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第2話 この世界は

+  + 「この人の新作も異世界転生ものか……そろそろ飽きてきたなぁ」  バイク事故を起こす前日の夜のこと。  都亜はいつものように、電子書籍販売サイトでBL小説を買い漁っていた。  閉塞的な日常に疲れ果てていた都亜は、心の安らぎをBL作品に求めていたのだ。  同性しか好きになれないと気づいたときから、ゲイであることをひた隠しにしてきた。固定観念の蔓延る田舎で性的志向をオープンにしてしまえばどうなるかなど、想像するまでもない。  現実で恋をすることはとうの昔に諦めていたけれど、心の潤いは必要だ。そこで都亜は、BL作品を通じて恋愛を擬似体験しようと試みたのである。  一度手に取ってしまえば、ハマるのは容易かった。  さまざまな葛藤を乗り越えて結ばれてゆく主人公たちの姿に都亜は胸を打たれ、励まされ、日々を生き抜く力をもらえた。    それだけではない。BL作品は、乾き切った都亜の心に、ときめきやエロスをも与えてくれる。社会人になってから見つけたB Lという癒やしに、都亜は自由になる金のほとんどを注ぎ込んできた。  世間ではコミカルなものやハッピーエンドの作品に人気が集まるようだが、都亜が好むのは、どちらかというとドロリと生々しい情感の溢れる、薄暗い雰囲気の作品だった。グロいのは苦手だけれど、悲恋ものやバッドエンド作品も構わず読んだ。  もちろんハッピーエンドは素晴らしいものだ。だが、幸せな雰囲気の作品は都亜の心情からはどこか遠く、共感しにくさがあったのだ。  登場人物たちが悩んだり、苦しんだり、痛めつけられたりする作品を読んでいると都亜の心は締め付けられる。だけど不思議と、心が凪いでいくような気もするのだ。  ――ああ、苦しんでいるのは僕だけじゃない……そう思えるから。  そうして、夜な夜な新作としてトップ画面に上がってくる作品をチェックするのが、都亜の日課だった。  その日のラインナップは、十作品ほどある新作のほとんどが『異世界転生』を冠したファンタジー小説。どの表紙にも、西洋貴族風の衣装を身に纏った王子様風のキャラクターがいて、こちらに艶やかな視線を投げかけている。  ページをめくれば、壮麗かつ甘美な世界が読者を待ち受けているに違いないと期待させるものばかり。どのキャラクターももれなく美形で、華やかで、十分に都亜の目を楽しませてくれるのだが……。 「うーん、最近こういうのばっかりだなぁ。ちょっと飽きてきたんだよね、異世界もの……」  そう独りごちつつ、都亜はスルスルと画面をスクロールしていった。するとランキングの終わりがけのほうで、ふと、真っ黒な背景の中にひときわ目立つキャラクターが目に飛び込んできた。  目にも鮮やかな白銀色の髪。  切れ長の深紅の瞳が、挑発的に都亜を睨みつけている。 「うわ……すっごい美形。人外ものかな?」  表紙を飾るイケメンキャラに興味を惹かれ、都亜はその作品の詳細情報をタップしてみた。 「『生贄の少年花嫁』……ふうん、ヴァンパイアものね」 『吸血鬼』『鬼畜』『バッドエンド』といった作品の特徴を示すキーワードが表示されたのだが……都亜はその時、さほどその内容には興味を引かれなかった。  正直、あまり食指が動かない。  吸血鬼を題材としたBL作品はこの世にあまた存在しているため、ネタとしてはすでに出尽くしている感じがする。題材として、特に目新しいものに感じられなかったのだ。 「ちょっと今更感あるんだよなぁ、ヴァンパイアものって」  と言いつつも……表紙イラストのヴァンパイアらしき青年の美麗さには、ぐっと惹かれるものがあった。    文句のつけようがないほどに整った顔立ちは無表情で、いかにも冷酷そうだ。しかし、瞳の表情にどことなく愁いが漂っているように感じられ、妙に都亜の心に訴えてくるものがある。 『バッドエンド』というキーワードも気になるところだし、あらすじにある主人公の名前は自分と同じときている。……都亜は吸い寄せられるように、購入ボタンをタップしていた。  一口にバッドエンドといっても多種多様な終わり方がある。この手の小説がどのようなバッドエンドを迎えるのかというところも、少し気になったのだった。  あまり期待せず読み始めた『生贄の少年花嫁』だが、文章は読みやすく、すんなりと情景が思い浮かんでゆく。飾らない文章で世界観が綴られているため、寝る前のまったりした時間に読むにはちょうど良い作品に思えた。  村に降りかかる厄災を退けるための『生贄』として、攻めの『悪魔』のもとへ送られた主人公、『トア』。  村に伝わる因習を断ち切るためにも、トアは『悪魔』と呼ばれる攻めを殺す意志をもって自ら生贄に志願する。だが、その目論見はことごとく失敗し、トアは『悪魔』から酷い陵辱を受ける。  トアは何度酷い目にあっても、孤児院でともに暮らしてきた子どもたちを守るため、果敢に『悪魔』に攻めかかり、そのたびに惨たらしく抱かれるのだ。  感情の通わない行為を重ねるうち、やがて二人の間には快楽と愛欲に塗れた共依存関係のようなものが出来上がってゆくが……。  ラストで『悪魔』と呼ばれる吸血鬼は、村からトアを救うべくやってきた田舎貴族に殺されてしまう。  