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15 少しずつ
「幸人、顔赤いぞ」
「暗いのに分かるわけないだろ」
まだクスクスと笑う輝彦に、幸人は背中を向ける。そういえば前回輝彦と遊んだ時も、わざとじゃないかと感じたことがあったんだった、と思い出した。
「……こういうの、好きじゃない」
前回も、あの映画で俺の反応を楽しんでただろ、と言うと、輝彦は分かりやすく狼狽え、慌てた。
「ごめん幸人。ほんとごめん」
幸人は人の流れに合わせて歩き出すと、輝彦も付いてきて顔を覗き込んでくる。彼の糸が彼の動きと同じく、顔を覗き込むように先だけ曲げた。
しかしそれは一瞬だけで、次には幸人の唇をつつき始めたのだ。思わず足を止めて、輝彦をまた睨んでしまう。
「口先だけなら、何とでも言える」
「……っ、ごめんっ!」
見透かされたと思ったのか、今度こそ輝彦の糸は引いた。
「幸人っていつも穏やか〜に笑ってるから、ちょっと違う表情見てみたかったんだよ」
確かに、滅多に見せない表情をした自覚はある、と幸人は思う。けれど、こういうやり方は好きじゃない。
「それだったら、もっと違うやり方があるだろ?」
「幸人の言う通りだ、ごめん」
幸人は水槽ではなく人混みを眺めた。自分に背を向けて去っていくひとを見て、祥孝と喧嘩し絶交した時を思い出して頭を振る。
違う。輝彦は祥孝とは違うし、祥孝とも関係は修復している。そう思い直し、幸人は輝彦を見上げた。
「……ごめん。少し過敏に反応しすぎた」
「……っ」
ただ少しからかわれただけで、こんなに怒ることじゃない、と幸人はすぐに考えを改める。少なくとも、輝彦は幸人を好きでいてくれているのだ、彼の好意自体は嫌じゃないから、邪険にすることもないだろう。
「す……」
「……す?」
輝彦がなぜか固まったまま、口を突き出してそう言った。幸人が首を傾げると、ハッとしたように顔を上げる。そしてガシッと幸人の両肩を掴むと、真剣な顔をしてこう言った。手の力が強くて肩が痛い。
「──寿司食いに行こう」
「え?」
「魚観てたら食いたくなった。一通り観たら寿司屋行くぞ」
俺が奢る、と輝彦は幸人の背中を押して軽く叩く。
(……もしかして、『好き』って言いそうになってた?)
唐突な提案に幸人は頷くしかなかったけれど、今のタイミングでなぜ『好き』と言いそうになったのか、考えてもさっぱり分からない。けれど少しだけ、輝彦の好意を受け入れてみたいと思った。この、自分の非をすぐに認めることができて、思いやりもあって優しい彼の好意を。
(仲良くなれたら、その理由も聞けるのかな)
祥孝から絶交されていた期間に、幸人はひとりでいる楽しみを見つけてしまった。だから仲良くなりたいと思う気持ちは本当に久しぶりで、胸の辺りが温かくなるのと同時に、少しドキドキする。
輝彦の糸は幸人の腕に巻き付いたまま大人しい。それが彼の真剣さを表しているようで、自分とちゃんと向き合おうとしてくれていることに、嬉しくなった。
(……うん。俺は輝彦と友達になることは嫌じゃない)
最初こそ彼の好意に戸惑ったけれど、話せば見た目ほど浮ついた奴ではなかったし、幸人が嫌がることもしない。やりすぎたら謝ってくれるから、まともで真面目なひとなのだと分かる。
「幸人、ごめんな?」
こちらを窺うような声音に彼を見ると、眉を下げた輝彦がいた。幸人は苦笑すると、いいよ、と輝彦の背中を軽く叩く。
すると彼の糸が、犬のしっぽのようにブンブン揺れた。やっぱり糸の方は正直なんだな、と大きな水槽を眺める。
「俺さ……一時期いじめられてたことがあって」
「えっ?」
隣の輝彦がこちらを向く気配がした。けれど幸人は水槽の中をゆったり泳ぐエイを見上げる。好意が視覚で見えてしまう分、疲れてしまうから積極的に穏やかでいたいと思っている部分もある。輝彦なら、それを分かってくれるだろうか。
「……だから、からかわれることには敏感なんだ。過ぎたことなのに、過剰反応しちゃうことがあって……」
悪かったな、と呟くと、隣で大きくため息をつく音がした。いきなりこんな話をして引いたかな、と幸人は思う。
当時、祥孝と喧嘩をしたことは中学の同級生ならみんな知っている話だ。祥孝が幸人を嘘つきだと触れ回り、それに便乗した関係ない生徒が幸人をターゲットにして『遊び』始めた。祥孝は人気がある生徒だったから、学校カーストの最下層に落ちた幸人は恰好の餌食になったのだ。そしてそれは、ほぼみんな持ち上がり状態の高校生になってからもしばらく続いた。
「幸人」
呼ばれて輝彦を見上げると、彼も真っ直ぐ水槽を見ていた。真剣な眼差しにこれまでの浮ついた雰囲気は一切なく、それどころか何か強い意志を感じる。
「俺は幸人を裏切らない。約束する」
するりと、輝彦の糸が幸人の頬を撫でた。それは、からかいを含んだくすぐるようなものではなく、優しく慰めるようなものだ。
幸人はくすりと笑う。
「ありがとう。でももう、当時キッカケになった奴とは仲直りしてるし、本当にもう大丈夫」
今まで、ひととつるまずに一人で過ごしていたから、こんなことで反応するなんて自分でも分かっていなかったのだ。輝彦に気を遣わせてしまったな、と反省する。
「……今もソイツと付き合いはあるのか?」
「ん? ああ、このあいだ言ってた幼なじみ」
「……幸人はすごいな」
二人はどちらからともなく、歩き出した。ひとはたくさんいるけれど、幸人たちの会話を気にしているひとはおらず、みんな悠々と泳ぐ魚たちに夢中だ。
「すごい?」
幸人は輝彦の言葉の意味が分からず聞き返す。輝彦は頷いた。
「だって、酷い目に遭ったのに、ソイツのこと許したんだろ?」
「ああ……誤解だったって分かったからな」
直接幼なじみがいじめてきた訳じゃないし、泣いて謝られたら許すしかないよ、と幸人は言うと、輝彦の糸が頭を撫でてくる。慰められているのかな、と嬉しくて微笑んだ。
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