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第33話 『聖騎士団』

「遅いぞ馬鹿。迷子にでもなってたのか」 「ば……馬鹿はないだろう! こっちにも準備ってもんがあったんだ!」 「へ……なに? ふたりとも、何言ってんの……?」  狐につままれたような気分で、オリオドとヴァルフィリスの顔を見比べる。  オリオドはふたりの前に跪き、いつもの快活な笑顔を浮かべた。そして、色を失いつつある唇で、ヴァルフィリスもニヒルに笑って見せる。 「トアが無鉄砲なことをしそうだったから、オリオドの力を借りることにしたんだよ」 「え……っ!? 何それ、どういうこと?」 「ま、詳しい話は後でだな! おい誰か! こいつの傷を見てやってくれ!」  オリオドはすっくと立ち上がり、騎士団員にきびきびとそう告げた。  そして今度は酒場の人々の前に向かって立つと、そばに立つ騎士から美しい装飾の施された巻物を受け取り、高々と掲げた。 「我ら聖騎士団は、イグルフで今もなお続いている古臭い因習について内密に調査を進めていた!! この泰平の時代において、厄災を祓うために生贄を捧げるといった行為がまことしやかに続いているようだが、言語道断!! 幼子の人権を否定する鬼畜の所業である!!」 「だ、だけど……!! 見ろよ!! 吸血鬼の生き残りが本当にいたんだぞ!! お前らがやるべきなのは、その人外を退治することだろうが!!」  ふらりと立ち上がったジャミルが大声でそう怒鳴った。  すると、彼のそばにいた若者たちが「そうだ、そうだ!!」と同調する。その声に励まされたのか、ジャミルは卑しい笑みを浮かべた。  するとオリオドはふんと鼻を鳴らし、つかつかとジャミルの目の前に立った。  身長差を見せつけるように真上からジャミルを見下ろし、オリオドは酒場中に響く声でこう述べた。 「当然、彼についても調査済みだ。あの男は人間と吸血鬼の混血であり、吸血行為を行うことはなく、かつて人々を狂人と化した毒なども持ち合わせていないことがわかっている!」 「はぁ!? ふざけんなよ、どう見ても危険だろ!! 見ろ、俺は殺されかけたんだぞ!?」  ジャミルは首を逸らし、ヴァルフィリスの指の痕が刻まれた喉元を見せつけた。  指の形をした赤い痣を目にした周囲の男たちが怯えたようにどよめくものだから、ジャミルは勝ち誇ったように「こんな危険な悪魔を放置してるお前らのほうがどうかしてる!! 殺すべきだ!!」と喚き立てる。  聞くに耐えないジャミルの主張に、腹の奥で怒りが爆発した。  トアはすかさず立ち上がり、ジャミルをまっすぐに指差しながら声高に訴えた。 「それは違う!! あれは、ジャミルに騙されて襲われていた僕を助けるためにやったことだ! この人は、無闇に人を傷つけたりしない!!」 「なんだと!? このガキ……ッ!! 孤児上がりの分際でこの僕に逆らおうってのか!?」    ジャミルの顔がさらに醜く歪んでゆく。甘い顔立ちは嘘のように険しくなり、憎々しげにトアを睨みつける目つきに凶暴なものが宿った。  だが、すっとジャミルの視線を遮るものがある。  ヴァルフィリスが立ち上がり、トアを背に庇ったのだ。  もはや卑しさを隠すこともなくトアを睨みつけるおぞましい視線が断ち切られ、トアは人知れず安堵の吐息を漏らした。  すると、腕組みをしてその様子を静観していたオリオドが、ガシャガシャ、と鎧の音を響かせながらジャミルに歩み寄り、大袈裟な仕草で肩に手を置いた。 「っ……痛いじゃないか! 僕に触るな!」 「王都においては、混血吸血鬼の危険性についてはとっくの昔に否定されている」 「……。は?」 「そんなことも知らずに、君は若者たちを煽り立てていたのかな?」  眉を下げ、憐れむような表情を浮かべるオリオドを見上げるジャミルの顔が、みるみる赤黒く染まってゆく。怒りのためか、羞恥のせいか。  しかも、そばにいた取り巻きたちが「はぁ? そうだったのか!?」「なんだよ! そんなことも知らずに、俺たちを巻き込もうとしてたのか!?」と、ジャミルを一斉に責め始めた。 「うるさい、うるさいんだよ愚鈍どもめ!! お前らは僕の言うことを黙って聞いてりゃいいんだ!!」  両手を振り回して大声を上げながら、ジャミルは逃げるように酒場を飛び出して行ってしまった。数人の騎士がジャミルの後を追って、酒場を出ていく。  しん……と、妙な沈黙が酒場に落ちた。  ジャミルがいなくなり、男たちの間にもどことなく弛緩した空気が流れ始めている。オリオドはその場にいる一人ひとりの顔をじっと見つめながら、さっきとは打って変わった穏やかな口調でこう言った。 「無知は悪ではない。だが、ときに無用な罪を生むものだ。この村に教育が足りないことは、よくわかった。改善するよう、我らから王に働きかけておくとしよう」  オリオドの静かな口調に、若者たちが項垂れる。  いつもとはまるで異なる立派な立ち居振る舞いだ。トアは呆気に取られながらオリオドの背中を見上げていた。  ――……あれ? つまり、僕らは助かった、ってこと……?  そのままへなへなとへたり込みそうになったトアを、ヴァルフィリスの腕が咄嗟に支えた。 「おい、しっかりしろ」 「……ご、ごめん……なんか、力が抜けちゃって……」  トアが力なく見上げた先には、ヴァルフィリスの穏やかな笑みがある。  ようやく「はぁ…………よかった」と全身で安堵するトアの耳元で、ヴァルフィリスの含み笑いが聞こえてくる。 「オリオドのおかげで助かったな。危うく『悪魔』にふさわしい行動をとってしまうところだった」 「『悪魔』らしい行動って……いや、笑えないから」  酒場にいた人間たちを皆殺しにしてしまうかもと危機感を抱いたばかりだったトアだ。本当に笑えない。  「ていうか、オリオドと手を組んでたなら、僕にも教えておいてくれたらよかったのに!」 「言う暇がなかったんだ。そもそも、お前が馬鹿みたいに突っ走っていくからこういうことになったんだぞ」 「だって、他にどうしようもなかったんだよ! ヴァルを守るためには、こうするしかないって……!!」 「俺を守る……?」 「まぁまぁまぁ! うまくことが運んだのだからもういいだろう! あっははは」  喧嘩になりかけたところで、満面笑顔のオリオドが割って入ってくる。  トアは口をつぐみ、オリオドにぺこりと頭を下げた。 「……ありがとう。本当に助かったよ」 「なぁに、礼には及ばんさ。それに、我らももっと早くこうして群衆を止めることができたらよかったのだが、この書状がなかなか準備できなくてな」  オリオドが手にしている巻物をするすると開く。  流麗な文字で書かれているためすぐには判読できなかったけれど、オリオドいわく、これはイグルフに政治的な指導を入れるという旨の内容らしい。  これで、打ち捨てられていたかのような町の状況も、劣悪な孤児院の環境も改善されるだろう。  貧しさゆえに学ぶことのできなかった若者たちには学ぶ機会が与えられることとなり、子どもたちに不当な扱いを強いている修道院の老人たちは、それ相応の罰が下されるという。  この一件を機に、イグルフは生まれ変わるのだ。 「あと、ここだけの話なんだが……」  巻物を仕舞い込んだオリオドが、なぜか周りをきょろきょろと窺っている。  トアとヴァルフィリスのほうへ身を屈め、こそこそと小声でこんなことを言った。 「『王都において混血吸血鬼の危険性が否定されている』うんぬんっていうあれ、実はハッタリなんだよな」 「えっ!? なにそれ、大丈夫なの?」 「大丈夫大丈夫! 以前、ヴァルに救われたという人物をすでに数人見つけているからな。彼らは、こいつのためなら喜んで証言すると言ってくれているし」 「そ、そうなんだ……!」 「それに、今も民を苦しめる奇病の治療法のことで、ヴァルは医学界への貢献も認められている。だから大丈夫だ。さっきの若いのよりもずっと、ヴァルのほうが人の役に立っているからな! わはははっ」  若干不安は拭えないが、自信に満ちた顔で鼻を膨らませ、頼もしく胸を叩くオリオドの表情はやたら清々しい。 「ヴァルはそれでいいの?」  ヴァルフィリスの横顔を窺うと、色の薄くなった唇がかすかに笑みの形になった。 「まぁ、その件についてはオリオドに任せよう。なんとかなるだろ……」 「あっ……ヴァル!」  顔面蒼白だったヴァルフィリスの身体がゆらりと傾ぎ、トアは慌てて下から支えた。白い肌に浮かぶ脂汗が痛ましい。トアはヴァルフィリスをそっとその場に座らせた。 「銀はヴァルには毒なんだね」 「毒、だが……あいつの持っていた剣は純銀じゃなかったようだ。……だから、傷さえ塞がれば大丈夫だ」 「え……本当に!?」 「おおかた、銀の量をケチったんだろ。どこまでも呆れたガキだ」  そうは言うものの、ヴァルフィリスの吐息には力がない。  オリオドの指示でやってきた騎士団員の応急処置が始まる中、ただ手を握っていることしかできない自分が歯痒くてたまらなかった。  やがて、立ち上がれるようになったヴァルフィリスに支えの手を伸ばすも、ヴァルフィリスは「大丈夫だ、もう歩ける」とトアを制した。  だが、夜闇に助けてしまいそうなほど蒼白な顔色はそのままなので、心配で仕方がない。 「さぁ、屋敷まで送ろう。トアはこいつの傷を治せると聞いたんだが……本当か? 医者を同行させなくてもいいのか?」  馬車の扉を開けながら、オリオドが不思議そうにふたりの顔を見比べている。 「え? ヴァルがそう言ったの?」  無言のヴァルフィリスを見上げ、密やかに視線を交わす。  瞳の表情で彼が今求めているものを察したトアは、大きくこくりと頷いた。 「うん、僕が治すよ。だから、早く帰ろう」  生気を分け与え、ヴァルフィリスに力が戻れば、この深い傷はきっと塞がるに違いない。  のんびりしていては夜が明けてしまう。  ふたたび屋敷へ戻るべく、ふたりはオリオドの準備した馬車に乗り込んだ。

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