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第28話 再び、イグルフへ
【ご連絡】
ブログにも書かせていただいたのですが、改稿前バージョンの続きも書くことにしました。
もしこの続きを前バージョンで読まれたい方は、しばしお待ちいただけるとありがたいです。
右往左往してしまって本当に申し訳ないです……!
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今は見る影もないけれど、かつては栄えていたこともある町だった。
濃い橙色に暮れ泥む煉瓦造りの時計塔をフードの下から見上げながら、トアは冷え切った手に息を吹きかける。
オリオドから方角は教えてもらっていたものの、途中でやはり道に迷ってしまったため、森を抜けるのに随分時間がかかってしまった。日が暮れる前に到着したことにひとまずは安堵するものの、寒さもあり、体力をかなり削られてしまった気がする。
だが、トアはまるで疲れを感じていなかった。ぴんと張り詰めるような緊張感が、トアの全身に力を漲らせている。
――僕は、ヴァルフィリスを守るためにここにいる。僕さえしっかりしていれば、なにを言われても大丈夫。冷静に、冷静に……
自分にそう言い聞かせながら、トアは酒場のある町の中心部のほうへ歩き出した。
時刻は夕飯どきだ。夕餉を求める人々のさざめきの中、トアは一定の歩調で歩き続けた。すると、そんなトアの姿を目にした数人の村人が、怪訝そうな顔を浮かべているのが目に留まる。
顔見知りばかりが住む小さな町だ。フードをかぶったトアの姿は、いやおうなしに目立っている。手ぶらだし、旅人という風体でもない。これ以上目立って怪しまれても困るので、トアは仕方なく、フードを外した。
「……あれ、あの子。孤児院の」
「そうだよ。『悪魔』んとこに送られた子だろ?」
「なんでこんなところをうろついてるんだい? 気味が悪いよ……」
フードを取った途端、間近で井戸端会議をしていた女たちの声が尖った。ちら、とそちらに目をやると、トアの視線を察したらしい女たちはパッと目を逸らし、そそくさとその場を後にする。
反対の方を向いても同じだ。人々はトアの姿を見て驚き、見てはいけないものを目にしてしまったかのような顔をして背を向ける。
――『生贄』が戻ってくることなんてこれまでなかったんだもんな。……まぁ、この雰囲気じゃ戻ってきたくもなくなるけど。
きっと『生贄』の子どもたちがイグルフに帰りたいといえば、ヴァルフィリスはそうしていたかもしれない。だが、こんな場所に誰が戻ってきたいものか。
たとえ、そういう選択肢を最初に提示されていたとしても、トアは断ったに違いない。それはきっと、他の子どもたちも同じかもしれないな、とトアは思った。
刺さるような視線を全身に受け止めつつ、トアはとうとう例の酒場の前までやってきた。
「……ここか」
煉瓦造りで二階建ての立派な建物だ。かつてこの町が栄えていた頃、この店には腕のいい料理人がいて、町の人からも旅人からも愛されていたと聞いたことがある。
だが今や、ここは若者が屯して、安酒を煽るだけの場所と成り果てている。
かつて社交場だった二階の部屋は表向き、旅人向けの宿としての顔をしているが、旅人などめったにここを訪れるものではない。酔っ払った若者たちがどのように使っているかなど、想像したくもないことだ。
オリオドの話によれば、ジャミルはここにいるはずだ。
田舎者ではあるが、ジャミルの一族はかつて、この土地を治めていた。若者たちが彼の言うことをきくのも、そういった過去の威光があるからだろう。
彼自身が治世を行っているわけではないはずだが、もし、ジャミルを説得できたなら話は早い。彼の口から若者たちを宥めてもらえば、それで穏便にことが済むはず。
一度深呼吸をしてぐっと腹に力を込め、木製の重たいドアを押し開く。
すると、途端に騒々しい若者たちの笑い声や怒鳴り声がトアの耳に押し寄せてくる。あまりの騒がしさや、安い酒や煙草の匂いが入り混じった澱んだ空気に、トアは思わず顔をしかめた。
――ジャミルはどこにいるんだろう。結構人が多いな……
外観から想像していたよりも店の中は広く、トアはフードの下で視線をきょろきょろと彷徨わせた。店の一番奥にはカウンター席があり、フロアには丸テーブルが十台ほど。また、左の壁際にはカーテンで仕切られたソファ席のようなものもある。
すでに出来上がっている客が多く、丸テーブルの隙間を縫って歩くトアを気に掛けるものはいない。男臭く荒っぽい風体の男たちや、店で働く恰幅のいい女たちが大口を開けて笑い合うさまを横目に見ながら、トアはカウンターまでやってきた。
