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40 鍋パーティー
次の日、幸人は起きてキッチンに行くと、母とばったり会った。家の中だから会うのは当たり前のことだけれど、昨日のこともあって何だか気まずい。
「おはよう」
「お、おはよ」
母はいつも通りを装っていた。そう感じたのは視線をすぐに外したからだ。やっぱり、そう簡単に気持ちの整理はつけられないよな、と視線を落とすと、「幸人」と呼ばれる。
再び視線を上げると、母はポットでマグカップにお湯を注ぎながら呟いた。
「……今度、恋人にも会わせてくれる? あなたが祥孝くん以外と仲良くなるの、私は望んでいたはずなのに昨日はごめんね」
視線は合わない。けれど母の背中を見て、母なりに理解しようとしてくれてるんだと思うと、胸が熱くなった。
「……うん。春休み中はたくさん会う予定だから、母さんにも会わせる機会があると思う」
そう言うと、そっか、と言って母は振り返った。
「ここのところ出掛けてること多かったものね。表情が明るくなったと思って」
そう言った母の表情は笑っている。けれど戸惑いはやはり隠せないようで、困ったような笑い方だった。
「そのひとは、幸人にいい影響を与えてるのね」
「……うん」
それなら安心した、と母はマグカップを持ってリビングに行ってしまう。変わらず見守るスタンスでいてくれるらしい、と幸人はホッとした。
朝食を食べ終わると、いそいそと出掛ける準備をする。向かう先はもちろん、輝彦の家だ。
まさか昨日の今日で、泊まりに来てなんてお誘いが来るとは思わなかった。母にどう説明しようとメッセージで相談したら、「みんなで遊びに行くでいいんじゃない?」と輝彦から返ってくる。
『まぁ、泊まりはあくまでついでで、みんなで鍋パーティーしよって話』
今朝起きたら泊まりのお誘いと同時に入っていたメッセージに、少しだけガッカリした自分が恥ずかしい。母に、今日はみんなで鍋パーティーしに行くから、ご飯は要らないしそのまま泊まる、と言うと、学生のうちにやりたいことやっておきなさい、と送り出してくれた。
電車に乗って輝彦の家の最寄り駅に着くと、彼は駅まで来てくれた。そのまま商店街で食材を買って彼の家にいく。
「お邪魔しまーす」
昨日も来たばかりの変わらない風景。けれどひとつ違うのは、部屋のローテーブルの上にカセットコンロが置いてあったことだ。
「今日は寒くて丁度よかったな」
そう言う輝彦は具材を冷蔵庫に入れたり、キッチンに置いたりしている。何か手伝おうか、と声を掛けたけれど、座っててと言われてしまい、仕方なくアウターを脱いで座った。
「ところで、今日は誰が来るんだ?」
幸人はキッチンで作業をする輝彦を眺めながら聞いてみる。知らないひとだったら気まずいし、と思ってハッとした。祥孝じゃあるまいし、輝彦が自分を孤立させるようなことをするだろうか、と。
食材を片付けたらしい輝彦は部屋に入ってきて、アウターを脱ぐ。その顔は笑っていた。
「朱里と七海」
「えっ?」
幸人は驚く。輝彦が彼女らに告白したあと、彼女たちがどうしたのかを聞いていなかったからだ。まさか、関係を続けられるとは思わず、嬉しさよりも戸惑いが勝ってしまう。
「だ、大丈夫なのか? 俺、朱里さんに大分嫌われてるけど……」
どうしよう、今からでも帰った方がいいかな、と幸人は呟くと、輝彦に止められた。
「帰らないでよ。むしろアイツら、幸人に話があるって今日のこと持ちかけて来たんだから」
「……うわぁ……」
これはまずいぞと幸人は思う。輝彦の目の前で別れろと言われるのか、輝彦が誰を好きか黙っていたことを責められるのか。どちらにしろ、彼女らが輝彦から離れろと言うのなら、別れる覚悟もしなきゃいけないのかな、なんて思っていたら、輝彦に顔を覗かれていた。
「幸人、何考えてる?」
「え、いや……」
輝彦が隣に来て腰を抱いてくる。回された腕がくすぐったくて身をよじると、逃がさない、とでも言うように一瞬で赤い糸が幸人の身体に巻きついた。
「俺、何でも教えてって言ったよね?」
「う……」
声音こそ優しいけれど、有無を言わさない強さがある輝彦の声。赤い糸も連動して幸人をどんどん巻き上げていく。
「く、苦しいから離して……」
「苦しい? 俺腰に手を回してるだけだけど?」
思わず糸について話すと、輝彦は不思議そうな顔をした。幸人は輝彦の糸がいま、どんな状態なのかを説明すると、彼は苦笑する。
「触れないけど、精神的に締め付けられてる感じなのか……」
そして少し考えたあと、輝彦は頷いた。
「うん、合ってる」
「合ってる、じゃないよ。普通はこんな動きしない……」
「じゃあ、俺だけ特別なんだ?」
輝彦の顔が近付いて、軽く唇を吸われる。どうしてこう、自分の都合のいいように捉えるのか、と彼を軽く睨んだ。
でも、本当にその通りだと思う。彼は本音を隠していた分、心の中ではかなり激しく叫んでいるんだろうな、と。そしてそれは、本音を隠しすぎて自分でも気付かなくなっていた幸人と、似ているような気がする。
「……特別だったよ、最初から。輝彦の好意は初めから大きかった」
爽やかな顔をしているのに、こんなに激しい感情を持っているんだ、と思った。けれど最近は、その想いの強さと言動が一致してきている気がする。
すると輝彦は幸人から腕を離し、両手で顔を隠してしまった。どうしたのかと聞くと、かわいい、とだけ返ってくる。どうやらまた、彼のツボを押してしまったらしい。
「もー……問いただしてチューしまくろうかと思ったのに……くそ……」
そしてそんなことを言うものだから、幸人はかあっと頬が熱くなった。ここで朱里たちの気持ち次第で別れようかと思っていたなんて、言ったらどうなるか……考えるだけで恐ろしい。
するとインターホンが鳴った。心の準備ができていない幸人はどうしよう、と慌てたけれど、立ち上がった輝彦は振り返って微笑む。
「大丈夫。幸人が心配してることは起きないよ」
そう言って、彼は玄関へと向かっていった。
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