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34 今度こそ
強く引かれた身体はよろけ、転びそうになると、強い腕で後ろから抱きしめられる。腕の主を見上げると、思った通りの人物がいて幸人はホッとした。祥孝から幸人を離したのは、輝彦だったからだ。
しかし彼はかなり強い視線で祥孝を睨んでいる。怒っているのは明らかだ。
「幸人に触るな」
初めて聞くほど低い輝彦の声。祥孝は驚いたようだったけれど、次には顔を引き攣らせながら笑う。
「……ははっ、やっぱりな。幸人の恋人ってあんたか」
「そうだけどそれがどうした?」
二人のその会話の間に、輝彦の糸が一瞬で幸人の身体を巻き上げる。誰にも渡さない、という強い独占欲が見えて、幸人は初めて、輝彦の想いの強さに感謝した。これほど頼もしいものはない、と。
すると祥孝は「やめてくれよ」と笑う。
「幸人が男と付き合うとか……俺への憧れも実は好意だったんじゃ、って疑っちまうだろ?」
「……何?」
反応したのは輝彦だ。幸人は俯き、やはり祥孝は幸人のことを、何一つ認める気がないことを知ってしまう。
今になってなぜこんなひとが好きだったのか? 完全に分からなくなったけれど、もう遠慮はいらない、と顔を上げた。
「いいよ輝彦。……うん、俺祥孝が好きだったよ」
その横柄な態度や自慢話が、自分をしっかり持っていて、すごいと勘違いしていた自分が情けない。けれど、きっと輝彦なら、そんな情けない自分も受け入れてくれる。
「全然自覚してなかったけどね。でも、祥孝も自分に都合のいい俺が好きだったんでしょ?」
俺の能力を利用してたんだから、と言うと、祥孝は明らかに怒ったようだ。次第に顔を赤くしてこちらを睨みつけてくる。幸人が祥孝への恋心を認め、反論するなんて思っていなかったのだろうか? 本当に、どれだけ馬鹿にされていたのだろう、と怒りを通り越して呆れた。
「お前の能力のこと、誰にも話すなって言っただろ?」
「うん、それは俺を都合よく使うためだよね?」
キッと鋭い視線で祥孝は幸人を見た。彼は図星を突かれて謝るどころか、こちらを攻撃する気満々だ。輝彦の言う通り、何をするか分からないな、と警戒する。
「それがどうした。ダチがいないお前に、この俺がダチになってやったんだから、文句を言われる筋合いないな」
「……そうやって高圧的に出て、幸人の優しさにつけ込んでまた利用する気か? 全然懲りてねぇな、アンタ」
輝彦がそう言うと、「お前、俺との過去も喋ったのかよ」と祥孝は幸人を睨んだ。あまりの開き直り具合に幸人はただただ、気持ち悪さを覚えるばかりだった。今の言葉は、そう言えば幸人が言うことを聞くと思っての発言だったと悟ると、もう完全にこのひとを庇おうなんて気力はなくなる。
祥孝はひとつため息をついた。
「これで食ってくって思ってた陸上諦めた。でもそしたら、周りの奴らは手のひら返したんだ。ソイツら見返すためだよ、何が悪い?」
完全に開き直った祥孝。やはり彼は自分が注目されたい性格だったらしい。身勝手にも程がある、と幸人は思っていると、輝彦が幸人から離れる。どうしたのかと思った次の瞬間、彼は祥孝の顔を思い切り殴っていた。
「ちょっと! 何やってんだよ輝彦!」
まさか殴るなんて、と幸人は慌てて輝彦の腕を掴んで引く。案外大人しく離れた彼だったが、その表情、全身からは怒りの感情がヒシヒシと伝わってきた。
「自分一人じゃひとが集まって来ないからって、幸人を利用するんじゃねぇ!」
「自己主張しない、ただのお人好しは利用されて当然だ! 幸人だって、有名人の俺といられて、得しただろうが! ウィンウィンだろ!?」
「おま……っ、ここまで来てまだ……!」
輝彦はまた殴りかかろうとするけれど、幸人はそれを制して、頬を押さえた祥孝を睨む。
「それで俺がまた引くと思った? 陸上で活躍していた祥孝が純粋に凄いと思っていたこと、いま心の底から後悔してる」
「……」
祥孝は幸人と視線を合わせなかった。それはどういう感情でそうしているのか。今はもう、どうでもいい。
行こう、と輝彦の腕を引っ張る。祥孝はそれ以上何も言わなかったけれど、もう知らない、と振り返らずに歩き出した。
長年続いた幼なじみとの友情が、こんな形で終わるとは思わなかった。寂しさも少しはあるけれど、幸人の中を占めていたのは怒りと、自分の不甲斐なさだ。どうして、祥孝の本音に気付かなかったのか。悔しくて唇を噛む。
「幸人」
幸人が引っ張っていた腕が、逆に掴まれて引っ張られる。地面を見つめたまま幸人は喋らず、輝彦が導くままについて行った。彼の腕は強く幸人の腕を掴んでいて、大丈夫、離さないからとでも言うように、二人の腕を輝彦の糸が巻きついていく。
『俺は幸人を裏切らない』
輝彦に言われた言葉を唐突に思い出した。そういえば、輝彦が祥孝と初めて会った時、彼はずいぶん祥孝を警戒していた。あの時は単に独占欲だけによるものだと思っていたけれど、もしかしたら祥孝の思惑を、あの時から勘づいていたのかもしれない。伊達に友達多くない、という輝彦の言葉も、幸人のこの予測を確信に近付けた。きっと、色んなひとを見てきたから分かるものってあるんだろうな、と前を歩く輝彦を意識する。
顔は上げられなかった。輝彦の顔を見たら、溜めていた感情が噴き出して泣いてしまいそうだったから。
引っ張られている手を掴む力強さ。そこに優しさもあって温かい。その温もりを自分からも感じたい、輝彦に触れたいと思って体温が上がるのを感じる。同時に目頭も熱くなった。
(我慢だ、俺……)
多分歩いている方向からして、向かっているのは輝彦の家だ。着いたらちゃんと伝えなきゃと思う。
改めて、輝彦のことが好きだと。
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