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第4話 遭遇

 凝った装飾の施された大きな玄関扉は木製で、トアの身長をはるかに超える大きさだ。ぐっと力を込めて扉を押し開き、するりと中に入り込む。  外は真っ暗だったけれど、そこここに置かれた燭台の灯りで、屋敷の中はほんのりと明るかった。扉を背中で閉めながら、用心深くあたりを見回してみる。 「わ、あぁ……! すっごい豪華……!」  目に飛び込んでくるのは、見上げるような高さの天井と、壁に沿ってゆるやかな螺旋を描く優雅な階段。玄関ホールだけでなんという広さだろう。  人の気配はなく、ひどく静かだ。恐る恐る屋敷の中へと歩を進めつつ、トアはきょろきょろと辺りを見回した。  そのとき、カタン……と、小さな音が奥のほうから聞こえてきた。  仰天して飛び上がり、バクバクと大騒ぎする胸を押さえて、薄暗がりに沈む屋敷の奥へ目をこらす。  玄関ホールの奥にあるのは、ひときわ目立つ観音開きの扉。繊細でいて、豪奢な装飾の施された美しい扉だ。  指紋をつけることを躊躇ってしまうくらいピカピカに磨き上げられたドアノブに、トアはそっと手をかけてみた。 「あぁ……暖炉だ」  部屋の中はほんのりと橙色に染まっていて、パチ、パチと薪のはぜる音が響いている。  絨毯の敷かれた部屋の中には大きなソファと寝椅子が置かれていて、壁には立派な暖炉が設えてあった。  寒さで凍えていたトアにとって、まろやかに揺れる炎は涙が出るほどにありがたいものだ。橙色の炎であたためられた部屋の空気に気が緩み、早足に火の元へ駆け寄ろうとした。  だが、突然誰かに肩を掴まれたかと思うと、ぐんと突き放されるような衝撃が身体を包む。暖炉の炎に気を取られ、暗がりに誰かが潜んでいることに気づかなかったらしい。 「うわっ……!」  突き飛ばされたものの、トアの身体を受け止めたのは柔らかなクッションだった。どうやら寝椅子の上に転がされたらしい。  足側のクッションが微かに軋み、誰かが寝椅子の上に乗り上げてくるのがわかった。ようやく暗がりに目が慣れてきたトアの視界の端で、キラ……と銀色の繊細な輝きが揺れて――……。 「誰だ、お前」  鼓膜を甘く震わせる涼やかな低音。  思わず息を呑んで身を固くしたトアの視界に、繊細な輝きを纏った美しい男が現れた。  暖炉の灯を受けて煌々と輝く赤い瞳は、まるで高貴なルビーのような深紅。  揺らめく赤の美しさに、思わず目を奪われていた。  それはまるで、大量の血を溶かし込んで凝縮したような赤。こんな色の瞳は見たことがない。  切れ長の凛々しい双眸は銀色の長いまつ毛に縁取られ、まるでビスクドールのように端整だ。  彫りの深い目鼻立ちにスッと通った高い鼻梁。そして、すこし紅色を帯びた形のいい唇――……この姿は、紛れもなく。  ――う、うわぁ~~~!! で、出た!! ヴァルフィリスだ……!!  この男が、残虐非道な攻めキャラたるヴァルフィリス。  突然すぎるエンカウントに硬直しているトアを睥睨する深紅の瞳が、炎の揺らぎを受けて禍々しくぎらついて見えた。  表情の読めない冷え冷えとした美貌は作り物めいていて余計に怖いし、肩を押さえつける容赦のない力加減にさらなる恐怖を煽られる。  恐ろしくてたまらない。……だが。  ――す、すごい……。なんという美しさ、なんという造形美……  恐怖を通り越して、あまりの顔の良さに驚愕してしまう。  これまで数多のBL作品を読んで二次元の美形たちはたくさん目にしてきたけれど、三次元となると迫力が全く違った。  気づけば、呆然とした表情で、しげしげとヴァルフィリスの顔に見入ってしまっているトアである。  しばしの沈黙のあと、ヴァルフィリスがうっそりと目を細めた。 「こんなものを隠し持っている割には、ずいぶんと大人しいんだな」 「えっ? こんなもの……って」  チャリ……と微かな金属音が耳元で微かに聞こえる。ヴァルフィリスが手にしているものを見て、トアは目玉をひん剥いた。 「なっ、ナイフ……!?」  あちこち錆びたナイフ……いや、太さからいって短剣といったほうがいいだろうか。刃渡り三十センチほどの諸刃の剣だ。  現代を生きていた頃は、手に取ることはおろか目にしたことさえないような物騒な刃物が目の前にちらつかされ、トアは真っ青になった。  