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第15話 訪問者
遠目にもくっきりとして見える双眸が、はっとしたように見開かれた。
馬を降り、薄暗い木陰で固まった雪をざくざくと踏みしめながら、男が早足にこちらへ近づいてくる。
「びっくりだな……! 本当に子どもがいるのか!」
柵の向こう側から届いた声は、大柄で筋肉質な身体に似合いの落ち着いた低音だった。
焦茶色の短髪には若々しい艶があり、大きな瞳には精悍な爽やかさが溢れている。
年齢はおそらく、三十代前半あたりだろうか。質素なシャツを身につけていても、その下に鍛え上げられた頑強な肉体が透けて見えるような体格の良さで、なかなかの長身だ。ヴァルフィリスよりも大きいかもしれない。
現在のトアの身長がおそらく160センチと少しくらいだから、ヴァルフィリスの背丈はおそらく180センチ前後だと推測している。この男も同じくらいの背丈のようだが、筋骨隆々とした身体つきをしているため、さらに大きく見える。
がたいはいいが、いかにも人好きのする快活そうな男前なので、老若男女誰とでも親しくなれそうな雰囲気である。珍しい客人をしげしげと見上げていると、男はさらに柵の方へと近づいてきて、やや腰を屈めてトアを見つめた。
「怖がらせたか? すまんな。俺の名はオリオド、あやしいものじゃない」
「オリオド……?」
――うっすら覚えがある……けど、どういう立ち位置のキャラだったっけ……?
挿絵でちらりとみたような気はするが、思い出せそうで思い出せない。トアが小首を傾げていると、オリオドは馬の手綱を引いてトアのすぐそばへと歩み寄ってきた。
短く刈られた黒髪。きりりとした太い眉と、凛とした二重瞼の目はどちらも赤みを帯びた茶色をしている。はっきりとした目鼻立ちに、浅黒の色とも相まって、うるさいほどの存在感を持つ男だ。
「俺はエルド要塞に所属する兵士だ。イグルフ近郊の街道まわりを警護している」
「エルド要塞の兵士? そんな人が、どうしてこんな辺鄙なところに……?」
「ちょっとした調査だ。話を聞かせてもらえるとありがたい」
「はぁ……」
オリオドいわく、エルド要塞とは隣国との国境にある要塞で、ここいらのだたっぴろい田舎地帯すべてが管轄内なのだという。
ちなみに、王都からイグルフまでは、早馬を飛ばしても一週間はかかる距離があるらしい。イグルフが文化の中心からどの程度離れた場所にあるのかということがようやくわかって興味深く、トアは「へぇ」と呟いた。
「つい最近、イグルフの不穏な因習についての噂を耳にしてな。まさかこの時代に、『生贄』だなんて古臭い慣習が残っているなんてあり得ないと思っていたのだが……まさか、君はその『生贄』なのか?」
「えーと……? うん、まぁ、そういうことになるのかなぁ」
自ら志願したとはいえ、イグルフから送り込まれた『生贄』であることは間違いないので、トアは目線で空を仰ぎながら頷いた。
すると、オリオドは大きな目をひん剥いて、「ほ、本当か……!?」と声を震わせた。
「なんという非人道的な行為!! しかも、こんな幼い子を……!!」
「いや……僕はもう十八なんで、幼いってわけじゃ」
「十八!? ……そ、そうなのか? ずいぶん若く見えるが……」
またしても目を剥いてトアの全身をしげしげと観察するオリオドの視線に耐えかねて、トアは腕を撫でさすった。短身痩躯とはいえ、そんなに幼く見えるものだろうか。
「君は、誰かに酷い扱いを受けているのか? 食事抜きで強制労働させられているとか……!」
「そんなことないよ。イグルフにいたときよりも良い食事にありつけているし、好きで働いてるだけだけど」
「え? そうなのか? ど……どういうことだ」
オリオドは手綱を手にしたまま腕組みをして、頼もしそうな顎を撫でている。
「俺は、『生贄』の捧げ先である『悪魔』について調べるべく、この森を抜けてきた。この数十年、『生贄』の子どもたちを送り届ける仕事をしている御者を見つけてな、おおまかな場所を尋ねてきたんだ」
「御者? ああ、あの人……」
「なんでも、ここへ送られた子どもたちは、誰一人としてその後の行方がわからないらしいじゃないか。ということはつまり、ここにいる『悪魔』が幼子たちを手にかけているということだろう?」
「……う、うーん……」
