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15.兄と弟
クソ暑い研究棟との連絡通路をようやく脱出して、家に帰るべく寮の廊下を歩く。
研究棟は校門の真反対にあるから、連絡通路が通ってる寮か校舎を通ることになる。まぁグラウンドを通るのが一番近いんだけど……しぬ。真夏昼時の炎天下でだだっ広いグラウンド突っ切るのは暑さでしぬ。
寮はまだエアコンがついてるのかちょっと涼しい。足取り軽く歩いてると話し声が聞こえてきた。
「冬弥、もう帰るぞ。期間は終わったんだろう」
「うるさい。大体何故お前がまだ寮に居るんだ、一人でさっさと家に帰れ不良め」
生徒会長の物凄く冷たい声が聞こえてきて足が止まる。
こんなに突き放すみたいな声、初めて聞いた。もう一人の声も聞いたことある気がするけど……思い出せない。誰だっけ。
記憶を辿っている間も会話は進んでいく。
「それを言うなら冬弥だろう。去年全く帰ってこなかったくせに」
「大袈裟な。報告しに帰っただろうが」
「報告しに立ち寄ったの間違いだろう。数日しか居なかった」
家、帰る……内容からすると話してる相手は家族らしい。
つーか、お坊ちゃんなのに家に帰ってないってあるのか。早々に帰って優雅なバカンスを満喫してるもんだと思ってた。
「俺も忙しいんだ。子供じゃあるまいし、ついて回るな鬱陶しい」
「冬弥っ……」
冷たい声と足音が近付いてくる。
考え事に耽ってたオレは反応が遅れて、慌てた頃には曲がり角から生徒会長が姿を現していた。その後ろには背の高い美形。オレに気付いたその顔はじろりと睨んでくる。
そんな後ろの美形をよそに、生徒会長はきょとんとした顔でオレに近付いてきて。
「……行家? お前どうしてここに」
するりと頬を指先が撫でる。
あんまり美形に睨まれてるから、今日はちょっと香水の匂いが違うんだな、なんて現実逃避を頭が始めた。いつも甘ったるいのに今日はサッパリしたミントみたいな匂いで珍しい。
「ええと……ちょっと検査……」
猫にするみたいに顎の下を撫でられてむず痒く思いながら答えると、目の前の表情が少し固くなる。
「具合でも悪いのか」
「いや、その……予防活動始めて色々あったから報告したら、データ取るって言われて」
「ああ……向こうの好奇心を刺激してしまったか。すまない。手間をかけさせたな」
顎の下に加えて耳の後ろをわしゃわしゃと撫でられて、いよいよペットにするみたいになってきた。でもちょっと心地よくて、久しぶりの温度に振り払う気にもなれなくて。
しばらく撫でられてたけどハッと我に返った。
「生徒会長は何で」
「ヒート休みがようやく明けたところだ」
聞こえてきた言葉が信じられなくて思わずガン見してしまった。
ヒート休み。夏休みど真ん中なのに。
「うげぇ……休みにダダ被りとか鬼だこの学校……」
「こればっかりは選べないからな。Ωの本物のヒートとて夏休みかどうかは関係ないし、仕方ない」
けろりと言う生徒会長の言葉はごもっともだ。
確かにいつヒートになるかなんてΩは選べないし、ヒート休みが被ったからって代わりに何かある訳でもない。そんな不便を体験するって趣旨だからまぁ、その通りなんだけど。
夏休みに被ってたら悔しすぎて、オレ部屋で暴れてるかもしれない。
「冬弥、それは一体何だ」
しびれを切らしたのか黙ってオレを睨んでた美形が割って入ってくる。すると人を撫で回して機嫌よさげにしてた顔がすんっと表情をなくして。
「うるさい。まだ居たのか、さっさと帰れと言ってるだろう」
思いっきり睨み付けながら低い声が唸るように美形を威嚇する。睨まれた方は何か言いたそうにしてたけど、ふいっと逸れた生徒会長の視線に何となく寂しそうな表情で口を噤んだ。
「そうだ行家、丁度昼時だし食堂に行かないか」