羽織らされたマントが妙に重たかったのはこのせいだったのかと、ハッとする。  きっと、マントの内布のどこかに仕込まれていたのだ。組み敷かれた拍子にマントの合わせ目が開いてしまい、ヴァルフィリスにバレたのだろう。気が動転していたせいで、全くそんなことには気づけなかったが……。  ――待て待て待て。そうだ、この隠し持った剣で、僕はヴァルフィリスに斬りかかってバトルになるんだ。そんでそのあと、『昂った華奢な身体を思うさま貪られ、何度も何度も果てさせられる』ことに……!  だが実際のところ、斬りかかるどころか組み伏せられて、ナイフを奪われてしまっている始末。  自分のどんくささに呆れていると、ヴァルフィリスは刃先のほうへそっと鼻先を寄せた。そして、小さく笑う。 「へぇ、ご丁寧に毒が塗ってあるじゃないか」 「ど、毒……!?」 「なるほど、お前も俺を殺すように言いつけられてきたんだな。毎度毎度、ご苦労なことだ」  どことなく性的なニュアンスのこもったセクシーな声音で、耳元で囁くように凄まれる。ぞくぞくぞくと甘く痺れるような感覚がトアの全身を這い上がり、思わず「ヒ、ヒィ~……」とおかしな声が漏れてしまった。  そのせいか、震えるトアを見下ろすヴァルフィリスの視線が訝しげなものへと変化してゆき、生ぬるい目つきになった。  だが、聞き捨てならない言葉が耳の奥に引っかかる。トアは、恐る恐る尋ねてみた。 「あんたを殺すように……って、僕以外の生贄も、そう言ってたのか?」 「ああ、そうだ。生贄として送られてくるガキどもは皆、お前のように武器を隠し持っていた。隙をついて俺を殺すように命じられているらしいじゃないか」 「そ、それは……あんたが生贄をよこせとか物騒なこと言ってくるからだろ! だから僕らはこうやってあんたを殺しに……!」  反射的に言葉が口から飛び出したことにも驚くし、反抗的な台詞のマズさにもゾッとした。  バトルを避けるのであれば、もっとしおらしく、大人しくしておかねばならない場面なのに、思ったことがそのまま口から飛び出してしまった。  そうだ、いつもこうだった。  前世の自分は慎重に言葉を選びすぎて会話に詰まるタイプのコミュ障だったけれど、今の自分は、思ったことをなんでも口にしてしまうタイプのコミュ障だ。  ヴァルフィリス相手に、これじゃ真っ向から喧嘩を売っているだけのように聞こえるではないか……  ――や、やばい……すっごい冷ややかな目で僕のこと見てる……。どうしよう、カラッカラになるまで血を吸われて殺されたらどうしよう……!  真っ青な顔で、地獄の沙汰を待つ気分で冷や汗をたらたら流しながら震えていると……意外なことに、ヴァルフィリスはフッとシニカルに笑った。 「バカ言うな。俺は静かにここで暮らしてるだけだよ」 「……えっ?」 「とはいえ、せっかくの『生贄』だ。捧げられた獲物は、ありがたく頂戴しておかないと失礼かな?」 「ひっ……!?」  からかうような笑みを唇に浮かべ、ヴァルフィリスはトアの喉笛のあたりを指で突いた。  美しい攻めが、トアに興味津々といった目つきで真っ直ぐに見つめてくるこの状況――……耽美なBL的絵面としては完璧だろうが、目の前に迫ってくる男は吸血鬼だ。  ――やばい、やばいよ……。このままじゃあの小説のとおり、陵辱三昧の日々が始まってしまう……!!  どうすればその状況から回避することができるのだろう。  バトル経験なんて持ち合わせていないけれど、どうにかしてあの剣を取り返せばなんとかなるかもしれない。  刃物を持てばきっと、ヴァルフィリスも簡単には手が出せないはず。真偽のほどはわからないが、あの剣には毒が塗ってあるというのだから、きっと相手も慎重になるだろう。  剣はどこにある? ヴァルフィリスから目を逸らしてあたりに視線を巡らせてみると、床の上に無造作に転がっているそれが視界に飛び込んできた。  ――あそこまで手が届けば……!!  とはいえ、肩の骨が軋むほどの力でトアを押さえ込んでいるヴァルフィリスの腕から逃れることが、まず至難の業である。動くに動けずにいるトアのこめかみを、冷や汗がひとすじ伝う。  その時、トアはハッと閃いた。

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