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16.反転

 夏休みの後から見事にヒート期間が被ってたオレは、他の奴より二週間遅れて授業へ復帰した。そのせいで気分はすっかり浦島太郎だ。  だけど……すっかり休みボケした頭でも、何となくざわざわした雰囲気には流石に気付いた。  といってもαの金持ち坊っちゃんズだけなんだけど。いつにも増して団体で固まってひそひそと話し込んでいる。 「あっ、β様の子分じゃないか。お前何処に居たんだよ。サボりか」 「違う。ヒート休みだヒート休み」  話しかけてきたのは副会長の親衛隊の奴だった。副会長がオレを子分子分って呼ぶから、その親衛隊の奴らにもそれて覚えられたらしい。副会長まで余計なことしやがって。    腕引っ張って連れてかれたのは、坊っちゃんズがたむろってるサロンとか呼ばれてる所だった。やけに内装がキラキラしててすげぇ居心地悪い。 「急に何の用だよ御苑井(みそのい)」 「呑気なものだな。β様の後継者指名が危ういというのに」  はあ、と溜め息を吐きながら目の前の顔が渋い顔をした。 「えーと……庶民に分かるように言ってくれ」  コイツは副会長の親衛隊だって割に何かと手伝ってくれるけど、すぐお坊ちゃん用語を使うから時々ついていけない。  オレはその辺の事情なんて知らないんだぞ。手加減しろ手加減。 「だから。仁科儀の後継者がβ様じゃなくてα様の方になるかもってこと」  α様っていうとあの美形か。入学してからあんまり関わりないし、お坊ちゃんズにいつも囲まれてるから印象薄いけど。    でも。   「何で急にそんな事に……?」 「僕が知るか。α様が後継者候補に指名されたって仁科儀様方の親衛隊が休み明けから騒いでるんだ。まぁ、β様が今まで後継者候補だったのが不思議なくらいだけど」  不思議も何も生徒会長はα様の兄貴だろ。一番上の子供が色々継ぐもんじゃないのか。 「……どういうこと」 「普通βだって分かった時点で候補から下ろされる。下ろされなくとも本人が辞退するよ。僕の一番上の兄もそうだった」  どうしても能力的に劣るからね、と御苑井は複雑そうな表情で呟いた。こいつの家も色々あったらしい。  でもすぐいつもの顔になってオレを見る。 「お前も身の振り方は考えた方がいいと思う」 「は? どういう意味だよそれ」  急に自分の話になって面食らった。なんで生徒会長の話がオレに繋がってくるんだ。   「せっかく仁科儀家の跡取りに取り入ったのに残念だったな、という話だ」  ムカつく声が聞こえてきて、思わず顔をしかめた。  立ってたのは案の定、生徒会長の自称親衛隊の奴らだった。忘れもしないオレに水ぶっかけた奴と周りに数人。いつも嫌味を言いにく来る奴は面子が同じだから顔を覚えてしまった。  「評価取りの奉仕活動も意味がなくなって止まるだろうし、お前の足掻きも無駄だったな。気の毒なことだ」 「次の後継者はα様だが、一体どうやって鞍替えするつもりだ?」 「お前ら……」  親衛隊って名乗ってるくせに、本当にろくなことを言わない。いつも陰口だったのに今日に限って周りに聞こえるような大声でそんなことを言う。  やばい、段々腹立ってきた。 「精々頑張る事だな。無意味な奉仕活動しか出来ないβ様ではない分、上手くお目に留まれるか知らないが」 「好き勝手言ってんじゃねぇ! お前らと一緒にすんな……生徒会長がやってた事は無意味なんかじゃない!」  堪えてたのに、やっぱり無理だった。我慢しきれなかった。   生徒会長に助けられたΩが居るんだ。オレ達じゃ解決できない事をあっという間に解決して、予防しようと走り回って。それに意味がない訳がない。  ……オレから評価されたって、それこそ意味ないかもしれないけど。 「活動しなくなるってんなら、オレがやる。途切れさせたりしない」  生徒会長にオレも助けられた。だから手伝いたいって思った。それは絶対に間違ない。  