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弟みたいに思っていたのに
季節はもうすっかり冬、というよりクリスマスシーズンで、夕刻になればこの駅前にもイルミネーションが灯る。
先ほど、高校生だという若い女の子が、
『これ、彼氏へのクリプレにします』
と、これもまた片手間に作っておいたメンズ向けのネックレスを買ってくれたところだった。
初めてできた彼氏に、アルバイトで貯めたお金で、高校生には少し値の張る金額のプレゼントを。どうにもいじらしくて、またかなりおまけしてしまった。
恋に心弾ませる少女を、少し羨ましく思った。
もう事務所の仕事と土日のライブペインティング、どっちが本業でどっちが副業で、それは仕事なのか趣味なのかすらもわからなくなっていた。アートの世界に没頭するあまり、もうすっかり恋愛から遠ざかっていた。
誰にも会わず誰とも話さず、絵だけ描いていられたら。そんな人生でも俺はそこそこ幸せかもしれない。
──強いて言えば、毎週土曜の夜にソファンが顔を見せに来てくれたら、それで充分心癒される──
昨日来たばかりだから、次はまた来週か。この待ち遠しくなってしまう気持ちは何だろう。
そんなことを考えかけていた時、見たことのあるスニーカーの足元が俺の隣に立ち止まった。
「ソファン!」
「へへ……こんばんは……」
「どうした?日曜だけどバイト入ってたの?」
「そうじゃないんですけど……何となく?」
そう曖昧な返事をして、俺の隣にしゃがみ込む。彼が来ない日は特等席のアウトドアチェアは用意していない。
「綺麗……僕、やっぱり好き。航平さんの……描く……絵っ、が……っ」
「ソファン?おい、どうした?」
項垂 れた首すじに赤紫に腫れた跡を見つけた。
何だ?何が起こっている?
「おいで」
ソファンの腹に手をまわし、展示スペースの裏側へ引きずり連れて行く。ここなら周りからの視線が遮断される。
自分用のイスも持ってきてそこに座らせ、かがんで目線を合わせる。
「何となく、で来たんじゃないんだろ?何かあった?」
ソファンが泣きそうになりながら黙っている。
俺は自分が着けていた黒のネックウォーマーを外し、ソファンに被せてやる。
「見えてたから、ソレ」
自分の首すじをトントンと指で叩いて指し示すと、ソファンはいよいよ嗚咽を漏らし、ネックウォーマーに顔まで埋めた。
「誰かに無理やり?女の人?いいよ、言える範囲で」
初めて抱いた肩はアウター越しなのに、頼りなく細かった。
「あ、あの……航平さん、びっくりするかもしれないけど……」
ソファンがグッと喉を詰まらせながら続ける。
「……僕、本当は男の人が好きなんです……」
実はかなり驚いた。
変わり者の多い芸術関係の知り合いの中にはそういう男も女もたまにいるが、ソファンのようなごく普通に見える男の子が。
でもその驚きを伝えたら傷つけてしまうだろう。
「全然びっくりしないよ。大丈夫だから、ソファンの話したいことだけ俺に話してよ?」
ぐすぐすと鼻を啜りながら語られたのは、帰国して入隊する前にセックスを経験してみたかったこと。
知らない男とコトに及んでみようとしたけれど、触れられるのがこわくなって途中でやめてもらったこと。
話の通じる相手を選んでくれていて良かったと思う。激昂した男に無理やりになど、ソファンより体格で勝る自分の立場で考えても恐ろしい。
「そっか。もしかしてそれが前に言ってた、日本にいるうちに叶えたい目標だった?」
こくんとソファンが頷いた。
なんて無茶で無謀な。
でも、男女が知り合ってそういう関係に進んで行くことより、まず同性同士で恋愛をしたくても出会いからして少ないんだろう。それでタイムリミットのある彼は焦ってしまった。
「……女の子でもないのに、初めては好きな人が良かったなんておかしいですかね?」
「おかしくないよ、別に。その方が想い出になるじゃん」
おそらくソファンは男に抱かれる側なんだろう。
そして、想う相手がいるのに叶えることができないでいる。
その男は日本にいるんだろうか。それとも韓国か。
弟のように可愛いソファンを苦しませないためなら、何でもしてやりたいと思って当然のはずのなのに。
どうしてだかソファンにその恋を諦めてほしいという願いも浮かんでしまい、ぐっと押し込めた。幸せを、この先に我慢と苦難の日々が待ち受ける彼に少しでも幸せを願わなくては。
