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第32話 絶望的な展開

「そんな……ヴァル、ヴァルっ!! 傷を見せて!!」  マントの裾をめくってみると、白いシャツの脇腹が真っ赤な鮮血でぐっしょりと濡れていた。よほど深く刺されたのか、かなりの出血量だ。 「あぁ……そんな」  両手で傷を押さえてみても、出血が止まる気配はない。みるみる溢れ出す血液がトアの両手さえも濡らし、床に血溜まりを作ってゆく。 「トア!! こっちに来い!! この死にかけの悪魔の目の前で、お前のことを犯してやるからな」 「なっ……は、離せ!! 離せよ!! 早く手当しないと……!!」 「はっ、無駄だね。どうせこいつは死ぬんだ。この僕を痛めつけてくれたお返しに、目にもの見せてやる」  血まみれの手首を掴まれ、ヴァルフィリスから引き剥がされてしまう。  その瞬間、項垂れていた赫い瞳が、ぎらりと剣呑な光を帯びた。  ヴァルフィリスはゆらりと立ち上がり、そのままジャミルに体当たりを喰らわせた。  そのまま廊下へと突き飛ばされたジャミルはバランスを崩し、悲鳴を上げながら一階の酒場へと続く階段を転がり落ちていった。  そして、ジャミルを追うようにヴァルフィリスの姿も消えてしまう。  トアは咄嗟に部屋を飛び出した。 「ヴァル……!! やめて、行ったらダメだ!!」  トアの制止もきかず、ヴァルフィリスはひらりと一飛びで階段の下に降り立っていた。  ボロボロになったジャミルと血まみれのヴァルフィリスが突然現れたことで、酒場は騒然となっている。  滑るように階段を降り、ヴァルフィリスのそばに駆け寄ったトアにもまた、そこに集まっていた大勢の男たちからの突き刺すような視線が注がれる。 「……なんだ、これ! おいジャミル、何がどうなってる!?」 「うう……くそ……っ」  手近な男たちの手によってフラフラと立ち上がったジャミルは、潰されそうになった喉を押さえながら大声でがなりたてた。 「見ろ!! 悪魔が出たぞ!! 僕が、この銀の短剣で刺してやったんだ!! どうだ!!」  血に濡れた短剣を勇ましく掲げたジャミルの姿に、男たちの雄々しい歓声が響き渡る。  続いてジャミルは、壁に手をついてなんとか立っているヴァルフィリスのそばにいるトアを指差し、忌々しげに顔を歪めながらこう叫んだ。 「そしてあいつは!! 化け物の毒で頭をやられた穢らわしいガキだ!! あいつも殺せ!! 殺しちまえ!!」 「っ……」  唾棄するように言い放ったジャミルの言葉で、男たちの目にぞっとするような殺意が宿る。  トアひとりでは、たとえ武器を持っていなくても、これだけの人数の男たちを相手に立ち回れるはずがない。傷ついたヴァルフィリスを守りながらこの場を切り抜けることが、果たしてできるのだろうか……。  ――どうする、どうする……!?  ぎゅ、とヴァルフィリスのマントを握り締め、必死で脳を働かせて逃げ道を考えていたその時、ヴァルフィリスがスッと動いた。  白磁の肌をさらに蒼白にしながらも真っ直ぐに立ち、ばさりとマントを脱ぎ捨てる。  きらめく白銀色の髪、深紅の瞳、そして鋭い鉤爪。  血に濡れながら、人外たる証のすべてを人々の目の前に晒したヴァルフィリスが、にぃ……と邪悪な笑みを浮かべた。 「死ぬのはここにいるお前らのほうだ」  甘い低音の声にはひどく凄みがあった。  人々の恐怖心を根底から煽るかのような残忍な笑みに、じり、じりと前方にいた数人が後ずさる。  ヴァルフィリスが指を軋ませて鉤爪を鋭くすると、「ひぃ……っ!!」と数人の男たちから悲鳴が上がり……トアは、この先に起こる絶望的な風景を予感した。  ——ダメだ、ダメだ、こんなの……!! このままじゃあの小説の通り、バッドエンドに向かうだけじゃないか……!  どうにかしなきゃと思うのに、身体が硬直して動かない。  ヴァルフィリスが鉤爪を軋ませると、その全身をゆらりと淡い炎のようなものが覆う。ほんの一秒後、酒場の中に見渡す限りの死体の山が築かれている映像が脳裡をよぎったそのとき——……  バン!! と派手な音とともに、酒場の扉が開け放たれた。    不穏な動揺で硬直していた酒場の空気を一掃するかのように、まばゆい黄金色に輝く美しい鎧を身にまとった男たちが、列をなして酒場へと入ってきた。  先頭に立つ男が掲げている旗には、黄金の十字架を紅い薔薇が飾る気高き紋章が描かれている。 「全員そこを動くな!! 我らは聖騎士団である!!」  先頭に立つ男が堂々とした凛とした声でそう告げると、酒場は水を打ったようにしんと静まり返った。  ――あれ? この声……  聖騎士団に知り合いなどいないはず。  なのに、なぜだかその声に聞き覚えがあるような気がして、先頭に立つ男の顔をトアは見上げた。  綺麗に撫でつけられた焦茶色の髪、周囲の騎士団員よりも頭ひとつぶん背の高いその男の顔は、紛れもなくオリオドのものだった。  普段の質素な着衣を着ているときとは打って変わって、黄金色の甲冑に身を包んだオリオドは立派な男に見える。 「……オリオド!? どうして……!?」  オリオドは凛々しい表情と声で場を制し、周囲の男たちをその場に跪かせてゆく。  堂々たる振る舞いは、指揮官たる威厳に溢れていた。揃いの鎧に身を包んだ騎士たちに指示を飛ばし、あっという間に酒場を制圧している。  ――オリオドは聖騎士団の一員だった……!? まさか……まさかオリオドも、ヴァルのことを殺そうしてるのか……!?  だとしたら、屋敷を頻繁に訪れて決闘に挑んでいた理由もわかる。  やはりオリオドはヴァルフィリスを消すためにやって来ていたのだ。戦いを挑むのも、彼の戦闘能力を調べるためだったに違いない。  ヴァルフィリスを支える手から、力が抜けてゆく。  ――ここはバッドエンド小説の世界。……ラストはやっぱり、変わらないんだ。  トアの更なる絶望が伝わりでもしたのか、ヴァルフィリスが「っ……」と小さく呻いてその場に膝をついてしまった。 「あっ、ヴァル……!」  咄嗟に背中を支えるものの、ふたりとも階段の下に座り込む形になってしまった。  だが、もう立ち上がる気力もない。聖騎士団まで出張ってきてはもう、トアがなにを訴えたところで結果が変わるはずもないのだから。  すると、鉄靴の音を響かせながらオリオドが近づいて来た。  憎しみのこもった眼差しでオリオドを睨みつけていると、隣でヴァルフィリスが小さく息を吐く。  そして横顔でトアに笑みを見せ、「大丈夫だ」と囁いた。トアには訳がわからない。

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