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第13話

音をたてないように静かに玄関に入り、廊下を進んだ。 奥の和室へと伸びる廊下に差し掛かったところで、佑と真澄の姿が視界の隅に入った。 咄嗟に体を引き、龍司は角に身を潜めた。 喧嘩───? ほんの一瞬視界に入った二人は近い位置で相対していて、真澄が佑のほおを両手ではさみ、佑がその真澄の腕に手を掛けて、少し激しい口調で言いあっていた。 おそらく眠っているだろう勇也を気づかって声を抑えているのだろう。話の内容までは届かないが、激しさだけは伝わってくる。 龍司は二人が言い争っている原因を探ろうと、聞き耳を立てた。 「そんなこと…」 「………………ッ」 「だから…っ」 「………………」 龍司は自分が今、佑を独占していることを思った。 合わせの練習のために仕方のないことで、佑自身が望んだことであるとしても、真澄の心情的にはつらいものがあるだろうことは容易に察しがつく。 もしかしたら二人はそのことで言い争っているのかもしれない。 佑の声はかろうじて聞こえてくるが、真澄が何を言っているのかはわからなかった。 声が数瞬途切れたあとに、佑がクスクスと笑う声が聞こえた。 「何?」 と問う真澄。 「おまえ、あずきバーの味がする」 という佑の声。 「おまえだって、アイスコーヒーの味がする」 真澄の声。 ひとしきりクスクスと笑い合う─── 仲直り、したのか…。それとも元から喧嘩ではなかったのか。 「あ…」 佑の高い声が廊下に響いた。 “チュッ”という濡れたリップ音が断続的に聞こえてくる。 「はっ……ん…」 佑の声。 「ま…すみ…っ」 龍司はここに居てはマズイのではないかと思う。 「…ダメ…だって…。あ…っ」 初めて耳にする佑の蕩けるような甘い声。 龍司は高鳴る鼓動を抑えつつ、そっと玄関に向かって歩き、音をたてないように靴に足を入れた。 練習のあと、買い物がしたかった龍司は佑と別れ、寝ているであろう勇也を気づかって静かに玄関を入ってきたが、もう一度わざと音を立てて二人にわかるように入ってこようと考えた。 玄関ドアのノブに手を伸ばしたところで、それは外に向かって開かれ、目標を失った龍司は体勢を崩した。 「う…わっ」 「わあっ」 玄関の外で、龍司と玄関ドアを開けた力也は二人で倒れ込んだ。 「何やってんの?」 声に振り返ると、廊下の角からキョトンとした表情の佑が首を傾けて顔を覗かせていて、その後ろに立つ真澄は眉間に深くシワを寄せていた。 「……じ」 龍司は考えていた。 レッスンを終えて片付けをしていた時、柿崎が龍司のそばに来て龍司にだけ聞こえるように耳元でつぶやいた言葉─── 『“彼女”は感じてはいるが、君では()かせられないな』 それは、どういう意味なのか? 自分のダンスの力量では、佑の才能を十分に引き出すことが出来ないということなのか。 国内の地方の大会しか知らない龍司と、世界を見たことのある人間との違いなのか。 「……ぅじ」 それとも、性的な面で男の立場にない自分に欠けているものがあるのか。 「龍司!」 「あ、えっ!?」 「大丈夫?」 佑が首を傾けて龍司の顔を覗き込むようにした。 「あ、ごめん。ちょっと考えごと…」 龍司が謝ると佑が気遣うような視線をよこした。 「もしかして疲れてる?」 「いや、そんなことない」 龍司は笑って首を振った。 「…なら、いいけど」 「うん、大丈夫。あー、で、なんだっけ?」 「さっきのとこ…」 佑が苦笑しながら、スマホの画面を示す。今日の練習の時の録画映像を少し戻しながら、佑が続ける。 「ここ」 佑が一度映像を止める。 「ここ、一秒くらい溜めない?」 夜は毎日、佑の部屋でその日の練習の録画映像を見ながら意見交換をしていた。 「もう一回見せて」 佑の意見に龍司も今度は集中してスマホの画面を見る。 