ぽかんとオレを眺めてた自称親衛隊の面子が、ぷっと吹き出して大声で笑い始めた。 「お前が? 出来るわけないだろう。馬鹿じゃないのか、庶民の分際で」 「β様に飼われてずいぶんと付け上がったものだ。みっともない」  一際大きくなってしまった声は周りの視線を集めたらしい。  じろじろと向けられる視線と、ひそひそと耳に届く囁き声。完全アウェーな居心地の悪い空気に昇った血がすーっと降りていく。 「お前達……本当に底というかお里が知れているな、小判鮫のくせに」  じっと黙り込んでた御苑井がポツリと呟いた。  視線は自称親衛隊に向いている。アイツらに当たりがきついのは副会長とそっくりだ。 「なんだと?」 「どうしてこんな奴等を親衛隊として活動させているのか、理解に苦しむ」 「なっ、このっ……待て! どういうつもりだ御苑井!」  すたすたと歩いていく御苑井に標的が切り替わったらしい。自称親衛隊の面子はやいやい言いながらその後を追いかけていった。  あれ、何か似たような状況があったような。   「行家」    ぽかんと遠ざかっていく面子を見送ると、後ろから聞き覚えのある声がした。 「来い」  こっちの返事も待たずにぐいっと手を引かれた。生徒会長の後ろ姿に連れられてサロンを出る。  ……さっきの話、どこまで聞こえてたんだろう。表情の見えない状況に何だか心臓がざわざわして止まらなかった。    しばらくして、たどり着いたのは生徒会室。  入ってすぐの誰も居ない部屋の真ん中には、向かい合わせに置かれた木の机と高そうな布張りの椅子がある。そこに棚から出してきた箱を持ってきた生徒会長は普段通りの顔だった。 「居ないと思ったらヒート休みだったんだな。ほら、予防活動の道具だ」  予防活動に使う道具には薬や針付きのものがあるから、トラブル防止のために長期休みの前に生徒会へ返していた。学生のやるボランティアだと思ってたら意外と厳しい。  腰に下げるポーチと道具を受け取って、出されたタブレットに表示されてる受領欄にサインをする。生徒会長は貸し出しの手続きなのか無言で操作をしてて。その姿を見てるともやもやしたものが自分の中に沸いてくる。   「……あの」  恐る恐る声をかけると、ん?と声だけが返ってきた。 「もう……いいんじゃないすか。評価気にしなくてよくなったんだろ」  しーんと重たい沈黙が落ちてきた。表情は普通なのに物凄く話しかけづらい。 「あ、後はオレがやるから。だから、もう無理しなくても」  後継者候補とかってやつに選ばれるために今の活動をやってたって親衛隊の奴らは言ってた。生徒会長も評価稼ぎだって認めてた。  じゃあ、もういいはずだ。評価にならないなら薬で無理矢理抑えて走り回らなくてもいい。似たことが出来るオレがやればいい。   「……思い上がるな」    聞こえてきた声は物凄く低かった。  こっちを見た顔に表情が何もなくて、思わずビクッと肩が震える。 「たかが数ヵ月働いただけのお前がおいそれと引き継げると思うのか。見くびられたものだ」 「う……でも」  確かにオレじゃ知識も経験も、何もかも足りてないけど。  言葉に詰まったオレに生徒会長がふうっと溜め息を吐いた。睨んでた目が隠れてちょっとホッとしてしまう。 「やっと体制が出来てきたんだ、途中で放棄するつもりはない。お前にはまだ覚えて貰わないといけない事も沢山ある」  もう一度目を開く頃にはいつもの顔に戻っていた。   馬鹿なこと言ってないでさっさと補充しろと、少し呆れたような笑いを浮かべて薬箱をこっちに突き出してくる。思わず箱を持つ手に自分の手を重ねて、握り込んだ。 「あんま無茶すんなよな……仁科儀先輩」  余計なお世話かもしんないけど、と小さな声で付け足すと、ちょっと驚いた顔をする。でもすぐにクスクスと笑い始めて。   「…………ありがとう。行家」  笑い声が途切れて少しの間しーんとした後、にこりと微笑む顔はどこか泣きそうに見えた。

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