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思い出 3

とても優しく、穏やかで声を荒げたことなど一度もない男だった。母親の事を深く愛していた事は幼い怜旺にも充分伝わっていた。 勤勉で教師という仕事に誇りを持っており、真摯に子供たちや保護者に向き合ってトラブルがあればすぐにでも駆けつけて対応してくれるような自慢の父。 そんな父親を怜旺は心の底から尊敬していたし、いつか自分も彼のような教師になるのだと心に決めていた。 それなのに――……。 母の死後、父は大好きだった仕事を突然辞めて、怪しげな宗教団体へとのめり込んでいく。 自らの貯金も退職金も、母親に掛けられていた死亡保険すら全てお布施として注ぎ込み、家には大量の書物や骨とう品で溢れかえった。 当然、以前のような生活が維持できるはずもなく、中学入学前には夫婦二人で建てた夢のマイホームを手放し、現在の低所得者向け都営団地へと引っ越しすることを余儀なくされた。 最初は最愛の妻を亡くした父を不憫に思ってか、祖父母が色々と援助してくれていたらしいが、常軌を逸した父親の行動に呆れかえり現在は絶縁状態になっている。 最後に祖母に会った時。「あの男と一緒に居ても幸せにはなれないから、家においで」と、声を掛けられたものの、宗教団体から送金されている金がどこから出ているのか知らなかった幼い怜旺は、いつか父親が元の優しい父に戻ってくれるのでは。という一縷の希望に縋って、父を一人置いて家を出る事が出来なかった。 父親が自分の事を愛していなかったと知ったのは、中学2年の夏の事だ。 成長していくにつれて、どんどん怜旺の容姿は母親に似ていった。 元々、小柄な背丈で華奢な方だったが、薄い体毛や筋肉の付きにくい身体がそれを更に増長させ、鏡を見るたびに女みたいだと情けない気持ちになった。 特に、中々やって来ない変声期や一向に濃くならない体毛はコンプレックスで、友達にそれを揶揄され取っ組み合いの喧嘩に発展することもしばしば。

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