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24 気付きたくない
輝彦の家に着くと、以前と変わらず服とDVDが迎えてくれた。幸人はアウターを脱ぎ、座っててと言われたラグの上に座ると、ペットボトルを持った輝彦がローテーブルにそれを置く。
「幸人」
輝彦は隣に座ると腰を抱いてきた。くすぐったくて身をよじると、その手は意味深にゆっくり身体を撫で、肩に上がってくる。
「やめろよ……」
「ごめん」
付き合うことになったとはいえ、まだ試用期間だ。無理にことを運ぼうとするなら、断らなきゃ、と幸人は心の中で誓う。
「それで? 幸人は合コンに行ってたの?」
幸人は膝を抱える。話さないとだめかな、と躊躇っていると、輝彦の顔が近付いた。
「ちょっと?」
「言わないと、キスするよ?」
そのセリフと同時に輝彦の糸が幸人の唇をつつく。どうやら本気のようだ、と幸人はため息をついた。
「……行ってた」
「祥孝さんに嘘をついてまで? 俺も行くって言ってたよな?」
──ドキリとした。彼を振り返ると、思いのほか真剣な顔をした輝彦がいる。その目に何もかも見透かされそうで、幸人は直ぐに視線を逸らした。
「幸人には悪いけど、俺、祥孝さんのことあまり好きじゃない。合コンは、幸人を守るつもりで行くって言ったのに」
「……祥孝はいい奴だよ。誤解されやすいけど」
幸人は反論する。一度仲違いしたとはいえ、地味で大人しい自分のことを見捨てずに友達に戻ってくれたのだ。これがいいひとじゃないと言うのなら、誰がいいひとなのか?
「幸人、それは違う。だって幸人、合コンは乗り気じゃなかっただろ? 強引に進めたのは誰?」
「結果的に参加したのは俺の意思だよ」
幸人はそう言いながら、彼はどうしても祥孝を悪者にしたいらしいと気付く。祥孝を庇うような発言をする幸人に対して、輝彦はイラついた雰囲気を出していた。
「だって、アイツだろ? 幸人をいじめてたの」
「祥孝が直接やった訳じゃない」
そう、祥孝が直接やった訳じゃないのだ。けれど当時を思い出して、祥孝の今までの言動にやはり違和感を覚える。気のせいだ、俺たちは仲がよかったはず、と首を振る。
「何なんだよ……それ以上祥孝を悪く言うなら……」
そう言いかけて、幸人は言葉に詰まった。悪く言うなら何だ? 俺はどうするつもりなんだ、と。また祥孝と同じように疎遠になるのか? 新しい友達を作ってもいいんだ、と思い始めたところなのに。
「……ごめん」
「それは何に対しての謝罪?」
かける言葉が見つからなくて謝ると、輝彦はそう返してくる。言葉と声音は冷ややかだけれど、輝彦は幸人の背中を宥めるように撫でた。糸も慰めるように頬を撫でてきて、彼は自分と喧嘩したい訳じゃないんだ、と分かる。
「……今は、輝彦を大事にするべきだった。俺の発言を、輝彦がどう思うか考えてなかった……」
「……ま、今はそれでいいよ……」
輝彦は何かを諦めたようにため息をついた。どうやら輝彦は、幸人の知らない何かを知っているらしい。それが何か気になるけれど、今聞くことじゃないかもしれない、と幸人は黙る。
「幸人、俺は理由を聞いてるの。自分の意思で行ったのなら、俺に黙って行った理由と、祥孝さんに嘘をついた理由を教えてよ」
「それは……」
言えなかった。朱里に輝彦たちとの仲を壊すなと言われて、新しい人脈を作ろうとしていたなんて。
すると輝彦の糸が頬を撫で、唇をつついてくる。どうして、と輝彦を見ると輝彦は口元を押さえて視線を逸らした。
「そんな捨てられた子猫みたいな顔しないでよ……。ごめん、落ち着くから待って」
