夜で、佑が不在のこのあとの数時間を睡眠に充てている。 勇也は、まずは大学ノートに原稿を書き、そのあとパソコンに入力するという執筆方法を取っているため、佑が田上家に訪れる長い休みの時は、その入力作業を佑に任せている。 空いたスペースや隅にまで修正や書き込みがビッシリとあるノートは、書いた本人も解読に悩む時がある程だが、佑の文章の流れを読んだり、ストーリーの空気感を読む能力に、勇也はいつも助けられていた。 長く伸ばした髪を後ろで括った、力也と良く似た顔立ちの眼鏡を掛けた勇也の目元は、すでに瞼が半分ほど閉じかけている。 靴を履いて見送りの三人を振り返った佑に、 「佑」 真澄が声を掛けながら、その頭に手をのばす。 「ぅ…」 玄関ドアに手を掛けた龍司からかすかな呻きが漏れたのが聞こえた。 真澄が佑の頭を引き寄せ、唇にキスをした。 「気をつけて」 「うん」 そんなやり取りを見ているこの家の主の勇也も二人が恋人同士であることは承知で、佑が初めてここを訪れた夜に“ライトキスならいつでもどうぞ”と言ったことから、真澄はこの家では遠慮なくキスをしてくるようになった。 はじめのうちこそ抵抗していた佑も、今ではだいぶ慣れて来て、勇也も力也もいつも当たり前のようにしていたため考えていなかったが、龍司の反応に恥ずかしさをおぼえ、すぐに真澄の体を押して離れた。 「行って来ます」 玄関を出て行く二人を、三人が手を振って送り出してくれた。 早朝に辿り着いたスタジオに、まずはスタジオ裏のオーナーの自宅を訪れ鍵を借り受け、中に入る。 持ち込んだノートパソコンをスタジオのオーディオと繋げ、佑と龍司のスマホを録画用の三脚にセットし、着替えるとアップに入る。 一週間という限られた日数。合わせをし、録画した動画を確認して、何度も調整を繰り返す。 九時を過ぎた頃、このスタジオのオーナーでもあり講師でもある男、柿崎(かきざき)が姿を見せた。 年齢は三十代前半。身長は百八十センチには届いていないようだが、スラリとして無駄な肉は付いていない体躯。華やかな顔立ちではないが、イケメンと呼ぶのに十分な容姿をしていた。 柿崎は二人の練習をただ壁にもたれて見ているだけで、何も言ってはこなかった。 龍司が調べたところによると、柿崎は競技ダンスの世界大会にまで進出した実績があるらしいが、今の佑と龍司にとってオーナーの経歴は二の次だった。 借りている時間のリミットが近づき、佑と龍司は片付けを始める。 「文化祭で踊るんだよね?」 柿崎がその日初めて口を開いた。 「…………」 佑は龍司と視線を交えた。 「そうですけど…」 龍司はそう答えたあと、 「それだけで終わらせるつもりはありません」 と柿崎の目をまっすぐにとらえてそう答えた。 文化祭のその()─── そんなことは考えてもいなかった佑は、柿崎の視線を臆することなく受けとめている龍司を少し驚いて見つめた。 柿崎は龍司の視線を逸らすことなく受け、 「そうか…」 とだけ言葉を発した。 佑はこの二人のやり取りに入り込むことが出来なかった。 だが、“それだけで終わらせるつもりはない”と言った龍司の言葉。 “文化祭のその後” 佑が考えてもいなかった、その先を龍司はすでに考えている。佑はそのことに、ひどく落ち着かない思いを抱えた。 「たっくん!」 後ろから龍司に大きな声で呼ばれた。 「えっ!?」 佑はブレーキをかけて自転車を止めた。 「買い物行くんじゃないの?」 振り返ると龍司がそう問いかけてきた。 「あ…、そうだった」 練習のあとに食材の買い出しに行こうと話していたことを、佑はすっかり失念していた。 佑は商店街への道へと自転車の向きを変える。 「どうしたの?」 「いや、別に…。ちょっと忘れてただけ」 佑の返答に、龍司はそれ以上は追求してこなかった。 「あ、それともたっくんは早く帰って勇也さんの仕事手伝ったほうがいいのかな?」 はたと気づいたように龍司が言った。 「ん〜、いや、勇さん 昨日はほとんど寝てないから、今日は昼まで寝かせておいたほうがいいと思う」 佑は勇也の昨夜の状態を思い出しながら言った。 「勇さん、龍司が帰る前に全員で遊びに出掛けたいらしいよ。だからそれまでに仕事あげるって息巻いてた」 佑の言葉に龍司は目をみはっていた。 「大丈夫。俺が必ず仕事あげさせるから」 佑はそう言って笑った。 それからしばらく無言で自転車を走らせていると、 「たっくんと堀井ってさ…」 龍司が話を向けて来た。 「………………」 佑は龍司の次の言葉を待つ。 「寮でも教室でも、休みの間も一緒じゃない?」 「うん…」 「それって、どんな感じ?」 龍司は自転車を漕ぎながら、真っ直ぐ前を向いている。 「どんな…って…」 佑は考えたこともなかったことを問われて戸惑った。 真澄が常に一緒に居ること。それは佑には当たり前過ぎた。 逆に一緒に居ない状況は考えたこともなかった。初めて、そのことに思い到った。 毎日キスをして、体を寄せ合い互いの体温と匂いを感じ、数日ごとに体を重ね、笑い合い、時々言い争いをして、口に出さずともお互いの好き嫌いや、得手不得手もわかっていて…。 これから先、真澄と別々の道を行く。その可能性に佑は初めて、気づかされた。 高校を卒業したら。大学を卒業したら。社会人になったら。そして、その先─── 「よく…わかんない。…考えたことなかった」 そう答えた佑の声は震えてしまった。 「そっかぁ…」 龍司がため息をつくようにそう言った。佑は横を走る龍司を見た。龍司はただ前を見ているだけで、それ以上は口を開かなかった。

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