無事助け出されたものの、トアは『悪魔』への恋慕とも快楽への執着とも言いがたい複雑な感情から抜け出せないままでいた。  その後、トアは『悪魔』に教え込まれた快楽を忘れられず、村の男たちの慰み者と成り果ててしまい、やがて自害の道を選ぶ――……  そう、『生贄の少年花嫁』は、かなり後味の悪い最悪の結末を迎える作品だった。  とはいえ、作品の薄暗く耽美な雰囲気は、都亜にとって好ましいものだった。次は起きている時にじっくり読み直さなくてはと考えながら、うとうと寝落ちしたものだったが……。  まさか、本当に『異世界転生』という現象が存在するとは。  そしてまさか、よりにもよってその現象が自分の身に起こるなんて、にわかには信じがたいことである。  しかも、しかも……。  ――よりによってこの話!? 『生贄の少年花嫁』じゃなくて、もっと別の、主人公がイケメンに囲まれて幸せになる作品だっていっぱいあるのに、よりにもよってバッドエンド作品の主人公に転生するなんて……!  つくづく、自分のついてなさに絶望する。  生まれ変わる前の現代社会でも日々に疲れ果てて絶望していたのに、生まれ変わってもバッドエンドなんてつらすぎる。  ――……どうせなら、ほのぼのスローライフを送ったり、イケメンだらけの乙女ゲーム的な世界に転生したかったなぁ…… 「ほら、これを着てさっさと表に出な! 最後のお見送りだ」  グズだノロマだとトアを罵るホッツのダミ声を片耳で聞きながら、絶望しつつも記憶の整理にいそしんでいたところへ、バサリとなにかが羽織らされる。それは白い外套(マント)のようなものだった。  分厚い生地はずっしりと重く、襟の高いデザインだ。凍えかけていたトアは、ありがたく外套に袖を通して前をかき合わせた。すっぽりと足元までを覆う長さがあるものの、素足なのでぞわぞわと冷気が足元から這い上がってくる。  暗い廊下を裸足のまま引き摺られるように歩いた先で、建物の玄関らしき扉が大きく開け放たれた。トアの全身を凍りつくような冬の風が包み、外套の裾を翻して吹き抜けていった。  鼻腔を満たすのは、嗅ぎ慣れた日本の冬の風の匂いではなく、異国の香りだ。  動物園で嗅いだような獣の臭いや、濃い土の匂い。そして凍てつく空気が、痛いほどに頬を刺す。  月明かりのもとに茫漠と広がっているのは、どこまでも続くかに思えるような草原だった。そのさらに先に視線をやると、夜空よりもさらに深い闇を抱いた黒い森が、まるで巨大な獣のようにうずくまっている。  不気味な夜の風景に目を奪われていると、ひょろりと痩せた背の高い老人が、トアの前に進み出てきた。  ホッツと同じように彫りが深く、たっぷりした眉や髭はすべて白い色をしている。丈の長い黒衣に身を纏ったその老人の目は厳しくも狡猾そうな光を宿していて、トアの背筋を震え上がらせた。 「これより悪魔の元へ身を捧ぐ哀れな生贄に、神からの祝福を」  老人は十字を切り、嗄れた低い声でそう述べた。  両肩に老人の手が置かれ、食い込む指の強さに身体が竦む。  骨の目立つ大きな手だ。老人はトアの肩を痛いほどに強く掴み、じっと瞳を覗き込んできた。  そして、誰にも聞こえないような囁き声で、幼子に言い聞かせるようにこう言った。 「トア。お前はこれから、悪魔の棲まう屋敷へと運ばれる。そいつは悪魔だ。この町に不幸を呼ぶ悪魔だ。……必ず殺せ」 「……こ、ころす……?」 「いいか、トア。必ず殺せ。何としてでも。そうすれば、お前は再びイグルフに戻れる。これから先、この町から生贄が出ることもなくなるのだ。……くれぐれも、励むのだぞ」  暗がりの中でも、その老人の瞳が昏い光を宿していることがわかる。トアに呪いを刻み込むように言葉をかけながら、さらに強い力で肩に指を食い込ませた。 「さぁ、とっとと行きな。悪魔の機嫌を損ねたらどうするんだい!」 「うわっ」  ホッツに襟首を掴まれ、前方に停められている馬車へと突き飛ばされる。一頭立ての質素な馬車によろめきながら乗り込むと、馬車はすぐさまガタゴトと動き出した。  そのとき、背後から風の音に混じって、讃美歌のようなものが聞こえてきた。いや、この物悲しげなメロディは、葬送歌といったほうがいいかもしれない。  馬車の揺れに耐えながら後ろを振り返ってみると、さっきは姿が見えなかった子どもたちが、こちらに向かって合掌している姿が小さく見えた。  ――あの子達を守るために、僕は自ら生贄になったのか。  込み上げてくる寂寞とした感情に、トアはぎゅっと拳を握りしめる。気を取りなおすべく息を強く吐き、前方を向いて硬い椅子に座り直した。  舗装されていない道を進む馬車は揺れがひどくて、車輪が小石を乗り上げるたびに尻が浮く。だが、そんなことを気にしている余裕はない。  トアは、『悪魔』を殺すという目的を持って生贄に志願したのだ。これから待ち受けるのは戦いだ。  そしてその相手は『生贄の少年花嫁』の攻めキャラである、残虐非道な吸血鬼……。  ――いや、待て待て待て……吸血鬼相手に僕が戦う? 殺せって言われたけど、吸血鬼を殺すなんてことが僕にできるのか?

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