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第29話 浅はかな行動※ 

「ジャミル! あんたがリーダーなんだろ! 頼むよ!」 「トア、落ち着けよ。君が何を言っているのかわからないよ」 「なんでだよ! 僕は無事だった、彼を殺す必要はないって、そう言ってるだけじゃないか!」  声にも表情にも余裕がなくなっているのが、自分でもわかる。  自分さえしっかりしていればヴァルフィリスへの誤解を解くことができるはずだと思っていたのに、これじゃまるで逆効果だ。  案の定、周りから注がれる視線には生ぬるさと刺々しさが加わりはじめていた。トアを見下ろすジャミルの目もどこか不愉快そうで、眉間には深い溝が刻まれている。  ジャミルはトアの肩に両手を置いて、諭すような口調でこう言った。 「相手は『悪魔』だ、そんなわけがないだろう。トア、何か毒でも盛られたのか?」 「は……!?」 「神父を締め上げて吐かせたが、『悪魔』の正体は吸血鬼らしいじゃないか。かつて国中に恐怖を撒き散らした忌まわしい人外だぞ? そんな邪悪な生き物が、危険じゃないわけないだろう」 「違う、違う!! ヴァルは、吸血鬼と人間の混血なんだよ! 吸血もしないし、無害で……!」 「……ああ、なるほど。吸血鬼に襲われると毒に侵されると聞いたことがあるが……」  伝わらないもどかしさでますます語気が強くなってゆくトアを心底憐れむような目をしていたジャミルの目が、ふと見開かれる。  そして、トアの肩を掴む手をわなわなと震わせながら、恐れ慄いたような口調でこう言った。 「まさか、その毒にやられてしまったのか……!? そうなんだな!!」 「違う……!! そんなわけないだろ! 僕は正気だ!」 「皆! 見てくれ……この子は毒に侵され、吸血鬼に操られているに違いない!! やはり『悪魔』だ!! 生かしておくわけにはいかない!!」  トアの肩を抱き寄せて、ジャミルは拳を突き上げ声高にそう言い放った。  その声に呼応するように、酒場のそこここから「そうだそうだ!!」「悪魔は殺せ!!」「悪魔の好きにさせてたまるか!!」と怒号が上がる。  トアは真っ青になった。  自分のおこないのせいで、さらに事態が悪化しているではないか。  男たちは各々が手に酒瓶を持ち、「決起するぞ!! 盃を持て!!」と互いを鼓舞しあうように大声をあげはじめている。『悪』を倒すというわかりやすい正義に酔いしれながら勇ましい歌を歌い、酒瓶を傾けては浴びるように酒を煽って、手のつけようがないほどに酒場の空気は熱されていた。  ――どうしよう、どうしよう……!! 僕のせいでこんなことに……!  この状況をどう挽回すれば、ヴァルフィリスを救うことができるのだろう。トアは必死で考えた。  そのとき、ぐいとジャミルに上腕を掴まれ、身体ごと引っ張られる。トアはふらつきながら引きずられつつ「なぁ、お願いだ! みんなを止めて……!!」と訴える。  だが、ジャミルは無言で、トアの言葉など聞こえていないかのようなふるまいだ。腕を引っ張られたまま階段を登り、二階へと連れてこられた。  手近な部屋のドアを荒々しく足で蹴り開けたジャミルに、乱暴な手つきで中へと押し込まれる。  部屋にあるのは一台の質素なベッドだ。乱暴にマットレスの上に突き飛ばされ、トアは困惑しつつジャミルを見上げた。 「なぁ、あんたがひとこと言えば、みんな冷静になるんじゃないのか!? お願いだ、あの人たちを止めてくれよ……!」 「放っておけばいい。吸血鬼狩りで、あいつらは日頃の憂さ晴らしできて、この世界から『悪魔』が消える。いいことづくめだと思うけどねぇ?」 「なっ……なんてこと言うんだ!! ヴァルは『悪魔』じゃない!! 優しい人なんだ、殺すことなんて……!!」 「優しい人ぉ? あっははははは!!」  ジャミルが、気でも触れたかのように大笑いし始めた。  そして、腹を抱えて笑いながら近づいてくると、乱暴な手つきでベッドにトアを突き倒し、その上に四つ這いになって覆い被さってくる。 「痛っ……何するんだよ!!」 「ふくくく……帰ってきてくれて嬉しいよ、トア」 「はぁ!?」 「『悪魔』が無害だろうがなんだろうが、僕には何の関係もないんだよ。僕が気に食わなかったのはね、これからどうやって攫って犯してやろうかって狙ってた君が、いつの間にか『生贄』になって消えていたことだ」 「……えっ」  ジャミルは細い唇を弓形にしならせてねっとりと笑い、トアが身につけていたシャツを力ずくで引き裂いた。いとも容易くボタンは飛び、布が裂ける音が部屋に響く。  咄嗟にジャミルの下から逃げ出そうとしたけれど、トアよりもはるかに身体の大きなジャミルに馬乗りになられているせいで、それはうまくいかなかった。  首を掴まれてベッドに押さえつけられてしまい、トアは苦悶の声を漏らしつつもジャミルを睨み上げる。 「ああ……可愛いなぁ。その生意気な目つき、たまらなく可愛いよ」 「この野郎っ……離せよ!!」 