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第7話 目的を思い出せ
孤児院での食事はいつも粗末なものだった。乾いて固くなったパンに、なけなしの野菜を茹でたスープが主な食事だ。スープといっても味はなく、栄養なんてほとんど含まれていなかった。
こんなに美味しいものがこの世にあるのなら、孤児院の子どもたちにも食べさせてやりたかったな……と、切なくなる。
「あ、あのさ」
「ん? なに」
「あの人……、も、こういう料理を食べるのかな?」
本当は『どうして僕の血を吸っていないのだろうか』と尋ねたかったのだが、なんとなく気まずくて話題を変えた。
「いや、食わないよ。食べようと思えば食べられるらしいんだけど、あいつにはその必要ないからな」
「必要がない……なるほど」
「ワインは好きみたいだぞ? 地下にいーーっぱい溜め込んでやがるから」
「ワインかぁ」
やはり赤ワインが好きなのだろうか……などと考えていると、アンルはじっとトアの目を覗き込み、少し控えめな調子で「それ、うまいか?」と尋ねてきた。
迷わず頷き、「美味しい! すごく元気でる」と笑うと、アンルは照れくさそうに鼻の頭を掻いて、こう言った。
「へへ、うれしいもんだね。おれが作ったものをさ、美味しいって食べてもらえるのって」
「本当においしいよ。村での暮らしは貧しかったから、こんなに贅沢なスープは初めてなんだ」
「そっか、じゃあ腹いっぱいになるまでたくさん食べろな!」
アンルは、さっきよりもひときわ明るい笑顔でニカッと笑った。そして、ゆっくり噛み締めるようにスープを食べすすめるトアを、飽きる様子もなく見守っている。
胃が柔らかく温まってくると、ようやくひと心地がついてくる。トアは、アンルに試しに質問をしてみることにした。
「きみは、この屋敷にいつから住んでるの?」
「えーと、ここで冬超えをするのは何回目かな。……うーん……五回目くらい?」
「だいたい五年くらいってことか。それまではどうしてたんだ?」
そうして身の上を聞かれることに慣れていないのか、アンルは青褐色の目を何度か瞬き、トアを探るようにじっと見つめていた。だが、さして問題ないと思ったのか、あっさりとここへ来るまでのことを話してくれた。
この世界において、狼獣人はかなり珍しい存在であるらしい。数世代前に人間と番ったものが存在したため、こうして時折アンルのような半獣人型の個体が現れるのだという。
かつての狼族は、獣のかたちをしていても人語を話し、強く賢い種族だった。しかし世代が進むにつれて知能は下がり、ただの獣となりつつあるという。
そんな中、アンルは半獣の状態で生まれた。鋭い爪と強い牙を持つ獣体の仲間達のなかで、人の肉体をもった幼いアンルがうまくやっていけるわけがない。野生の世界において、弱者は強者の餌食となるのが自然の摂理だからだ。
「母さんが生きてる間は守ってもらえたんだけど、死んじゃって、群れを追い出されちゃったんだ。しばらくはなんとかひとりでやってたんだけどでっかい狼どもに見つかって、食われそうになってたところをヴァルフィリスに助けてもらった、ってわけ」
「へぇ、そうだったのか」
「強いんだぜー、あいつ。普段は普通の人間みたいな格好してるけど、手からこんーんな鋭い鉤爪生やしてさ、おれを食い殺そうとしてたやつらをばったばったと追い払ってさ!」
「か、鉤爪……」
「生き残るにはつよいやつのところにいたほうがいいだろ? ヴァルはおれを殺す気なんてなさそうだったし、行くとこないなら好きにしていいっていうから、ここに住んでんの」
そう語るアンルの表情はあっけらかんとして、明るい。勝手な想像だけど、狼にも人間にも交われないアンルは、深い孤独や卑屈さみたいなものを抱えているんじゃないかと思っていた。
だけどアンルはけろっとして、「おとなになってからは、夜だけ狼の姿になれるんだ。毎晩お嫁さんになってくれそうな子を探しにいくんだけど、なかなかうまくいかなくてさー」とぼやいている。
同年齢ほどに見えるアンルが、もうつがいを探していると聞いてびっくりしてしまった。とはいえ、狼の成長は人間のそれとは段違いに早いはずだから、狼としての本能がつがいを求めるということは理解できる。
――前世の僕は二十年経っても、好きな人ひとりみつけられなかったけどなぁ……
男性社会で、ガチガチに凝り固まった固定概念が蔓延るあの町で生き延びるためには、本当の自分を押し殺さねばならなかった。
誰かを好きになることもできなくて、ずっと苦しい想いを抱えていたけれど、本当は誰かを好きになってみたかった。
なんの取り柄もない自分にとっては、あまりにも高望みな願いだったかもしれないが……叶うのならば、ただ一人の誰かに愛されたいとも思っていた。ふと、前世の自分を思い出して虚しくなる。アンルがどこにも属せない孤独な狼獣人かもしれないと勘違いしかけたのは、トア自身のよるべのなさを勝手にあてはめようとしただけだ。
「逞しいね、アンルは」
何気なく手を伸ばし、アンルの頭をぽんと撫でてみる。
するとアンルは耳をピッと立ててやや驚いた顔をしたあと、ぴょんと後ろに後ずさった。そして、大きな目を見開いてトアをじっと見据えている。
――あっ、まずい。これじゃ、前触れなくセクハラしてくるオッサンたちと変わらないじゃないか……!
