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33 自分の言葉で
次の日。幸人はバイトが終わってから、祥孝との待ち合わせ場所に向かった。その途中で輝彦からメールが来て、その文面に苦笑する。
『やっぱり心配だから、遠くから見守ってる』
輝彦はどうやら心配性のようだ。恋人とはくっついていたいという性格といい、好きな相手との距離はとことん詰めたい性分なのかもしれない。その相手が今は自分だと言うことに、心の中が温かいような、くすぐったいような感覚になる。
それでも、やっぱり輝彦がついてると思うと心強かった。自分の意志なら自分で言わなくてどうする、と奮い立たせ、緊張でうるさい心臓をなだめるために、息を細く長く吐く。
あと五分歩いたら、駅だ。
祥孝はどんな反応をするだろう? 怒鳴るだろうか? それとも無視するだろうか? 最悪、もう二度と会ってくれなくなるかもしれない。
「……怖いな」
でも、今までちゃんと話すことを避けてきたから利用されていたのだ。嫌だと気付いてしまった以上、話をしなければまたしつこく誘ってくるだろう。
そうこうしているうちに駅に着いてしまった。比較的暖かくなってきたとはいえ、まだ三月下旬で気温は低い。それなのにじわりと額に汗が滲む。
輝彦に駅に着いたと連絡し、スマホを見て暇つぶしをした。けれど普段見るサイトも、内容がなかなか頭に入ってこない。意味なく画面をスクロールするだけで、幸人はため息をついてスマホをポケットに入れる。
できれば、穏やかに過ごしたかった。自分さえ大人しくしていれば、それができたはずだ。なのに、自分は変わりたいと思っている。輝彦が周りに本音を伝えたのと同じように、自分も自分がどうしたいのかを伝えたい。
「幸人」
ハッと顔を上げると祥孝がいた。考えごとをしていたせいでどんな顔をしていいか分からず、「おつかれ」と言おうとして止まる。
祥孝の糸が、切れていたのだ。
「……加奈子ちゃんは? 別れたのかよ」
思わずそう言うと、祥孝はめんどくさそうに顔を歪める。
「開口一番それかよ。そもそもフランスじゃあ距離がありすぎるだろ」
「じゃあ別れる前に合コン開いてたのは何で? もう加奈子ちゃんには冷めてたってことかよ」
「うるせえなぁ! ここんとこ電話しても喧嘩ばっかだったんだよ、別れるのが自然だろ」
「そんな……」
そんな。幸人は心の中でもう一度呟いた。加奈子は祥孝にベッタリだと言っていたじゃないか。あれは嘘だったというのか。せっかく我慢して二人を見ていたのに、自分の努力が──祥孝を諦めた努力が──無駄になってしまったじゃないか。
「まあいいや、行くぞ」
「祥孝、あのな……」
「まだ何かあるのか?」
明らかにイライラしだした祥孝に、幸人は怯みそうになり拳を握る。祥孝と加奈子の間に何があったのかは知らない。けれど、ここのところの祥孝の不誠実な言動に、まだ少しだけ残っていた百年の恋も完全に冷めた。
「俺、恋愛相談はもうしない。お付き合いしてるひとがいて、そのひとに誤解を生むようなこと、したくない」
振り絞った声は震えてしまう。けどもう、祥孝を過去のひとにすることに、躊躇いはなかった。
「お前に恋人? マジか、どんな子だよ?」
意外にも、祥孝は明るい顔で聞いてきた。
「俺に紹介しろよ。幸人のいいところ、俺が教えてやるから」
けれどやはり次には違和感が残る言葉。恋人なら、幸人のいいところはとっくに気付いているはず。改めて祥孝から言われなくても、分かっている話だ。
「丁度いい、今からその恋人も呼んでみんなで飲もう。俺のおかげで付き合えたってみんなに言ってやるから」
「は?」
どうしてわざわざそんなことを、と幸人は聞き返す。幸人と輝彦の関係に、祥孝は関わっていないはずだ。幸人の心臓は嫌な音を立て、彼への違和感がまた大きくなる。
「いや、話聞いてた? 俺行かないって。相談は祥孝が、お前の感じたことを言えばいいだけの話で……」