「ん〜、ここね。ちょっと、やってみる?」 龍司はそう言って立ち上がった。佑もすぐに立ち上がって、自分たちを写し出す掃き出し窓のほうを向いた。 龍司がメロディーを口ずさみ、 「こっからね」 と言ったあと、踊り出しながら“ツー、スリー、フォー”とカウントだけを繰り返す。 同じところを三回踊り、 「うん、こっちのほうがいいね。情感が出る感じ」 と龍司も佑の意見に同意する。 その時、開け放したままだったドアをノックする音がした。振り向くと真澄と力也が立っていた。 「あ、ごめん。うるさかった?」 龍司が聞くと、 「いや、全然」 力也がニカッと笑う。 龍司は真澄に気を使って、佑と二人きりの時は部屋のドアを開けていた。 「頑張ってんなぁ、と思って」 「好きだから、頑張ってるって認識はないけどね」 佑が笑ってそう答えていた。その言葉に力也もニッと笑っている。 「明日と明後日、よろしくな」 佑がそう言うと力也が、 「もちろん。オレらもそれなりにトレーニングして来てるし」 と言って、背後の真澄を見る。真澄は不敵とも取れる笑みを浮かべた。 佑が真澄に視線を向け、ふわりと笑う。真澄もじっと佑を見ていた。 「え…っと…」 力也が控えめに声を発する。 「明日。明日、お互いにいいパフォーマンスしよう」 明日と明後日は真澄と力也にも練習のスタジオに来てもらって、生歌で合わせの練習をすることと、リフトの補佐役も頼んであった。 龍司は、 「よろしくお願いします」 と頭を下げた。 「ほら、勇さん、ちゃんと歩いて」 真澄と力也、龍司が夕食の片付けのあと、入浴も済ませダイニングの隣の和室で寛いでいると、廊下から佑の声が聞こえてきた。 「勇さん、階段だから。ほら、しっかり」 おそらく勇也の仕事が終わったのだろう。 執筆のスケジュールがずれ込み、毎日睡眠時間を削って仕事をしていた勇也と、それを手伝っていた佑だった。 勇也は龍司が帰ってしまう前に全員で遊びに行きたいと言って、佑も勇也の仕事を終わらせるために毎日書斎に入っていた。 力也が立ち上がり、真澄もほぼ同時に立ち上がると廊下に出る。 階段の下で佑が勇也の背中を押しながら、上がろうとしていた。力也と二人でそこに行き、力也が勇也の腕を取って数段上がり、真澄は後ろから勇也の背中を支えた。 「たっくん、いいよ。オレらでベッドに放り込んで来るから」 力也が笑ってそう言った。 「お疲れ」 真澄は佑にそう労いの声を掛けた。 「頼んだ」 佑はそう言って、少しだけ疲れの滲む顔にわずかに笑みを浮かべた。 勇也を二人に任せ、佑は和室に入って行った。 「お疲れ様。終わったの?」 佑はそう尋ねてきた龍司の横に体を投げ出した。 「うん。データ送って、オーケーの返事来たから」 「何か飲む?」 「じゃあ、麦茶ちょうだい」 佑のリクエストに龍司が立ち上がってキッチンへと歩いて行く。 佑は体を投げ出したまま、まぶたを閉じた。 「たっくん、眠いの?」 龍司が戻って来た気配に佑は目を開ける。 「ん〜ん、ちょっと目が疲れただけ」 龍司が座卓の上に佑のマグカップを置きながら、体のすぐ横に膝をついた。顔の横に手をつき、真上から佑の顔を見つめてくる。佑の腕を取り、自分の首に回させる。佑はその動作にフッと笑って、 「起こしてくれんの?」 と聞いた。 「ぐぇ…っ」 声とともに佑の視界から龍司の姿が消えた。 すぐに真澄の顔が視界に入ってきたと同時に、背中に腕が差し込まれ軽々と抱き起こされた。 「堀井、乱暴…っ」 横で龍司が自分の喉に手を当てながら、そう抗議する。どうやら、真澄が後ろから龍司の喉に腕を回して佑から引き剥がしたようだ。 真澄は悪びれもせず、すがめた目を龍司に向けていた。

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