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第1話 見覚えのある顔

「……っ……うぁ、うわぁぁぁっ……!」  悲鳴と共にがばりと起き上がり、咄嗟に自分の身体を抱きしめた。耳をつんざく激しい衝撃音と落下感の記憶が生々しく、身体中の肌を粟立たせている。  だけど、こうして生身の身体に触れることができるということは、まだ生きているということなのだろうが……。 「……あれ?」  てっきり病院かと思ったけれど、そこはひどく暗く、寒い場所だった。両腕をさすりながら、慎重に部屋を見回してみる。  ――病院じゃない。なんだろう……雰囲気がおかしいぞ?  頼りない蝋燭の明かりに照らされた部屋には、粗末なベッドが二台。壁際の棚には、薬瓶のようなものが並んでいる。医務室のようなところだろうか。  寒さと不安に震えながら辺りを見回しつつ、こわごわとベッドから足を下ろした。そして、足元の氷のように冷たい感触にまた震え上がる。履いていたはずのスニーカーはどこへいったのだろう。 「えぇ? どこだ、ここ……」  冷たい床を踏み締めて、恐々と立ち上がってみた。  怪我をしている様子はなく安堵するものの、身につけているものは病院着といった類のものではない。薄い白い布でできたワンピースのようなものだと気づいて、首を傾げた。  裾はくるぶしまでを覆い隠すほどの長さで、袖口は手首に向かうほど広がりのあるデザインだ。  丈は長いが、息が白く曇るほどの冷気の中で過ごすにはあまりにも薄い。震える身体を抱きしめながら、小さな灯火を頼りに窓のほうへとゆっくり歩み寄ってみた。  ――あれ……? 僕はこんな顔してたっけ?  大人たちからは”目つきが悪い”と捉えられがちな大きな目が、ずっとコンプレックスだった。顎が小さく頬が細いせいか、ただそちらに目線を向けているだけで、相手を不機嫌にさせてしまうのだ。  ただ、それはあながち間違いではない。実際、自分たちの享楽にしか関心のない大人たちに心の底から失望感を抱いていたため、目から感情が溢れ出していた可能性もなくはない。  燭台の灯りによって鏡面になった窓ガラスの中に写っているこの顔は、確かに自分の顔だと認識できる。なのに、なぜだか妙な違和感があった。  目鼻立ちがはっきりしているからこそ生意気に見られがちなこの顔は、確かに自分だ。  だけど同時に、もっと日本人らしい顔をしていたはずなのに……と思って、ふと気づく。――ああ、僕は夢を見ていたのだと。  夢の中の自分は黒髪で、目も鼻も小さくて主張が薄く、面白みのないおとなしそうな顔だった。今の自分とは似ても似つかないその相貌が、窓に映った顔とだぶって見えた。  どうやら、目覚めたばかりで意識が混濁しているらしい。今まで見ていた夢と現実がごちゃ混ぜになっているせいか、頭の深い場所がズキズキと疼いている。痛みに顔を顰め、汗の浮かんだこめかみをぐっと押さえた。 「……くそ……頭痛い」  呟く声も、記憶にある自分のそれとは少し違う。違和感を覚えて喉元を押さえたとき、バンッ! とノックもなしに勢いよく扉が開いた。  仰天するあまり声も出ず、弾かれたように後ろを振り返る。 「ようやく起きたのかい。まったく間の悪い子だね、出発の直前に倒れるなんて」 「……は? あの……すみません。ここ、一体どこですか」  看護師にしては様子のおかしい女性に、恐る恐る尋ねてみた。すると、ただでさえ眼光鋭かった女性の眦が見る間に吊り上がり、さらに厳しい目つきへと変貌する。  でっぷりと太った身体を重そうに揺すりながらこちらに歩み寄ってくる女性は、映画に出てくる修道女のような衣服だ。引っ詰めた髪の毛は全て白く、浅黒い肌に深く刻まれた皺もいかめしい。 「ふざけるんじゃないよ!! 気が狂ったふりでもすりゃ、生贄にならなくて済むとでも思ってるのかい!?」 「はっ……!?」  鼓膜をつんざくようなヒステリックな声がきぃんと頭に響き、唐突に、彼女にまつわる記憶が脳内を去来した。  ――この人は修道女のホッツ。この教会で孤児院を営んでいるけど、王都から支給される金や子どもたちが街で下働きをして稼いだ金を、全部酒や男遊びに費やしている……  そうだ。ひと月ほど前、ホッツの不正に気づいて彼女を責めたことがあった。激昂したホッツに掴み掛かられて以降、彼女の関係は最悪だ。  現に、こちらを睨みつけるホッツの目はどこまでも忌まわしげだ。記憶はあるのに覚えがないような不思議な感覚に首を傾げていると、ホッツは露骨に顔を歪めて嫌悪の表情を浮かべた。 「トア! まさかお前、自分から生贄になりたいって言い出したくせに、怖気づいたのかい!?」 「え? ……トア?」 「今更行きたくないなんて言っても許さないよ! もうここにあんたの居場所はないんだ。あんたは今夜生贄として、あの悪魔のところへ連れて行かれるんだからね!」 「生贄? 悪魔って……!?」  覚えのある言葉の数々が、トアの記憶を揺さぶってくる。  ――この状況。僕と同じ、『トア』という名の少年の容姿。『生贄』、そして『悪魔』……  額をがつんと殴られたような衝撃に襲われ、全身が震えた。  ――う、嘘だろ……!? これ、『生贄の少年花嫁』の内容そのものだ……!

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