「……ほんと、言うこと聞かなくなったなぁ幸人」
祥孝の声のトーンが下がった。粘ついた声色に幸人はゾクリとして、息を詰める。
「誰の入れ知恵だ? 輝彦か?」
「……て、輝彦は関係ない……」
「嘘だろ。お前俺以外に友達いねーじゃん」
今までにない彼の強い口調に、幸人は気持ちが竦んでしまった。お前はまた嘘をつくのか、と言われた気がして、一気に心と身体が硬直する。
そんな幸人に気付いたのか、祥孝は鼻で笑った。
「てか何? 友達いないお前を紹介してやろうって話だろ?」
「だ、から、……必要ないって……」
すると、祥孝は大きくため息をついた。幸人がビクッと肩を竦めて彼を見れば、呆れたような表情が見える。
「幸人お前な……、ずっと俺といるつもりか?」
「お、俺だって、新しい友達できたし……」
「それって輝彦だろ? そうじゃなくて、お前も恋愛くらいしたらって話だよ」
時間だから行くぞ、と歩き出そうとした祥孝を、幸人は声を振り絞って止めた。祥孝は、幸人に恋人ができたことを信じていない。やはりこれは、ハッキリと……。
(言わなきゃ……)
自分がどうしたいか。言わなければこのままずっと、祥孝の言うことを聞かされて、いいように扱われる。それは嫌だと思ったじゃないか。
それを伝えないと。いま、言わないと。
「祥孝、……俺……っ」
声が震える。心臓が大きく脈打って、全身が心臓になったみたいだ。喉が渇いて唾を飲み込むと、意を決して言葉を吐き出す。
「俺、……女の子の紹介は、いらない。付き合うことになったひと、じ、実は、……男のひとなんだ……っ」
床の一点を見つめて、幸人は大きく呼吸をしながら言い切った。けれど祥孝の反応はない。なじられるか笑われるか、と身構えていると、予想していなかった言葉が降ってくる。
「……やっぱりな」
「え……?」
幸人は思わず祥孝を見た。片方だけ上がった彼の口の端が見えて、すぐに視線を逸らす。やっぱりとはどういうことだろう? まさか彼は自分の性指向に気付いていたとでもいうのだろうか?
「幸人お前、そんなんじゃ人生やっていけないぞ?」
だから相手を紹介してやるって言ってるんだ。そう言われて混乱する。じゃあ祥孝は、幸人が同性愛者だと気付いていながら、女性を紹介すると言っているのか。どうして?
「何でだよ……?」
疑問がそのまま口から出た。すると祥孝は、俯く幸人の顔を覗き込むようにしながら、両肩を掴む。
「一時的な憧れは誰だってある。けど、それに相手を巻き込んだらかわいそうだろ? 相手にだって人生があるんだから」
「は……?」
幸人は祥孝の言うことが理解できなかった。自分は相思相愛で、輝彦と一緒にいたいと思ったはず。しかし祥孝の言葉は、ただ幸人が一方的に相手が好きで、それに付き合わせているような言い方だ。
すると祥孝は苦笑する。その視線にこちらを憐れむようなものを感じて、幸人はかあっと顔が熱くなった。
「なんだよ、それ……」
「お前が俺に憧れてるのは知ってた。けど、それをいつまでも引きずっちゃダメだろ?」
なんだよそれ、ともう一度心の中で幸人は思う。輝彦は幸人の想いに気付いていた? それを一時的な憧れと決めつけて、忘れさせようとしているのか。
「違う……俺はちゃんと相手が好きだよ。糸が結ばれたんだ……」
祥孝の言葉から感じる違和感。それがハッキリと歪みになって不快感になり、幸人は頭を振る。
「幸人、だから今はそうかもしれないけど、……それは生物学上自然じゃないだろ?」
お前も俺も男で、最終的には女の子が好きなんだから、と諭すように言う祥孝のことが分からなくなった。そして、また彼は自分の言葉を信じてくれないんだな、と思う。結局、長くいても祥孝と自分は、その程度の信頼関係しかなかったのだと。
「……──」
今度こそ決別する時だ。そう思って幸人が大きく息を吸い口を開こうとした時、身体を強く引かれた。
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