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第25話 生まれ故郷

 ヴァルフィリスの故郷、生まれた場所……! その話題に関心が湧かないわけがない。  トアはベッドの上に座り直してヴァルフィリスのほうへ身体ごと向き合い、身を乗り出した。 「シルヴェラは、王都の聖騎士団による『血の粛清』が行われた戦場で、純血の吸血鬼たちの血が大量に染み込んだ忌み地だ。今、シルヴェラの大地には、見渡す限りの荊棘(いばら)が生い茂っている」 「いばら……。棘の生えた、蔓草みたいな?」 「そう。お前の腕くらいはある太い棘が生えるんだ。聖騎士団への恨みがそのまま地獄の底から蘇ったかのような……地獄のような眺めだよ」 「地獄……」  巨大な荊棘が覆い尽くす大地。それが、ヴァルフィリスの故郷だという。  いったいそこで、それほど凄惨な出来事が繰り広げられていたのだろう。  ヴァルフィリスの遠い視線の先に、白銀の鎧に身を包んだ聖騎士の軍勢と、鉤爪を振り翳す吸血鬼たちの凄まじい戦いを、見た気がした。 「ただ、そこに咲く薔薇には価値がある。俺は、それを夜な夜な採取しにいってるのさ」  トアは自らの腕を見下ろしてみた。細いとはいえ、人間の腕だ。そこそこの太さはある。想像してみてゾッとした。  棘がこの太さならば、蔓の太さはどれくらいのものなのだろう。きっと、トアの胴回りくらいはあるのではないだろうか。  このサイズの棘が生える荊棘なんて見たことがない。しかも、まともに登ろうとすれば相当な装備が必要になりそうなあの高い山の上にまで、ヴァルフィリスはマント一枚で出かけていっているというのか。 「その薔薇には、どんな価値があるの?」 「花弁から抽出した成分は、純血どもの毒に侵された人間を救う薬になる。普通の人間はやすやすと立ち入れない場所に生えてるから、俺が採ってきてやってるのさ」 「えっ!? そ、そうだったの……!? ってことはヴァル、僕以外の人間とも付き合いがあるってこと!?」 「まぁな。俺を拾い、ここで育ててくれた老医師の仲間やその子どもたちが、研究を引き継いでいるからな」  ――ヴァルを救った老医師……? そうか、だからこの屋敷には医療器具や診察室みたいなものがあったのか……!  いつか屋敷中を捜索していたときに見つけた部屋、あれは、かつての屋敷の主が仕事場として使っていたものだったのだ。以前、トアを看病するヴァルフィリスの手つきが妙に手慣れていたのもそのためだったのか。  気になっていたことがらが、どんどん明らかになってゆく。トアはさらに身を乗り出した。 「幼いヴァルを助けた……ってのはどういうこと? ヴァルの身になにがあったの?」 「……落ち着けよ、トア」  ぶに、と鼻をつままれて、ヴァルフィリスがのけぞるくらい前のめりになっていたことに気づかされる。  トアは慌てて身を引いて、鼻をつまむヴァルフィリスの手を「いたいって!」といってふりほどいた。 「俺の話はもういいだろ。お前、オリオドから町の話を聞いたらしいな」 「町の、話……。うん、ヴァルも聞いたの?」 「まぁな。『悪魔狩り』をしようと、若いのが盛り上がっている、気をつけろと言っていたが」 「それだけ?」 「? 他にも何かあるのか?」  ――オリオドのやつ、全部話したわけじゃないんだな……  トアはちょっとホッとした。  ジャミルが『悪魔狩り』をしようとしている理由は、トアを取り戻したいからだ。ヴァルフィリスの命を脅かしているのは、トアの存在に他ならない。  そう、つまりここにトアがいなければ、ヴァルフィリスの安全は確保される……。 「トア」  ぐいと肩を掴まれて、トアは顔を上げた。  小さな暖炉で燃える炎に照らされたヴァルフィリスの顔はいつになく険しいように見え、トアは首を傾げた。 「な、なに……?」 「お前、今何を考えてた」 「えっ? いや……別に、なにも」 「本当か?」  肩を掴むヴァルフィリスの手に力がこもり、痛みが走る。思わず顔をしかめて「痛いってば!」と文句を言うと、ヴァルフィリスはちょっと申し訳なさそうな顔とともに手を離した。 「若い奴らが暇つぶしに『悪魔』退治をしようと騒ぐのは、以前からときどきあった。だが、本気で攻めてくるやつはこれまで誰もいなかったよ。どうせ今回もそんな感じだろ」 「……そうかもしれないけど。でも、今回のは……」  ――このまま小説の内容通りに話が進むなら、ジャミルは若者を引き連れて絶対ここへ攻めてくる。……それで、ヴァルを殺してしまうんだ。  ……そんな未来は、絶対にいやだ。ヴァルフィリスを奪われてしまうなんて、絶対に許せない。  膝の上で拳が震える。だがふと、その拳がヴァルフィリスの手のひらの中に包み込まれた。 「不安そうな顔だ。どうしたんだ」 「……っ」  掬い上げるように顔を覗き込まれて、トアは言葉に詰まった。  ふたつの赤眼には、はっきりと気遣わしげな色が浮かんでいる。ヴァルフィリスがトアのことを案じているのが自然とわかり、嬉しかった。  つい、気が緩んで力が抜ける。項垂れたトアの背にヴァルフィリスの手が回り、そっと肩口に抱き寄せられた。  ――あったかい。……なんで、ヴァルはこんなに優しいんだろう……  すぐそこに迫る不安に押しつぶされそうになっていたトアの心に寄り添うような、優しい体温だ。しばらくそのまま、トアはヴァルフィリスの肩に顔を埋めていた。  ——この人は『悪魔』なんかじゃない。町の人に説明すれば、『悪魔狩り』を止められるかもしれない……  町へ戻って、ヴァルフィリスが危険な存在ではないということを伝えるのだ。  そうすればきっと、ヴァルフィリスの命を守ることができる。  胸の奥に生まれた静かな決意。トアは、あたたかい腕の中で閉じていた目を開いた。そして、そっとヴァルフィリスの胸を押し、少しだけ身体を離す。  見上げた先には、美しい深紅の瞳。この瞳のあまりの美しさに魅せられつつも、どこか得体の知れない恐ろしさをも感じていた。  だが、疑惑は晴れた。ヴァルフィリスは心の清い、優しい混血の吸血鬼。……いや、鬼と呼ぶにはあまりに優しい人だから。

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