丸太のような腕をした髭面の男が、どうやらこの店の主らしい。トアが近づくと、眼光鋭い無愛想な顔でジロリとこちらを見下ろしている。
巨躯な上に目つきの悪い男だ。正直かなりビビってはいるけれど、勇気を振り絞って、トアは店主の男に声をかけた。
「ジャミルがこの店にいると聞いたんだけど、どこにいるかわかる?」
「……ジャミル? あいつに何の用だい?」
「会って、話をしなきゃならないんだ。急いでるんだよ」
「……あんたのような子どもが、あの男に何の話があるってんだ?」
「いや、僕はもう18で、子どもではないんだけど……」
店主は訝しげな顔をしつつ身を屈めると、じろりとトアの顔を覗き込んできた。
ジャミルに目通りするためには、この男の許可がいるのだろうか? 思ってもみなかった関門が目の前に立ちはだかり、トアは内心焦り始めていた。
だがその時、カウンター席に座っていた酔っ払いの一人が、断りもなくトアのフードをばっと外した。突然視界が開けたことに驚く間もなく亜麻色の髪が露わになり、すぐそばにいた男たちが「あれ、こいつ」とトアに注目し始める。
「こいつ……あれだろ。孤児院の」
「そうだそうだ。自分から『悪魔』んとこにいきたいって言った、あの」
「なんでこんなところにいるんだ……?」
トアのすぐそばで生まれた動揺が、さざなみのように店の中へと広まってゆく。騒々しかった店が徐々に静まり、今度はざわざわと不審げな声がそこここから聞こえてくる。
――どうしよう。誰も僕のことなんか知らないと思って高を括ってたけど、『生贄』になると有名人になっちゃうのか?
ジャミルに会う前に騒ぎにはなりたくはなかったのだが、中には椅子から立ち上がってまでトアの顔を観にこようとするものまで現れはじめている。
そのうち、誰かにぐいと肩を引かれ、トアはぐらりと後ろへふらついた。そのまま手首を掴んできた相手の顔を降り仰ぎ……トアは、ハッとして目を見張る。
――いた! ジャミルだ!!
「トア……! トアじゃないか!! 心配していたんだよ!」
くっきりとウェーブした黒髪をうなじのあたりで一つくくりにしたジャミルが、トアを見て目を丸くしている。
「君が孤児の代わりに『悪魔』のもとへ送られたと聞いて、すぐにでも助けに行こうと思ってたんだ。子どもを食い物にするような危険な人外を、この先も放っておくわけにはいかないからな!」
「……! それ、そのことなんだけど……!!」
「色々と準備も整っている。今日にでも『悪魔』のもとへ攻め入って殺してやろうと思っていたんだが……まさか、自力で逃げてきたのかい?」
探していた人物がまさに目の前に現れて一瞬安堵したものの、ジャミルは生き生きとした笑顔で恐ろしいことを口にする。
ゾッとしている暇はない、トアにとってはここからが本番だ。
掴まれていた手を勢いよく振り解き、トアはジャミルをまっすぐに見上げた。
「そのことで、あんたに話があるんだ」
「話? なんだい、藪から棒に」
「『悪魔』は……彼は、危険な存在なんかじゃない。だから彼を襲う必要なんてないんだ!」
声高にそう言い放ったトアの声が、酒場の中に響き渡った。
あれだけ騒がしかった酒場が水を打ったようにしんと静まり返り、皆の視線が一斉にトアに突き刺さった。
自分に注目が向いたことを感じ取ったトアは、周囲の人々の顔を順番に見回して、さらに声を張る。
「彼は僕のことを殺そうとはしなかった。それに、食べるものも寝るところも与えてくれたんだ! これまでに彼のもとへ送られた『生贄』たちは殺されたんじゃない! もっと環境のいい孤児院に預けられて、生きてる! ちゃんと大人になってるんだよ!!」
ざわ、ざわ……と抑えた声が広がってゆく。ふと耳に入ってきたのは「本当か?」「こいつは何を言ってるんだ?」「生きてるわけないだろ」という疑心暗鬼の言葉ばかりだった。
伝えておかねばならないことは、まったく彼らに届いていない。
トアはやや焦りを募らせ、今度はジャミルの両腕を縋るように掴み、訴える。
「ねぇ、あんたから皆に言ってくれよ! ほら、僕は無傷で帰ってきたろ? しかも、昔より元気になったんだ。ヴァルに……彼はまったく邪悪な存在じゃない。攻め入るとか、殺すとか……そんなことする必要ないんだって!」
「……」
袖をぐっと握りしめながら訴えるも、ジャミルの表情はどこまでも訝しげなままだ。ジャミルにもまったくトアの言葉が響いていないということがひしひしと伝わってきて、トアは焦った。
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