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第27話 決意

 翌朝。  ヴァルフィリスがいう通り、庭にはたっぷりと雪が降り積もっていた。  あちこちに寝癖をつけて起きてきたアンルは、庭と畑を見るなり「うわ〜、こりゃ雪かき大変だ! 」と頭を抱えていた。    しかも、雪かきを手伝わせようと目論んでいらしいオリオドが、「急ぎの仕事が入ってな! すまん!」といってとっとと屋敷を出て行ってしまった。「一泊分働かせようと思ってたのに」と、アンルはそれにもぷんすこ怒っていたものである。  すぐにでもイグルフへ向かいたかったが、アンルひとりに雪かきを押し付けるわけにもいかないため、トアも早朝からせっせと雪かきに励んでいた。    気づけば太陽が頭上高くまで昇っている。  庭から森の向こうを、トアはじっと見据えていた。  まっさらな白い雪に覆われているせいか、普段鬱蒼と薄暗い森の中でさえ、今日は妙に明るく見える。目を凝らしても森の先まで見渡せるわけではないけれど、いつもよりは格段に森の中が明瞭に見渡せるような気がした。  ずっと不気味に見えていた森の風景も、今日はいつもと違って見える。  ただ単に雪の白さで薄気味悪さが薄らいでいるせいか……それとも、トアの胸に宿った決意のせいか。  ――道は明るいし、馬もいる。オリオドから方角も聞いた。……大丈夫、僕でも森を抜けられる。  なんとしてでも、ヴァルフィリスが『悪』ではないことを皆に伝え、誤解を解かなくてはならない。大切なヴァルフィリスの命を、守るためにも。  ぎゅ……と雪かき用のシャベルを握りしめ、トアは人知れず唇を噛み締めた。  危険だとわかっていることを、あえて行動に移そうとしている自分は、とんでもない馬鹿だ。  だけど、ジャミルが口だけで悪魔討伐を謳って若者たちを煽っているとは、どうしても思えない。  ここは『生贄の少年花嫁』の世界なのだ。バッドエンドへと向かってゆくこの物語だ。  ここでトアが何もしなければ、ジャミルはストーリー通りに大勢でここへ攻め込み、ヴァルフィリスを殺してしまう。それだけは絶対に避けねばならない。  ――僕の言葉で、どのくらい皆を説得できるかはわからない。でも、ここで行動を起こさないと、未来はなにひとつ変わらないんだ。  だが、ヴァルフィリスの言う通り、頭がおかしくなったと思われるかもしれない。自分の言葉など信じてもらえないかもしれない……そういう不安は拭えない。  だけど、ジャミルにきちんと話をすればきっと、状況は変わるはず。  相手はトアよりも大人なのだ。冷静に、自分の目で見たことをひとつひとつ丁寧に話すことができたなら、きっと理解を示してくれるはず。  数回程度言葉を交わしただけだけれど、彼は話の通じない相手ではなさそうだし、当の『生贄』であるトアが直接彼と話せば、悪魔退治の計画を中止へと導くことができるかもしれない。  だがふと、明らかに困難な道をゆくのではなく、ヴァルフィリスやアンルとともにこの屋敷を捨てて遠くへ逃げるほうがいいのではないか――……そういった考えもふと浮かぶ。  この屋敷にトアも『悪魔』もいないと知れば、ジャミルはそれ以上の行動を起こすだろうか。誰もいない屋敷を前にすれば、盛り上がっていた正義感は萎え、悪態を吐きつつここを立ち去る。  そしてふたたび、退屈で平穏な日々にもどってゆくだろう。  ……だけど、なにも後ろめたいことをしていないヴァルフィリスやアンルが、どうしてこの屋敷を捨てなくてはならない。  ここは、幼いヴァルフィリスを保護して育てた老医師が住んでいた家だ。  荊棘に閉ざされた故郷から逃れたあと、この屋敷でどのように育ったのかはわからないけれど、これまでのヴァルフィリスの優しさや、人を救おうとしている彼の行動を思うにつけ、きっと、その老医師との関係性はとても良好なものだったに違いない。  ――ここは、ヴァルにとって大切な場所だ。……絶対に、僕が守らないと。  ふう……と長い息を吐き、視線を上げる。  まっすぐに見据えた方角には、イグルフの町がある。さりげなくオリオドに尋ね、教えてもらった町への近道も、頭の中に叩き込んである。  言葉通り、ヴァルフィリスはシルヴェラへと出かけたようだった。  ヴァルフィリスの温もりをいつまでも噛み締めていたかったけれど、いつしかトアは眠ってしまっていたらしい。 朝起きたとき、そこにヴァルフィリスの姿はすでになかった。  ――行こう。気持ちが揺らがないうちに。  指が白くなるほどに、トアはシャベルの柄をきつく握りしめていた。  だがその時、軽快に近づいてくる足音に気づいたトアは、はっと我に返った。アンルが、吐息を白くけぶらせながら、尻尾を揺らして駆けてくる。 「トアー、昼ごはんだぞ~! 雪かき終わっ……ぜんぜんおわってない!」 「ご……ごめん! ちょっとぼうっとしちゃって」 「まあこっち側は昼からでもいいけど……どうしたんだよトア。最近、なんかおかしいよ?」  さくさくと雪を踏んで近づいてきたアンルの瞳には、いつぞやと同じく、不安そうな光が揺らめいている。ここのところ、トアが思案に耽りがちだったものだから、アンルもなんだか元気がない。  自分がうつうつとしているせいで、いつも溌剌としているアンルの明るさまで陰らせてしまった。申し訳なくなったトアは、ぽんぽんと優しくアンルの頭を撫でた。 「僕は大丈夫。もうちょっと雪かきしてから戻るから、先に食べててよ」 「そう? 手伝おうか?」 「ううん、大丈夫大丈夫! あとで行くから」 「……わかったよ」  トアの満面の笑みを見てか、アンルの顔にも笑みが戻った。たったったと駆けてゆくアンルの背中を見送ったあと、トアはすっと真顔に戻る。  そして、手にしていたシャベルを壁に立てかけ、馬小屋の方へと早足に歩を進めた。

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