「離すもんか。ずっとずっと夢想してたんだよ? 君のようにね、何の力も持たないくせに生意気ばかり言う可愛い子を、どうやって屈服させて、どうやって言いなりにさせるかって考えるのが楽しくてね」 「っ……悪趣味すぎるだろ暇人がっ!! 離せっ……!!」  じたばたと脚をばたつかせるも、ジャミルの身体はびくともしない。  ジャミルは心底楽しそうな笑みを浮かべながら、首に巻いていたアスコットタイで、トアの両手を一まとめに縛り上げてしまった。  縛られたトアを見下ろして舌なめずりをし、ジャミルはゆっくりと身を屈めてくる。思わず顔を横に倒して口付けられるのは免れたものの、耳をねっとりと舐め上げられ、あまりのおぞましさにトアは震え上がった。 「や……やめろ……っ!!」 「抵抗してもいいことはないよ? だって、君は僕に皆を止めて欲しいんだろう?」 「っ……」 「僕が言えば、皆は正気に戻って吸血鬼狩りなんてやめるかもしれないなぁ? そのためには、君がまず僕をその気にさせないといけないね?」  ジャミルの手から逃れようと必死になっていたトアの身体から、力が抜ける。  ――……そうだ。こいつが止めれば、あいつらはヴァルのところへは攻めていかない。ヴァルを助けることができるんだ。  一度この身体を差し出せば、ヴァルフィリスの命を救うことができる。  今、自分ができる一番確実な方法だ。  脳裡に浮かんだその考えは、今の自分にできる最善の方法とさえトアには思えた。  おとなしくなったトアの肌の上を、汗ばんだジャミルの指先が這い回る。酒の匂い混じりの生温かい吐息が肌に吹きかかり、露わになっていた胸の尖りに、生々しく濡れた唇が吸い付いてきた。 「ぅ、ぁっ……」 「んん……ぁあ、いいね。もっと声を出してもいいんだよ? はぁ……ほら、こっちも触ってやるから」 「っ……んん、ぅ」  ちゅ、ちゅぱっとわざとらしく濡れた音をさせながらトアの胸を舐め転がしつつ、ジャミルはトアのズボンの上から股ぐらをぐにぐにともみしだき始めた。  同じ行為でも、触れられる相手が異なるとおぞましさしか湧いてこない。ヴァルフィリスに触れられるとあんなにも心地よく、幸せな気持ちにさせられるというのに。  怖くて、気持ち悪くて、歯を食いしばっていなければ涙が溢れてしまいそうになる。……だが、これはヴァルフィリスのためなのだ。  うまい説得ができなかった自分のせいで、ヴァルフィリスを危険に晒してしまったのだから、これくらいのことはして当然だ。ジャミルの一声で、下の酒場で盛り上がっている男たちが吸血鬼狩りをやめるのなら、安いもの――…… 「ふふ、怖いのかい? ぜんぜん勃たないなぁ。……そうだ、直に舐めてやろうね」 「いやっ……いやだっ……」 「そう? じゃあ、僕のをしゃぶってもらおうか。ああ……それとももう挿れようかな? あんまりのんびりしていたら、あいつら、すぐにでも吸血鬼狩りに行ってしまうかもしれないもんなぁ? 君も困るんだろ?」  トアの上に馬乗りになったまま、ジャミルはシャツの前をいそいそと開き、ベルトを解いてズボンを下げはじめている。  黒々とした下生えの中からそそり立つ肉棒を目の当たりにして、おぞましさのあまり息が止まった。  怯えた瞳でそれを見上げるトアを見下ろすジャミルの表情は嬉々としたもので、あまりに醜い。思わず目を逸らしたトアに向かって、ジャミルは苛立った口調でこう言った。 「さあ、早くしゃぶるなりなんなりして、僕をその気にさせろよ」 「……いやだ、できない……っ」 「できないだって? おいおいおい、時間がなくて焦ってるのはお前のほうだろ」 「っ……」  猫撫で声だったジャミルの声が低くなり、トアは怯えた。身体を竦ませるトアを見下ろすジャミルの表情がますます邪悪なものになる。 「ほら、自分で脱いで脚を開いて、僕を誘惑しないとだめじゃないか!」 「……っく」 「早くしろ。とっとと突っ込ませろって言ってんだよ!!」  苛立ちの滲んだ声で凄まれ、トアの目からはとうとう涙が溢れた。  縛られたままの手首を下に降ろし、震える手で自らの着衣を解いてゆこうとしかけたその時――……  ガシャン!! とガラスが爆ぜるような音が響き渡り、ごぉぉ……と冬の風が部屋の中に吹き荒ぶ。  いったい何が起きたのかと首だけで窓のほうを見やったトアは、大きく目を見開いた。  すらりとした黒いシルエットが、月光を背にして佇んでいる。  ——え……!? まさか……   じゃり、じゃりと、割れた窓ガラスを踏み締めながらこちらに近づいてくる黒いマント姿の男が、ゆっくりとフードを外した。 「……ヴァル……!」  暗がりの中に浮かび上がるのは、業火を宿して赫く輝くふたつの瞳。  その場に現れたのは、灼熱を孕んだ瞳とは裏腹に、凍りつくように冷ややかな表情を浮かべたヴァルフィリスだった。

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