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23 恋人(仮)

 初めてのお付き合いが、こんな後ろめたさを抱えながらになるなんて、と幸人はため息をつく。輝彦の糸は相変わらず暴れん坊で、喜びのあまりか小刻みに震えていた。けれど、幸人の糸からは何の意思も感じず、垂れ下がったままだ。  もう少し話をしたい、という輝彦に、彼の家へと誘われる。二人で落ち着いて話すなら、これ以上最適な場所はないだろう。幸人は頷く。  輝彦は想いを告げてから遠慮は要らないと思っているのか、この短い時間で色んな表情を見せてくれた。駅から輝彦の家に行くまでの間にも、ゆっくり歩きながら話す。 「ってか、輝彦は何であそこにいたんだ?」 「ん? サプライズで幸人のバイト先まで行ってみたんだ。けど、いなかったから……」  輝彦は次にファーストフード店に行ったらしい。けれどそこもハズレで、あとは最寄り駅で待つしかない、と思ったのだとか。 「ばか。俺が来なかったらどうするつもりだったんだよ……」  もし幸人が家から出ていなかったら、輝彦は待ちぼうけを食らうところだった。会いたいと思ってくれるのは嬉しいけれど、自分のために何時間も待つのはやめて欲しい。  すると、輝彦は目をキラキラさせてこちらを見ている。どうした? と聞く前に輝彦は叫んだ。 「幸人の『ばか』、かわいい……!」 「う……」  遠慮がない輝彦は目に毒だ。キラキラしていて眩しい。そしてこの反応はまさしく糸の動きと一致している。赤い糸は犬のしっぽのように揺れ、大喜びだ。もしかして、こうやって赤い糸が揺れている時は、心の中で今みたいな反応をしていたのだろうか。だとしたら、やっぱり輝彦は面の皮が厚い、と幸人は思う。 「でも幸人」  輝彦の声音がスッと変わり、幸人はドキリとした。よくないことが起こる前触れだと本能的に感じ、視線を逸らす。 「幸人も、なんで五股女と一緒にいたのかなあ?」  ほら来た、と幸人は思う。あの、独占欲と敵対心丸出しだった輝彦が、そこを掘り下げない訳ないのだ。 「それは……その……」  どう言い訳しようかと考えていると、スマホが震えた。バイブレーションの音は輝彦にも聞こえたらしく、電話? と聞かれる。  タイミング的に祥孝かもしれない、と幸人は着信を無視することにした。気にしないでいいよ、と言うと、輝彦は幸人に抱きつき、ポケットから幸人のスマホを出してしまう。 「え、ちょ……っ」 「……祥孝さんだ。出なよ」  スマホを突き出され、幸人はそれを受け取った。祥孝とは話す気分じゃなかったけれど、渋々応答する。 「もしもし?」 『幸人、さっきはごめんな。ちょっとした出来心だったんだよ』  開口一番、祥孝は謝ってきた。謝る相手が違うし、言い訳がましい言葉に幸人は違和感を覚えながらも、もういいよ、と返す。すると気をよくしたのか、祥孝の声音からこちらを窺うような雰囲気が消えた。 『……で、ユカちゃんとはどうだ? 上手くいきそうか?』 「祥孝、あの子は……」  そう言いかけて幸人は口を噤んだ。糸で見えたことを話したら、また祥孝は怒るかもしれない、と。 『お前には、ああいう清楚な感じの子が似合うと思う。いい子だから仲良くしてやってくれな?』  絶句した。祥孝が言った内容もだけれど、それを祥孝が言ったことにも。改めて幸人のことは友達としか見ていないと言われたみたいで、力無く「うん」と答える。  すると、突然スマホを奪われた。あっと思った時には輝彦が幸人のスマホを耳に当て、祥孝と話し始めてしまう。 「余計な世話するんじゃねぇ。五股女寄越しておいて何が仲良くだ」 「ちょっと、輝彦!」 『五股女? ってか何で輝彦がいるんだ? 今日来れないって言ってただろ?』  幸人はしまった、とスマホを取り返そうとする。けれど輝彦に強く抱きしめられ、動くことすらかなわなくなった。早く止めないと、今日幸人が嘘をついたことがバレてしまう。 「輝彦、返せって!」 「今日? ああ、例の合コンの日だったのか」 『輝彦が来れば盛り上がったのに残念だよ』  電話口からそんな声が聞こえて、幸人はまた違和感を持つ。でもそれが何なのか分からないまま、幸人を置いてきぼりにして会話は進んでしまう。 「ひとをダシに使うようなやつの合コンになんか行くかよ。今後幸人に紹介はいらねぇから」 「輝彦……っ」  幸人は輝彦の手からスマホを奪い返した。けれどすでに通話を切っていて、幸人は血の気が引く。 「どういうつもりだよ輝彦」 「そのまま。幸人は俺と付き合ってくれるんだろ? 紹介は要らないじゃん」 「……っ」  そんなことをしたら、という言葉が喉まで出かかって、飲み込んだ。そんなことをしたらどうなるのだろう? 考えたくなくて首を振る。輝彦の言う通りだ。自分は輝彦と付き合うのだから、女性の紹介は必要ない。そう思い直す。  けれど、幸人の糸は相変わらず死んだように垂れ下がったままだ。それを見て、大丈夫、自分は輝彦を好きな訳じゃない、と確信する。 「と、とりあえず、離れてくれ……」  幸人は輝彦の腕の中で身動ぎした。腕の力強さといい、ちょっと鍛えているのかもと思ったら顔が熱くなる。  すると、頭上で輝彦がくすりと笑った。 「幸人、ちょっとは意識してくれてる?」 「……そういうからかいは、好きじゃないって言ったろ」  幸人は見上げて輝彦を睨むけれど、輝彦はなぜか嬉しそうに笑っているだけだ。  いま、この腕を思い切り振りほどいたら、輝彦はどんな表情をするだろう? そう考えてヒヤリとしたので、大人しくすることにした。 「歩こうよ……家に辿り着かない」 「……そうだね。でも、あったかいから」  離れない輝彦に、家で話をするんだろ、と幸人は言うと、ようやく離れてくれる。  こんなことになるなら元の関係に戻りたい。そう思った。

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