ヴァルフィリスがそう悪い奴ではないかもしれないという考えが芽生え始めているものの、生贄の行方についてはいまだ尋ねることができていないこともあり、トアは曖昧に言葉を濁した。
するとオリオドは、眉間に皺を寄せて険しい表情になり、またしげしげとトアの全身を眺めまわし始める。
「……『悪魔』というのは、いったい何だ? 君はそれと出くわしたことはないのか?」
「出くわしては……いる、けど」
「ほう! で、どんなやつなんだ!? 幼子に興奮して無体を働く変態じじいか!? それとも……まさか、毛むくじゃらの巨大な獣人か……!?」
「ど、どっちでもないよ! なんだよ、幼子に興奮する変態じじいって!」
「そういう事件は多い。『悪魔』の正体が人間であるならな」
確かに、孤児院へ子どもを引き取りたいと申し出る人々の中には、往々にして薄汚れた下心を持つものが多い。新しい家族に出会えたとしても、その先に待つ人生が幸と出るか不幸と出るか……ある意味それは賭けなのだ。
里親希望者の素性についてきちんと詳しく調べるべきだと申し出たことがあったけれど、食い扶持が減ることをよしとする修道院の大人たちは、トアの声に耳を貸すことはついぞなかった。
ヴァルフィリスはそういう手合いではない……はずだ。とはいえ、まだ断言はできない。
トアをここの屋敷で好きにさせている理由も、本当にただ家畜のように肥え太らせてから血を吸い尽くしてやろうと考えている可能性だってなくはないのだから……。
「と……とりあえず、変態じじいではない。ちょっと怖いけど、まあまあ紳士的な人物……というか」
「ん? ということは、『悪魔』は人間ということか?」
「人間……? ではない、けど」
「なっ!? やはり人間じゃなかったのか……!! なんということだ!!」
いけない、失言をしたかもしれない。
オリオドはふるふると全身を震わせながら、きょろきょろと辺りを警戒し、あろうことか目の前の鉄柵を乗り越え始めた。
「ちょっ……!! 何してんだよ!」
「待ってろ、すぐに君を保護するからな!!」
「保護って、いいよそんなの! しなくていい!」
オリオドは大柄なくせに身軽な調子で鉄柵を乗り越えて、ひらりとトアの目の前に着地した。
そして、トアの両肩をガッと掴むと、キリッとした凛々しい両目を心配そうに曇らせて、トアの全身を眺め回す。
「ああ……こんなに痩せて、かわいそうに! その人外、君になにか酷いことをしているんじゃないだろうな!?」
「痩せてるかもだけど、これでもかなり肉がついたほうで……!」
そりゃ今もどちらかと言えば貧相な身体だが、これでもいくらかは健康的になったのだと説明したかったが、オリオドはトアが弁明する隙を与えない。
「なんてひどい……! あの村に伝わっている因習などもうとっくに廃れたのだろうと思っていたのに、まさか今もこんなことが行われているなんて……」
「ちょ、あの。だから僕はそういうんじゃ、」
「もう大丈夫だぞ! この俺が来たからには、もう心配はいらない! 今すぐにでもここから逃がしてやるからな!」
「いや、だから!! 僕はそんなかわいそうな感じじゃなくて!」
「かわいそうに! その『悪魔』とやらにすっかり洗脳されているようだ……こうなったらすぐにでもここを出て……!」
――なんなんだこいつ、まったく人の話を聞かないな!!
このままだと、軽々と荷物のように抱えられ、イグルフへ連れ戻されてしまいそうだ。
トアの肩を掴むオリオドの分厚い手はあまりにも頑強で、身を捩ってもびくともしない。
「心配しなくてもいいぞ。俺が保護して、きちんとした医者のところへ連れていくからな」
「保護なんて必要ないって! 人の話を聞けよ!」
埒のあかない押し問答を続けながらオリオドの手から逃れようともがいていると、突然、トアの視界を真っ黒な何かが覆い隠した。
誰かに腰を抱きとられた瞬間ふわりと身体が浮き、ぐんと強い力で後方へ連れ去られる。
――えっ……な、なんだ!?
自分を包み込んでいるものが丈の長い黒いマントだということに気づいたトアは、ばっと後ろを振り返った。
トアを背後から包み込み、オリオドから奪い去るように腕の中に閉じ込めているのは、ほかならぬヴァルフィリスだった。
「ヴァル……フィリス!?」
全身がすっぽり隠れるようなマントに身を包み、目深にかぶったフードで顔を隠したヴァルフィリスが、赫く鋭い目線でオリオドをじっと見据えていた。
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