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第21話 吸血鬼とは

「俺にそこまでの力はないよ。俺に生気を吸い取られたぶん、お前が疲弊するってだけだ」 「へ? 疲れるだけ?」 「最初にここへ来た日にお前が寝込んだ理由もそれ。ただでさえ身体が弱ってたのに、俺が生気を吸い尽くしたからああなったんだよ」 「そ、そうだったの……!?」 「それについては、悪かった。だからあの時も、礼を言われる筋合いなんてなかったんだ」  ――あれ、また謝った? 冷酷無慈悲な攻めのくせに……?  いつになくしおらしいヴァルフィリスの態度に、目が点になってしまう。  ということは、この間言い争ったあとの行為でも、トアは生気を吸い尽くされていたということか。最初の頃より回復は早かったものの、そのせいで寝込んでしまったのだろう。 「えっ……じゃあ、さっきものすごく調子悪そうだったのは、ものすごくお腹が空いてた、とか?」  今は平然としているが、暗がりでうずくまっていたヴァルフィリスはひどく苦しげで、まるで手負いの獣のようだった。  ヴァルフィリスは目を伏せて数秒黙っていたが、「……そうだよ」と小さな声で呟いた。 「どこへ行ってたのか知らないけど……そこで”食事”はしなかったの?」 「してない。というか、できなかったんだ」 「ちょうどいい相手が見つからなかったとか?」 「違う。……お前の味を知ってから、他の奴らの匂いを好ましく思えなくなったせいだ」 「へ」  すっと向けられた赤い視線に、またひときわ大きく胸が跳ね上がる。  トアは照れ隠しに明後日の方向を見ながら、早口にこう尋ねた。 「い、いや、いやいやそんなことある? 僕なんてガリガリで痩せっぽちで、『せいぜい肥え太れ』とかなんとか嫌味言っちゃうくらい不味そうだったんだろ?」 「まぁ、肥え太ってくれてたほうが安心して食事はできるが」 「街へ行けば、もっと美味しそうな人だってたくさんいるだろうに……」  するとヴァルフィリスはやおらぐっと身を乗り出して、トアの顔を覗き込んでくる。仰天したトアは、思わず後ろにのけぞった。 「経験則だが、生気の味の良し悪しは、相手の性的な興奮の度合いに比例する」 「性的な、興奮度……?」 「そうだ。さらに言えば、相手が興奮していればいるほど、生気の量は豊富になる。……つまり、気持ちよく興奮している相手からは、美味い生気をたらふくいただけるってことだ」 「そ、そういうシステム……?」  思い当たるところはある。  初めてヴァルフィリスと出くわしたあの日。トアはこれから出会う『悪魔』が吸血鬼だと知っていたし、ヴァルフィリスが絶世の美形攻めであるということも知っていた。  陵辱されたらどうしようという怯えを忘れさせられてしまうほど、ヴァルフィリスから与えられたキスはあまりにも優しく、心地が良くて、あっさりと絆された……。  ――確かに興奮してたな、僕……。怖かったけど、こんなすごい美形にキスされて、思ったより気持ちが良くて…… 「ここへ送り込まれてきたガキどもは皆、俺を見て恐れおののく。この髪の色も、瞳も、なにもかもが普通の人間とは違うからな、無理もないことだ」 「……なるほど」 「だがお前は、俺を恐れるどころかうっとりとこっちを見つめて、ポカーンとしたマヌケづらをしてただろ。ひょっとして頭がイカれているのかと思ったが、そういうわけでもなさそうだし」 「ん? 僕の頭が? イカれてる……?」 「それに、いやだやめてというくせにあんな声を出して……俺も、我慢ができなくなったんだ」  ところどころ悪口が聞こえたような気はするが、最後の一言に、トアの心臓は大きく跳ねた。  だが次の一言で、ふわふわと浮き立ちかけていたトアの心に、ぴしゃりと冷や水を浴びせられたような気分になる。 「だが、それも俺を殺すための方策なのかもしれない。人間は、俺たちのような人外を疎むものだからな」 「ち、違う! 少なくとも僕は……」 「……わかってる」  ムキになって否定しようとするトアを、ヴァルフィリスは静かな声で制した。 「お前からは、殺意の気配を感じない。だいたい、誘惑して俺を殺せるほどの色気もないし」 「色気がない……って、そりゃそうかもしれないけど! なんなんだよ、さっきからちょこちょこ失礼なこと言って……!」 「ふ、ふふっ……本当に威勢がいいな。前も言ったが、お前みたいに活きのいい『生贄』は初めてだよ」  ――あぁ……また、笑った。  