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36 慎重に、丁寧に

 温かく柔らかい輝彦の唇が、幸人の唇を啄む。近付いた輝彦の淡い虹彩と長いまつ毛に見惚れていたら、目を閉じてよ、と苦笑された。 「ごめん……。輝彦、カラコンしてるんだよな? いつも綺麗だなーって思って見ちゃう」 「ああこれ?」  そう言って、輝彦はまた軽く啄んでくる。昨日のように会話の合間のキスなら、さほど緊張せずにいられるのかもしれない。幸人はそう思って彼の言葉に小さく頷く。 「髪色も茶髪にしたし、落ち着いた色にしたいんだけど、まだ余ってるから」 「……元々視力は低いのか?」  うん、と輝彦は顔の角度を変え、またひとつ口付けを落としてくる。眼鏡の輝彦も見てみたい、と幸人が言うと、彼は少し考える素振りをみせた。 「何か恥ずかしいんだよね。旅行の時は幸人が温泉行ってる間にコンタクト取って、裸眼で過ごしてたから」 「……っ、ん、って……あの時、裸眼だったのか?」  合間にキスが降ってくるので、話そうとしたタイミングで口を塞がれて声がくぐもる。少しねっとりと唇で撫でられ、腰の奥がじん、と疼いた。 「……浴衣姿の幸人なんて、ハッキリ見えたらどうなるか分からなかったし」 「え?」  ボソリと呟いた輝彦の言葉が聞き取れず、幸人は聞き返す。けれど、次々と降ってくるキスに意識を持っていかれ、舌まで入れられそうになってそれどころじゃなくなった。 「ん……っ」  逃げようと顔を背けると、輝彦の片手が幸人の頭を押さえる。ぬるりと入ってきた舌に自分の舌先をくすぐられ、幸人は小さく声を上げた。 「は……っ、ぁ……っ」  唇を合わせたり吸われたりする口付けとは違う感覚が、幸人を支配する。より深く入ってこようとする輝彦の舌は、幸人の舌や上顎をなぞっては唇を吸って離れていった。  これが、こんなにゾクゾクするなんて思わなかった。一気に身体の体温が上がったのを自覚して、吐く息も甘くなる。 「……て、てる……んむ……っ」  深いキスの濡れた音が、聴覚からも幸人を刺激する。いつの間にか幸人の息は上がっていて、息継ぎをしていても苦しくなる。そしてなにより、昨日のキスは輝彦の本気なんかではなかったと思い知らされた。もちろん、キスだけでこんなに息が上がるなんて経験は、初めてだ。 「……ふ……っ、う、……っ」  苦しくて小さく声を上げると、輝彦は幸人の唇を舐めて満足そうに笑う。その表情は口角が上がっているものの、目の奥には確かに強い欲情の炎が揺らめいていた。 「……気持ちいい?」 「わ、分かんな……」  不思議なことに、幸人は輝彦のその瞳から目が離せなかった。そして、もっと自分を求めている輝彦を、見てみたいと思ったのだ。普段から身体に巻きついている赤い糸のように、強く抱きしめて欲しいと思う。 「輝彦……」 「……っ、幸人?」  握っていた手を解き、幸人は自ら輝彦の首に腕を回した。温かい彼の体温はドキドキするけれど、少しだけホッとする。 「……ああもう……何これ……」  幸人の顔の横に顔をうずめた輝彦は、上擦った声で呟いた。そこまでするつもりなかったのに、と言うので、何をするつもりなんだと思っていると、輝彦が顔を上げた。その顔は赤く、少しだけ口が尖っている。不覚にも、ちょっとかわいいと思ってしまった。 「幸人のせいだぞ……」 「俺? なん……っ」  何で、と言おうとしたけれど途切れる。輝彦が幸人の頭を抱えて耳にキスをし、耳たぶを舐めたからだ。くすぐったさに肩を竦めると、今度はぱくりと噛まれる。 「……っ」 「大丈夫、痛いことはしないから……」  そのままの体勢で、そんなことを耳に吹き込まれた。そこで幸人はようやく、輝彦が何をしようとしているのか気付く。  彼は本当にキスだけで終わらせるつもりだったようだ。でも幸人が知らず知らずのうちに、煽ってしまったらしい。どうしてだろう、とやっぱり思うけれど、絶えず与えられる刺激にゾクゾクして、聞くどころじゃない。 「ん……、ふ……っ」  再び輝彦に唇を奪われた。ゆっくりだけれど深い口付けは、幸人の意識を沈めていく。舌を絡められ吸われ、開いた口から熱い息が出ているのを自覚し、戸惑う。恥ずかしくて深呼吸したいけれど、口を塞がれていてはできない。  苦しくなって輝彦に回した手をギュッと握った。頬を撫でられただけなのに身体が勝手にビクつく。くすぐったいような、それでいて甘い痺れを残す輝彦の愛撫は、やがて幸人の身体にハッキリと変化をもたらしてしまった。 「……っあ、輝彦……っ」  まさかそこも触られるのだろうか。幸人の戸惑いは大きくなり、思わず彼を呼ぶ。その声は切なげに上擦っていて、自分からこんな声が出るなんて、信じられなかった。 「……気持ちいい?」  顔を上げた輝彦も息が上がっている。キスとほんの少し撫でられただけで、こんなに身体が反応するとは思っていなかった幸人は、恥ずかしくて腕で顔を隠した。 「わ、分からない……」 「……そっか」  本来こういうのは、お互い触れ合うものではないのか。そう思うけれど、何をどうしたらいいのか分からない幸人は、ただただ輝彦にされるがままになるしかない。それなのに、輝彦も興奮している様子なのはどうしてだろう? 「幸人、手、出して」 「え? ……こう?」  幸人は素直に手を出す。輝彦はその手を取り自分の頬に当てた。彼は何かに感動したようで、泣きそうな顔で幸人の手を両手で握る。 「はあ……夢みたい」 「え?」 「女の子とはここまで心が動くことがなかったからさ、幸人とこうできるのが嬉しくて」  この状況で女性とのことを匂わせるか、と幸人は思ったけれど、それこそが彼が本当に求めていたことなのだと悟ると、悪くないと思ってしまった。友達も多い輝彦は、お付き合いしてきた女性の数もきっと多いのだろう。そして自分の性指向を認められるまでに、長い間葛藤していたんだな、と思ったら胸が熱くなる。 「幸人、……もっと触りたい。……いい?」  慎重に、丁寧に自分と向き合おうとしてくれる輝彦が愛しい。  幸人は両手を伸ばして彼の頬を包み、自分の方へ引き寄せた。

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