トアはすぐさまがばりと頭を下げ、謝った。
「ごめん! いきなり触られたらいやだよね、ごめんな!」
「いや……別に。ちょっとびっくりしただけだし」
「本当にごめん。耳とかしっぽとか、ふわふわで可愛いなぁと思って、つい……」
「可愛い? おれ、可愛いの?」
アンルはまたびっくりしたように目を丸くした。気に障ったかとヒヤリとしたが、アンルはよく日に焼けた頬をぽっと朱色に染め、満更でもなさそうな顔をしているのでホッとする。
「う、うん。毛並みがきれいでモフッとしてるから……」
「ふーん、へぇ、そうなんだ。ふーん……」
そんな褒め方をされて嬉しいのかどうかわからなかったが、ひゅんひゅんと軽快に揺れるしっぽのようすを見るに、不機嫌にはさせなかったようだ。
表情豊かなアンルをみていると、柴犬のコロの姿を思い出す。前世のトアに癒やしを与えてくれていたコロの笑顔(?)やふさふさの毛並みを思い出し、トアは自然と微笑んでいた。
「トアはトア。よろしく」
「あ、うん。おれ、アンル」
名乗ったあと、アンルはひょいと立ち上がり、空っぽになっていたボウルをひょいとトアの手から引き取った。
「ま、今日はゆっくり休めよな。熱、下がってないんだし」
「ああ……うん。ありがとう」
「あと、あいつを殺したいなら好きにすればいいよ。どーせトアの手には負えないだろうけど」
「えっ。な、なんでそれを知って……」
その問いには答えず、アンルは横顔でにっと笑い、そのまま部屋から出て行った。
ひとりになると、なんだか急に身体がずっしりと重く、だるさを感じる。アンルが言うように、高熱が出ているようだ。
「はぁ……」
横たわり、気だるいため息をつきながら天井を見上げる。
ここはとても静かで、物音ひとつ聞こえてこない。普段、ヴァルフィリスやアンルはどこで過ごしているのだろう。この屋敷の中で生活しているのだろうか。
吸血鬼といえば、夜行性。きっと昼間は、真っ暗な地下室で棺桶のベッドとかで寝ているに違いない……ぼんやりそんなことを考えていたトアの脳裡に、ふと不穏なものがよぎる。
――そういえば、これまで生贄としてここへ連れてこられてきたはずの子どもたちはどうなったんだろう。
この静けさ。ここに大勢の人間が存在している気配はない。
十年に一度の頻度で、ここにはトアのような『生贄』の子どもたちが送り込まれてきていたはずなのに、この屋敷に住み続けているようすはない。それはつまり……。
「まさか、あいつが子どもたちの血を吸い尽くして、殺した……? とか?」
口にしてみてゾッとする。トアはぶるりと震え上がって、自らを抱きしめるようにして両腕をさすった。
そうだ、昨日も言っていたではないか。『捧げられた獲物は、ありがたく頂戴しておかないと失礼かな』と……。
さらにゾッとしたトアは、毛布をかぶってベッドの中に丸まった。この震えは恐怖によるものなのか、それとも発熱によるものなのかはっきりと区別はつかないけれど、今はとにかく寝たほうがいい。
頭の中でぐるぐると思考をめぐらせていたせいで、余計に熱が上がってしまったのかもしれない。熱をこもらせた頭は痛いし、関節も痛い。……それに、やっぱり寒い。
「うう……しんど……」
少し眠って、あとのことはそのとき考えよう。
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