わざとらしい笑顔に切り替わった生徒会長の顔がオレを見る。質問みたいな言い方してるけど、かかってくる圧からしてお尋ねされてる訳じゃなさそうだ。
言葉の裏で来いって言ってる。こっちの都合はお構い無しかよむかつく。
「いや、オレ帰るんで」
さっきから美形の視線が痛い。気まずいしキッパリ断ってすれ違おうとすると、生徒会長のニヤニヤしてる顔がすぐ近くまで寄ってくる。相変わらず距離感が近い。
アンタのせいで初対面の奴にめちゃくちゃ睨まれてるんだけど。夏休みまでこのパターンは勘弁してくれよ……。
「今なら好きなものを奢ってやる」
「うっ…………」
にんまり笑う口から出てきた言葉にオレの中の天秤がガコンと反対側に動いた。
調子こいて遊び回ったせいで、今月の小遣いがもう殆どない。飯が美味いここの食堂……奢りという言葉の魔力には、とても勝てなかった。
寮の食堂には安い定食から高い豪華メニューまでピンキリで揃っている。奢って貰うからって遠慮するつもりなんか欠片もないオレは、数千円する思いっきり高い価格帯のメニューを指定した。むしろ今までの迷惑料のつもりで。
顔色ひとつ変えずに二人分同じメニューを注文する後ろ姿はホントにお坊っちゃまだなって思ってしまった。自分で指定しといてアレだけど一食いくらだと思ってんだ。
「うっま……! さすが特上カルビ……!」
「真っ昼間から焼肉定食とは……元気だな」
ブランド牛の特上焼肉定食に舌鼓を打ってると、生徒会長が自分の皿に乗ってる肉を半分くらいこっちに放り込んできた。自分で注文しといて何だそりゃ。そんなんだから身長伸びないんだよ。
美味いからいいけど。いくらでも食えるぞこの美味さは。
「普通っしょこんなの」
遠慮なく貰った肉にも箸を伸ばす。舌でとろける特上カルビを楽しむオレを見ながら、生徒会長は少し笑ったみたいだった。
「悪かったな、付き合わせて。夏休み明けは少し食らうかもな」
「は? …………げっ」
周りを見ると、食堂の半分くらいがこっちを睨んでた。
あれはαのお坊ちゃん集団だ。お前ら夏休みなのに何やってんだよ。
「当然だが、ヒート休みに夏休みが被っているのはオレだけじゃない」
くつくつ笑いながら生徒会長は残りの肉を頬張る。くっそ意地の悪い顔しやがって。
「あ、アンタ何のつもりだよ……!」
「今回は他意はないぞ。しつこい愚弟を退ける口実にさせて貰った」
ぐてい……弟だったのかあのデカイ美形。てことはあれが噂のα様か。てっきり頭いい奴同士仲良いのかと思ってたけど、さっきのを見てると逆っぽい。
どっちかっつーと生徒会長が嫌ってる感じだけど。邪険にされて何か可哀想だったし。
「……何でそんなに。アイツ一緒に帰ろうって言ってたんだろ」
「帰ってどうするんだ」
真剣そうな顔で斜め上の質問がきて言葉に詰まった。
いや、休みだから。休みは家で過ごすもんだろ。どうするって言われても……。
「えーっと……ダラダラしたり友達と遊んだり、出掛けたり……?」
具体的に挙げようと思うと意外と困る。
うちは旅行にバーンと行く訳でもないし、というか父さんの休みが本気で最低限だからダラダラして遊んで毎日過ごしてるし。
あんまり魅力的な話ねぇな……言っといてなんだけど。
「別にそれは家でなくても出来るだろう。寮の方が生徒会の雑務も消化できるし」
「うげ……夏休みにそんな仕事するんすか……」
「ああ。休みの内に片付けておいた方が二学期が楽だからな」
ヤバイ、サラリーマンの鑑みたいなのが目の前に居る。完全に社畜だ。まだ学生だけど。休みって何だって言いそうな雰囲気だ。
せっかくだから手伝って帰るか?なんてニンマリ笑う生徒会長。
冗談じゃないと丁重にお断りして、速攻で家へ逃げ帰ったのだった。
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