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29 気付かないふり
幸人は奥の部屋まで行くと、前よりも服の量が少し減っていた。そう言えば、先程モデルがどうとかと言っていたので、それで服が多いのかな、とか思う。
「ごめんな幸人、母さんが失礼なことを言って……」
改めて謝ってきた輝彦に、幸人はまた首を振った。やはり誰から見ても、不釣り合いなのは分かるし納得だ、と視線を落とすと、輝彦がそばに来て顔を覗かれる。
「幸人?」
「……ん?」
「大丈夫だよ? ひとに言われて好きなひとを諦めるほど、軽い気持ちじゃない」
そう言われて、輝彦に両手を握られた。温かい体温にホッとして息を吐くと、思ったより祥孝とのことを引きずっているんだな、と苦笑する。
「ごめん。頭では理解してても、客観的意見には俺も納得しちゃって……」
そう言うと、輝彦が息を飲む気配がした。ずっと、平気だと思って幸せに過ごしていたはずなのに、輝彦と出逢ってからそれが少しずつ変化している。それが怖い。
「客観的意見って……。違う、母さんがああ言うのは、俺に言うことを聞かせるためで……」
輝彦の言葉の途中で、幸人は首を振った。言われたのは彼の母親からだけではない。ほかの人からも言われているのだ。
そこで気付いてしまう。輝彦はそれでも幸人と付き合うことをやめなかった。それだけの強さがある。──対して自分はどうだ?
ヒヤリとした。本当に、自分は輝彦と付き合う価値がない弱い人間ではないか。他人の言うことに左右され、大切にしたいと思い始めた関係を掴むでもなく、離すでもなく。中途半端なまま輝彦を期待させ、好かれているという事実に甘えている。
こんなひとを、誰が好きになってくれるのか?
「幸人……」
「俺は……、付き合うなと言われて無視できるほどの強さがない……」
それなのにどうして輝彦は自分を好きだと言ったのか。彼は幸人の言葉に救われたと言った。一人でも楽しそうだからと言った。
でも、それは他人に追いやられた結果辿り着いた楽な考えや過ごし方だ。幸人が望んでしていた訳じゃないのに、それがお似合いだと言われて納得した過去があったのを思い出した。
そう言ったのは、まぎれもなく祥孝だ。一方的に縁を切られ、孤立した幸人に聞こえるように言った、あの言葉……。
『元々陰キャだからな。一人でいた方がいいんじゃねぇの?』
根も葉もない噂を立てられても、否定も肯定もせず静かに待っていれば、みんな飽きて自分も笑えるようになる、と思っていた。そして実際、その通りになった。
「……っ」
幸人は俯く。目頭が痛くなったけれど、そういう時には自分がどうしていたのかまで、思い出してしまう。
生きているだけで幸せ、空が青いだけで幸せ、雀がうるさく鳴いて喧嘩してるのも、平和な証拠。自分には不幸なことなんて何も起きてなんかいない。悪いことなんて、何もない。
辛くなんか、ない。そう思い込もうとしていた。
「幸人……」
長い腕に包まれた。途端に涙が溢れ出てきて、服を濡らしてしまう、と彼の胸を押す。
「好きな子が泣きそうな時くらい、抱きしめさせてよ」
「……そうじゃなくても今日は抱きついてたじゃないか……」
弱々しい幸人の声に、そうだった、と控えめに笑う輝彦。その胸の震えに少し安堵しながら、幸人は彼のシャツを胸の辺りできゅっと握った。
「幸人、俺は強い訳じゃないよ。ただ、自分はこうしたいって思ってるだけで」
幸人といたいからいる、それだけだと言われて、それがない幸人は強くなれないな、と思う。
すると輝彦は苦笑した。
「ほら、考えてばかりいないで教えて? 俺はちゃんと聞くって言っただろ?」
そう言われて、足元から崩れ落ちそうになった。このひとは、……輝彦は、本当に自分を傷付けるつもりはないんだと。
「……っ、う……」
それが嬉しいだなんて、久しく忘れていた。長らく悪意に晒されたせいで、幸人は人間関係において、辛いことは感じないふりをし続けていたから。
「あーあー、泣いちゃった……かわいい……」
ちゅっ、と頭にキスをされ、切なげな声に幸人は肩を震わせた。そろそろと顔を上げると、熱が籠った視線でこちらを見下ろす輝彦がいる。
「かわ……?」
かわいくないだろう、と言おうとして声が掠れた。何度でも思うけれど、二十歳前後の男をかわいいと言う心理が分からない。訂正しているはずなのに、輝彦は思い直してくれないようだ。
「……うん。泣いてる幸人もかわいいけど、笑ってる方が好きかな」
だから、幸人のこと全部教えて。溶けそうなほど優しい声音で輝彦は言う。幸人はその声に身を委ねて目を閉じると、そっと唇に何かが触れた。
直ぐに離れたそれは、輝彦の唇だったようだ。思ったよりも随分柔らかく、目を開けると間近で「はぁ……」と甘く息を吐いた彼は、目に涙を浮かべていた。
「……どうして輝彦が泣いてるんだよ?」
「だって、幸人がやっと俺を受け入れてくれたと思ったから……」
そう言われて、幸人は自分の手を見る。すると幸人の小指から出た糸は、輝彦の糸と結ばれていた。その結び目は手縫いする時に結ぶ、玉結びほどの小さなものだったけれど、ずっと反応がなかった幸人の糸が動いたのは大前進だ。
「……固い」
「えっ!?」
結び目が固く結ばれていることに安心して、つい声に出してしまった。輝彦がなぜか腰を引いたので見上げると、彼は気まずそうに視線を逸らす。
「す、座って話そうか……」
そう言って輝彦はベッドに座ったので、幸人もそれに倣って隣に座った。
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