輝彦は幸人の肩を抱いたまま、大きく深呼吸をする。幸人としては子猫に例えられて複雑な気持ちになったけれど、やはり糸の方が正直なんだな、と思う。でも、彼のツボが分からない。どうして今のタイミングで落ち着かなくなったのだろう。
輝彦はよし、と独り言を言い幸人に向き直った。
「大丈夫。どんな理由でも俺は幸人を責めないって約束するから」
そう言われて、幸人は酷く安心する。そしてほんの少ししか話していないにも関わらず、輝彦は幸人に配慮するべき点を、きちんと押さえているのは、さすがだなと思った。
「……あくまでもきっかけだけど」
幸人はそう前置きした。朱里を責めるような言い方はしたくない。輝彦との仲を壊されたと言う彼女の言い分も、痛い程分かるからだ。
「朱里さんが、俺と出会ってから輝彦が変わったって。それが寂しいって……」
「うん……」
「これ以上俺がいると、輝彦たちの関係を壊しそうだったから……新しい友達を探そうかなって」
「……そっか」
朱里の言葉を優しくオブラートに包むとそういう事だ。幸人がいることで朱里の理想の輝彦が崩れていくなら、自分は離れた方がいいと判断しただけ。
はあ、と輝彦はため息をついた。彼の糸が優しく幸人の手首を一周して、手の甲を撫でてくる。少し彼から緊張が伝わってきて、幸人もなぜか鼓動が速くなるのを感じた。でもどうして彼は緊張し始めたのだろう? 理由は直ぐに知れる。
「……俺、朱里と七海に幸人が好きだって伝えたんだ」
「……は?」
「七海は笑顔で応援するって言ってくれたけど、朱里はその場で泣き崩れちゃって……って、それは今はいいか」
思わず幸人は輝彦を見た。そこには普段は見せない、彼の困ったような笑顔がある。
彼は今何と言った? 輝彦のことが好きな朱里と七海に、幸人が好きだと伝えたと言ったのか?
「な、に言ってんだよ、あの二人は輝彦のこと好きだったんだぞ!?」
どうしてわざわざ泣かせるようなことをする、と幸人は視界が滲んだ。これでは完全に彼らの関係が壊れてしまうじゃないか。
「あ、やっぱり自分以外の恋愛事情には敏いんだな」
「そんなことはどうでもいいっ。何やってんだよ!」
ふはっと噴き出した輝彦に、幸人はなぜ笑うと声を荒らげる。信じられない。あの、いつもひとに囲まれているような輝彦が、わざわざひとを泣かせるようなことをするなんて。
「幸人。俺はもう、自分に嘘ついてひとと付き合うの、止める」
さっきも言っただろ、と輝彦は続けた。
「少しずつ、素の俺でも付き合ってくれるひとを見極めてるんだ。整理って言うと聞こえは悪いけど、俺は気の合う奴らと深く付き合っていきたい」
無作為に増えていった人脈には、不誠実なひとも当然いる。だからいつかはこうする必要はあったんだ、と輝彦は言う。
「幸人、俺ね、……多分女はダメなんだ」
幸人はヒュッと息を飲む。そして首を振った。
嫌だ、その先は聞きたくない。キラキラした爽やか青年は、自分と同じではいけないのだ。明るくて、いつもひとに囲まれている彼が、ひとりで妄想して笑っている陰キャと同じなはずがない。
「それも全部、七海たちに話してきた」
輝彦はこちらを向いた。けれど幸人は視線を合わせられない。痛いほどの視線を感じながら、正面を向いた顔を動かせなかった。
腰に回した輝彦の腕から、僅かな振動が伝わってくる。
「もしかして、幸人もそうなんじゃないかって、俺は思ってる。違う?」
彼のその言葉に、幸人は心臓が止まるかと思った。輝彦の言う彼の素とは、性的マイノリティであることを指しているのか、と。
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