眩しげに細められた目元はいつになく優しくて、トアの胸は徐々に強く、大きく高鳴りはじめている。  ヴァルフィリスの真実を知ることができた喜びと安堵でこわばりがほどけ、ようやく身体のすみずみにまで力がみなぎってゆくようだった。  無防備に微笑むヴァルフィリスの顔をもっと、いつまでだって見つめていたい。だけど気恥ずかしくて直視ができず、トアは頬を赤らめて俯いた。 「ヴァルは血を全く吸わなくて平気なの? その牙で噛みついたりとかも……?」 「しない。……あんな穢らわしい行為、俺はやらない」  決然とした、そしてひどく忌まわしげな口調で、ヴァルフィリスはそう言い捨てた。思わずハッとさせられるほどに険しい口調に驚いてしまう。  恐る恐るヴァルフィリスの横顔へ視線をやってみると、伏せた瞳の奥に、ゆらりと揺らめく怒気さえ見える。トアは気圧され、息を呑んだ。 「じゃあ、ヴァルは吸血鬼じゃないってことなんじゃないの? 生気を奪うったって、それで相手を殺すわけでもないんだし」 「当然だ、殺しはしない」 「悪さなんてひとつもしてないのに、なんでイグルフでは『悪魔』なんて呼ばれてるんだろう」  ヴァルフィリスはここへ連れてこられた子どもたちを遠くへ逃してるし、体調を崩したトアの看病までしていたのだ。どう考えても、『悪魔』の所業とは思えない善行だ。  しかしヴァルフィリスはどことなく物憂げに首を振り、低い声でこう言った。 「俺は混血だ。父親は純血の吸血鬼で、母親が人間だった」 「こ、混血……?」 「純血のやつらは、一度の食事で人間を一人殺す。冷酷で、残忍なやつらだよ。まさに『悪魔』だ」 「……っ」 「そして俺は、そんな吸血鬼一族の、唯一の生き残り」  固く冷たい声音に、トアは背筋がひやりと冷たくなるのを感じた。どこか遠くを見つめながら、ヴァルフィリスは純血の吸血鬼についてこう語った。  純血の吸血鬼は、ヴァルフィリスとは容姿からして異なるらしい。けぶるような金色の髪と真紅の瞳を持つ彼らは、皆そろって優れた容姿をしていて、黙っていれば天使のように美しいという。  だが、性格は残忍非道。人間を家畜のように捉え、命を奪うことに一切の躊躇いもない。  気に入った人間の血は吸い尽くすものの、味や匂い、または態度が気に入らなかった場合は吸血せずになぶり殺しにするという。 「それで死ねたら御の字だ。もし生き残った場合、その人間は狂人となってしまう」 「狂人……!?」 「純血どもの唾液は、媚薬を含んだ毒だ。噛まれたところから汚染が始まって、やがて精神を破壊する。もし生き延びて人里に戻れたとしても、待っているのは人間からの粛清だ」 「……そんな」 「しかも、その毒は血液や体液を介して感染する。……奴らが滅んだ今も、その毒に侵され、苦しんでいる人間が大勢いるんだよ。まるで呪いだ」  話を聞きながら、トアは無意識に腕を摩っていた。恐ろしさのあまり手が震え、全身の毛穴という毛穴が粟立っている。  そのようすに気づいたのか、ヴァルフィリスは少し寂しげな表情を浮かべた。 「お前はイグルフで生まれ育ったんだろう。大人たちから聞いていないのか?」 「はっきりとは……。ただ、危険な『悪魔』としか」 「……まぁ、そうかもしれないな。百年ほど前に、純血どもは王都から派遣された軍勢によって皆殺しにされている。だから、昔ほど恐れられているわけではないのかもしれない」 「あっ……! それ、聞いたことある」  聖騎士団らによる『血の粛清』――王の命により、人命を危険に晒す吸血鬼たちは一斉討伐を受け、全滅した。  その記録なら、書物で読んだことがある。てっきりおとぎ話だと思っていたけれど、さほど遠くない過去の出来事だったとは……。 「ん……? ちょっと待った。百年前ってことは……ヴァルはいったい何歳なんだ?」  また新たな疑問が湧いてくる。パッと見たところ、ヴァルフィリスは二十代後半に見えるのだが……。  トアの問いに、ヴァルフィリスは視線を天井に泳がせた。 「確か、120……いや、130年……は生きてるか」 「ひ……!? ひゃくさんじゅう……!?」 「ちなみに、純血の寿命は300年あまりだと聞く。俺は混血だから、何年生きるのかはよくわからないけど」 「へ、へぇ……」  この美しさで130年近く生きているとは……改めて、ヴァルフィリスが普通の人間とは異なる理ことわりの中で生きている異形なのだと思い知る。

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