「これ……航平さんの匂いがする……」
なぜだかソファンは貸してやったネックウォーマーをすんすん嗅いでいた。
「あー……臭かったらごめん……。いや、まだオッサン臭とかそういう年じゃないはずなんだけど」
「少し絵の具の匂いがするんです。この匂い、落ち着くから好きです」
好きです、の一言にわずかに心臓が跳ねた気がした。
ソファンが同性愛者だと知った上でのことだから、過敏に反応してしまったんじゃない。
これまでも俺の作品を好きだと言い続けてくれたソファン。今度は俺の身につけていた物の匂いを好きだと、うっとりしながら言う。
「……ソファンくんねぇ、そういう軽率な『好きっ!』はノンケの俺でもちょっとドキッとしちゃうから。慎むように」
「はーい……」
半分は本気、半分は冗談でお説教などしてみる。
「でもさ、そんな風に可愛く迫ったら、意外にコロッと落とせちゃったりしてな」
何しろソファンは見た目が可愛らしい。もし彼の想い人が異性愛者だったとしても、何かの拍子、何かの間違いが発生する可能性はあると感じた。
「そうですかね?」
「あっ、そのちょっと涙目で上目遣いされる感じがいいわ」
「……もう、からかわないでください」
少しむくれてみせるのも可愛いと思った。
どうしたんだ俺は。
弟みたいに感じていたソファンが、突然ちょっとだけ別のベクトルでも愛おしい。
誰かのモノになってしまうかも、獲られてしまうかも、と感じて謎の独占欲をこじらせているのか。
少し落ち着いてきた様子のソファンが、ぽつりぽつりと話しだす。
「やっぱりセックスするなら好きな人とがいいと思いました。……でも、もしそれができなくても、気持ちすら伝えられなくてもいいって思いました」
「いや、無欲すぎない?若いんだからもうちょっとガツガツしてけば?」
ソファンはふんわりと、ようやく彼らしいやわらかい笑みを見せた。
「その人のことがすごく……すごく大好きなので……日本にいるうちに、少しでも長く隣にいられたら幸せです」
「まぁ、ソファンがそれでいいなら」
手が汚れていないのを確認してから、ソファンの頭をポンポンと二度撫でた。
ネックウォーマーに口元を埋め、ソファンがふふっと笑う。
「これ、汚しちゃいました……ごめんなさい」
キスマーク隠しに貸してやった黒いネックウォーマー。涙やら何やらでぐちゃぐちゃになってしまったんだろう。
「あげるよ、それ。ヤバいくらい寒かった時に慌ててコンビニで買った安物だから」
「え、いいんですか?」
「うん。今日あったこと思い出してツラいなって思うんだったら、帰ってすぐ捨てちゃってもいいし」
ソファンは黒のモコモコに埋もれた首を横に振る。
「せっかくもらったのに……捨てるなんてもったいないです。……あ、でも航平さんはこれなくて寒くないですか?」
「今?あー、まぁ寒いっちゃ寒いけど……」
俺が寒いと言ったら、ソファンが俺の背中にぴとりと引っつき、ぬくもりを分けてくれた時のことを思い出した。
あんなバカバカしいことももう気安く頼まない方がいい。ソファンはどこかの誰かを想っているんだから。
「じゃあ、温かいコーヒー買ってきますよ。カイロも要りますか?」
「気ぃ遣わなくていいよ。今日いろいろあって疲れてんだろ?明日月曜だし、もう帰りな」
「嫌です。飲み物買ってきて、航平さんが絵を描くのを見てます」
俺がお金を渡そうとしなくても、ソファンはさっさとコンビニの方へ小走りに遠ざかってしまった。
弟のように可愛かったソファン。
初めて男に抱かれそうになって、こわかったんだと俺の前で泣いて。
しかも好きな奴がいると言う。それはどうやら彼の口ぶりからすると日本にいるようだ。
胸の内が不穏に揺らぐのを感じる。
俺が戸惑ってどうする。
苦しいのはソファンだ。この冬が終わり、大学を卒業したら国に帰る。好きな奴との関係がどうなっていようが引き離される。
だから俺は少しの口出しくらいはしても、自分の心までかき乱されるのは違う。
距離を置いた方がいいのはわかる。
「航平さん!はい、いつものブラック売ってました!あとカイロ」
「ん……早かったね、ありがと。金払うわ」
しかしソファンは、心底嬉しそうに俺の隣に戻ってきてしまうのだった。
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