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第26話 守りたい
——僕がヴァルを守るんだ。
トアはふっと微笑むと、小さくかぶりを振ってこう言った。
「不安とかじゃなくて、……ちょっと、最近生気を吸われすぎて疲れちゃったみたいで」
「えっ、そうなのか?」
精一杯の演技で、トアは疲れたようなため息をついて見せた。
……だけど、疲れるなんて嘘だ。
ヴァルフィリスに求められることが幸せでたまらない。自分ではわからないけれど、おそらくトアの全身からは有り余るほどの生気が溢れかえっていることだろう。
しかしヴァルフィリスは心底申し訳なさそうな顔をして、抱き寄せていたトアの身体を気遣うように背中を撫でた。
「……気を付けているつもりだったが、そうか。悪かった」
「いや、全然いいんだけどね! だからその……今夜はしっかり寝たいなと思って」
「わかった。俺は今夜中にまたシルヴェラに発つから、ゆっくり身体を休めてくれ」
「え? 今夜? けっこう雪が降ってるけど……」
窓の外では、大粒の牡丹雪が降りしきっている。オリオドには泊まっていけと言っていたのに、ヴァルフィリスはこんな大雪の中、山登りをするというのか。凍えたり遭難したりしないのだろうか……と、心配になってしまう。
「……あ、あの……今夜雪山登山するなら、”食事”しておく?」
「いや、大丈夫だ。お前のおかげで、いつになく満腹だよ」
「そ、そうなんだ。へぇ……」
なんとなく気恥ずかしくなって黙り込むと、ヴァルフィリスは軽い口調で「それに、雪はじきに止む」と言った。
「わかるの?」
「ああ、一気に降ってすぐに止むが、明日の朝にはかなり積もってるだろうな」
「へぇ」
窓の外を見つめるヴァルフィリスの横顔を、トアはこっそりと見つめ続けた。
今夜シルヴェラに発つのならば、4、5日の間、ヴァルフィリスはこの屋敷から不在となる。アンルにさえ気づかれなければ、この屋敷を出ることができる。
——イグルフへ戻ろう。町の人たちの誤解を解くんだ。
うまくいくのかどうかわからないし、心の底には拭いきれないほどの強い不安がこびりついている。
だが、ヴァルフィリスを守るためならば、どんなことでもできるような気がしていた。
——とはいえ、一度イグルフへ戻ったら、ここへはもう戻れないかもしれない……
ここで過ごす時間は、前世や、この世界を生きていたどの瞬間よりも幸せだった。
ヴァルフィリスがいて、アンルがいる、穏やかな時間だ。
ここにはトアを脅かすものは、なにもない。前世で都亜を縛り付けていた偏見も、固定概念もここにはなく、トアは解き放たれたのだ。
だが、イグルフにはヴァルフィリスを『悪』と捉える偏見が残っている。
それならば、トアがその呪縛を解きたい。ヴァルフィリスが本当はどういう存在かを伝えたい。
もし説得がうまくいかなかったとしても、『生贄』がピンピンして生きて帰ってきたとなれば、村での『悪魔』のイメージを覆すことができるかもしれない。
トアの行動ひとつでヴァルフィリスを救うことができる——……楽観的かもしれないけれど、それは今、トアが思いつく最良の行動だ。
このまま放置すればヴァルフィリスもトアも死んでしまう。だけど行動を起こしさえすれば、ふたりはそれぞれの場所で生き続けることができる。
——……そうだよ。生きていたら、いつかまた、ここへ戻ってくることもできるかもしれない。
真っ暗闇の中に生まれた淡い希望を、胸の奥で大切に包み込むように、トアは密かに拳を握り締めた。
「じゃあ僕は寝るけど、雪山は危なそうだから気を付けてね。滑落とか、遭難とか……」
「ふん、俺の身体能力をなめてもらっては困るな。人間の足で三日はかかる道のりでも、俺はほんの一時間足らずで移動できる」
「え、そんなに足速いの!?」
「ま、そんなとこだ」
素直に驚いて目を丸くすると、ヴァルフィリスはようやく笑顔を見せてくれた。
トアの目には、艶やかな花弁が開き、あたり一面が明るくなるような笑顔に見える。
心を寄せる相手が笑ってくれるだけで、こんなにも胸が熱くなる。
つられて微笑むうち、目の奥が熱くなるのを感じて、トアはつと俯いた。
「……眠いのか?」
「ああ……うん、そろそろ寝るかな」
「じゃあ……お前が寝つくまで、ここにいてもいいか」
「えっ?」
思いがけない申し出にびっくりして顔を上げると、ヴァルフィリスはやはりどこか気遣わしげな目をしていた。トアの生気を吸いすぎたことを申し訳なく思っているのだろうが、それは嘘なので心苦しい。
だけど……ひょっとしたら、これが最後の夜になるかもしれない。
——そっか、ヴァルのそばで過ごすことのできる時間は、もうほんのわずかなんだ……
トアはこくりと頷き、ゆっくりとベッドに横たわる。
ベッドから出て行こうとするヴァルフィリスを引き留めて、そのまま一緒に、毛布にくるまった。
ヴァルフィリスの体温と匂いに包まれていると、さっき固めたはずの決意が鈍りそうになる。居心地がよくて、幸せで……このまま何の恐れもなく、いつまででもこうしていられたらどんなに幸せだろう。
「あったかい……」
「……お前こそ」
シャツを握りしめながらひとりごとのように呟くと、すぐにヴァルフィリスの声が返ってくる。
それが妙に幸せで、嬉しくて、閉じた瞼の下から涙が溢れた。
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