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第44話 変化
そっと輝彦の背中を撫でると、彼は息を吐いて抱きついてくる。広い背中を何往復か撫でたあと、意を決して左手を輝彦の前に持ってきた。
「あ……」
輝彦が微かに声を上げる。幸人が触れた所には確かな存在感を放つものがあって、その硬さと熱さになぜか幸人がゾクゾクした。
(すごい……)
今にも暴発しそうなそこは、輝彦の余裕のなさで本当に限界なのだと知れる。彼を満足させられるかは自信がないけれど、と幸人はそこをパンツの上から撫でた。
「……っ、幸人っ」
切なげに声を上げた輝彦は、幸人の手を取ってそこから離してしまう。
「ごめん落ち着くから。やっぱちゃんと幸人としたい」
そう言われて、これはちゃんとのうちに入らないのだろうか、と幸人は思った。ふう、と息を吐いた輝彦は幸人から離れ、苦笑する。
「暴走して、幸人に痛い思いをさせたくないから……」
痛い思い? と幸人は首を傾げた。昨日みたいな触り合いのうちに、力が入ったりするからだろうか、なんて考えていると、先にシャワー浴びてきて、と彼は一度部屋に戻り、着替えとタオルを渡してくれる。
「あ、下着……」
さすがに下着までは借りられない、と部屋に戻ろうとすると、輝彦に止められた。
「それ、新品だから大丈夫。……ゆっくり入ってきて」
幸人はまた顔が熱くなる。今日の為に急いで下着を新調してくれたのかと思ったら、恥ずかしくていたたまれない。これじゃあまるで、そういうことをするために泊まりに来たみたいじゃないか。
振り返らず部屋に戻る輝彦を見て、初めてキスをした時を思い出した。祥孝からの電話に邪魔されて、輝彦は今みたいに苦笑しながらその場を離れたっけ、と思う。
「……っ」
つまりはあの時も、暴走しそうなのを止めていたということだ。
自分はギリギリなのに、いつだって輝彦は幸人を尊重してくれた。まさに今も。
それは、祥孝にいいように扱われていた幸人にとって、新鮮なことだし、嬉しいことだった。輝彦はそれを知っているからこそ、彼は慎重になっているのかもしれない。
そう思ったら、輝彦の気持ちに応えたい、と強く感じた。彼の想いの大きさに、自分が追いついていない自覚があるからだ。
「よし……」
幸人は手早く服を脱いで浴室に入ると、念入りに身体を洗う。そういうことをするために身体を洗うのはやはりいたたまれないけれど、輝彦のためだと気合いを入れる。
汗を流してさっぱりすると、清々しささえ感じた。でもこれからまた汗まみれになるんだよなぁ、と考えかけて首を振る。いやだから、そのためにここへ来たんじゃない、と思い直した。
「輝彦」
輝彦のシャツとパンツを着て部屋に戻ると、彼はテレビを観ていた。幸人を見ると笑顔になったので、どうやらいつも通りに落ち着いたらしい。
「ああ、念願の幸人の彼シャツ拝めた……」
「……これにそんなに価値があるとは思わないけど……」
どうしてか感動している輝彦の隣に、幸人は座る。体格差が少しあるので、袖も裾も少し長くて折り曲げて着てみたのだ。しかし彼は、その折り曲げた部分を伸ばしてしまう。
「ダボダボなのがいいんだよ。長い袖から覗く爪先」
「……」
彼のフェチズムは理解できなかったけれど、輝彦が笑っているならよしとしよう、と幸人は輝彦からの軽いキスを受け入れる。
「あ……」
そういえば、片付けなきゃと思っていたのに、ローテーブルの上は綺麗にものが無くなっていた。幸人がシャワーを浴びているうちに、輝彦が片付けてくれたのだろう。
「ありがとう。俺も片付けやったのに……」
「いいって。心頭滅却するには家事が一番……」
俺もシャワー浴びてくる、と輝彦は立ち上がる。テレビは好きに観ていていいと言われ、幸人はローテーブルのそばの床に座り直すと、輝彦は浴室へ向かった。
幸人はリモコンを持ってチャンネルを変えてみる。けれど面白そうな番組はなく、テレビの電源を消した。それならスマホを、と取り出すけれど、しばらく画面をスクロールして、結局ローテーブルに置いた。
はあ、と大きく息を吐き、膝を抱えて顔を伏せる。
──やっぱり落ち着かない。今からこの状態なら、輝彦が戻ってきた時はどうなるんだろう、ともう一度息を深く吐き出す。
「こんな時でも、腕から糸は外れないもんなぁ……」
膝を抱えた腕には、赤い糸がぐるぐると巻いていた。離さない、とでも言うような執着心と独占欲……けれどきちんと幸人を尊重してくれる。一見相反する感情のようだけれど、人付き合いの基本はきっとこれのような気がする。
(正しく好き、を伝えるって難しい)
逆もまた然りだ。幸人はずっとそれを避けてきたから、今後はそういう問題とも向き合わなければならないかもしれない。
嫌われそうだから言わない。傷付きたくない、傷付けたくないから言わないじゃ、深い人間関係は成り立たないのだと、輝彦を見ていて思った。
輝彦が幸人の言葉で影響を受けたと言ってくれたように、幸人も輝彦の存在で変わりつつある。何より祥孝から離れられたのが一番大きい。
そう思うと、やっぱ好きだなぁ、いいなぁ、と胸が温かくなるのだ。
「……やっぱり、一緒に風呂入ればよかったかな……」
そう呟いて、幸人は自分の発言の恥ずかしさでまた顔を伏せたのだった。
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