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第3話 うまくやれる気がしない

 攻めである吸血鬼の名は、ヴァルフィリス。   表紙イラストで見た限りだが、彼はとても美しかった。とても好みな顔立ちをしていたヴァルフィリスのことは、じっくり鑑賞したのでよく覚えている。  深い赫を湛え凛とした瞳、ゆるやかにウェーブした白銀色の短髪。  ヴァルフィリスの銀色の髪と白い肌は漆黒の表紙に映え、小さなスマホ画面の中でも圧倒的な存在感を放っていた。  中世ヨーロッパ風の貴族然とした端正な装いは華やかで、繊細かつ妖艶なタッチのイラストはまるで宗教画のように神々しい。スマホ画面を拡大して、細部の描き込までじっくりと鑑賞してしまうくらい好みの顔だった。  そして表紙の中で彼が腕に抱いている……いや、捕えているのは、目力の強い痩せた美少年。  明るい亜麻色の髪は乱れ、碧色の瞳で憎々しげに読者を睨みつけている少年こそ……トアである。  美少年設定なはずなのに、ふと触れてみた頬はカサカサだ。しかも、なんなら少し()けている。  それもそのはずだ、村の暮らしは貧しくて、子どもたちに食べさせる食事を確保するだけで大変だった。  孤児院で世話係をやっていたトアはいつも自分の食事は後回しにしていて、幼い子どもたちが飢えないよう気を遣っていたのだから。 「食べるものには困らなかった現代のほうが、まだマシだったかもしれない……」  馬車に揺られながら、トアは軽く腹をさすった。薄くてぺたんこの腹だ。腕も脚もガリガリだし、こんな身体でどうやって吸血鬼と戦えというのか。それに……。  ――なんとかして吸血鬼を倒さないと、僕はそのまま犯されちゃうってことだよな……。相手は絶世のイケメンだけど、初めてがレイプなんて絶対に嫌だ。現代人の叡智でもって、なんとかして吸血鬼を倒さないと……!!  吸血鬼が苦手なものというと――パッとトアの脳裡に浮かんだのは、にんにくと十字架だ。  数多の吸血鬼BLを読んできたつもりだが、結局思いつくのはこの程度。……安直なひらめきとしか言いようがない。  とはいえ、にんにくなんて急に手に入るのか? そもそもこの世界線ににんにくは存在するのだろうか?   それなら十字架はどうだろう。十字を切るだけでも効果はあるのか……? 「……って、そんなんで勝てるわけないよな。ああ……どうしよう、逃げ出すべき? ほら、よくあるじゃないか。逃げ出した先でかっこいい騎士様と出会ってハッピーエンドっていう展開が……!」  逃げ出す隙を窺うべく辺りを見回すも……森の中は真っ暗で、あまりにも不気味だった。  時折、ガサガサっと誰かが木々の葉を揺らすような音や、得体の知れない獣の唸り声のようなものが聞こえてきて、トアは思わず身を縮めた。  さらには、遠くに狼の遠吠えのような音が聞こえてくる。つまり、このあたりには獣が出るに違いない。なんといってもここは異世界だ。何か得体の知れない生き物が、よだれを垂らしてトアを待ち受けている可能性だって……。 ――こ、怖すぎるし危険すぎる……!!   頭の中では『逃げる』『戦う』という選択肢がぴこぴこと光っているイメージが思い浮かぶのだが、こんな状況じゃ、どちらも選ぶことはできやしない。  にっちもさっちもいかずにびくびくしながら暗闇に目を凝らしているうちに、ずいぶん時間が経ってしまったようだ。  次第に馬車が減速し始め、トアははっとして御者の背中のほうへ目をやった。すると、永遠に続くかと思えていた暗い森のその向こうで、小さな灯りがちらりと揺れている。  ――う、うわぁ……どうしよう、もう吸血鬼のお屋敷に着いちゃうじゃん!! どうしよう、逃げるか……!? いや、でも逃げたら獣の餌食に……!!  もうだめだ、恐怖と緊張で頭の中がぐるぐるしてきた。だけど手足は相変わらず冷たいままだ。ガタガタ震えている手をかろうじて握り合わせ、ふうふうと吐息を吹きかける。  だが、時間は止まってはくれない。  灯りは少しずつ大きくなり、樹々の切れ目に大きな屋敷が見えてくる。  ほどなくして、馬車はとうとう停まってしまった。 「降りな」  掠れた声でそう命ぜられ、トアは生まれたての子鹿のような足つきで馬車を降りた。  そうだ、御者に哀れっぽく縋ってここから逃がしてもらう手もあるか――……!! と閃いたものの、馬車はすぐさまその場から離れていってしまう。まるで、大慌てで逃げてゆくように……。  力なく見上げた先には、大きな鉄製の門扉が聳えていた。瀟洒な貴族の屋敷といった外観だけれど、それはまるで牢屋の鉄格子のように見える。  囚われてしまったら、二度と脱出することのできない牢獄――……前世と同じ、またしても牢獄だ。トアは泣きそうになった。 「どうする……行くのか? 行かないのか? いや、逃げるという選択肢は僕にはない。行くしかないのは分かってるんだけど……どうする……!?」  そわそわとその場を行ったり来たりしていると、また遠くのほうから獣の遠吠えが聞こえてきて飛び上がる。   「あああもう、行くしかない!! ……よし、いくぞ!!」  あえて大声を出して自分を鼓舞する。そしてトアは、おしゃれな鉄格子めいた門扉に手をかけ、グッと力を込めた。 「開いた……」  金属が軋む音をかすかに響かせながら、門扉は動いた。自分一人が通れるだけの隙間を抜け、律儀にまた門扉を閉めておく。    石畳のような感触の地面を裸足で踏みしめながら、一歩一歩、屋敷の方へと進んでいく。

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