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49 番外編 未来はきっと幸せで輝かしい
この日、有栖川幸人は落ち着かなかった。何度もスマホ画面を確認し、そのついでに自室の窓から外の様子も確認する。部屋の中を意味もなく歩き回って、緊張を紛らわそうとしていた。
そう、幸人は緊張していた。それはもう、今までにないくらいに。
先程、輝彦から最寄り駅に着いたと連絡があった。だから彼はもうすぐ幸人の家に着くはずだ。
「ああああ、何やってんだろ、俺……」
ボヤいた声は上擦っている。今日の幸人は普段着だけれど、少しカッチリした印象のある服を着ていた。
輝彦が、家に来る。それはいつか母と約束した、恋人と会わせるということになる。ご挨拶をするならそれなりの格好がいいよな、と言った輝彦と合わせて、幸人もそれなりの格好をした。準備は万端だが緊張で心臓が口から飛び出そうだ。
輝彦と付き合い初めてから三ヶ月。季節はあっという間に流れて夏の訪れは目前だ。春休み中に会わせる機会があると思っていたけれど、朱里や七海からも遊びに誘われたりして、結局今日までできずじまいだったのだ。
するとスマホが震える。輝彦かと思って見てみると、画面にはかわいいイラストのスタンプが押されていた。
【幸人頑張れ!】
【上手くいくようにウチら新作飲んで待ってるから!】
朱里と七海だ。コーヒーショップの新作と、幸人たちの挨拶が上手くいくのと、どういう関係があるのか分からないけれど、おかげで笑えて緊張が少しほぐれる。輝彦と四人のグループチャットも、毎日のようにしていて楽しい。
(ありがとう)
そう返信しようと思ったら、輝彦から【着いた】とメッセージが入った。幸人は慌てて階下へ降りる。
「父さん母さん、来たよ!」
玄関へ行く道すがらそう声をかけ、幸人はドアを開けた。外はあいにくの曇り空だったけれど、輝彦は相変わらず爽やかな笑顔で幸人を見下ろす。
輝彦は白のカッターシャツにベージュのパンツを穿いていた。元々体格がいい輝彦だけれど、夏服になるとそれがさらに際立って、幸人はドギマギしてしまう。
「い、いらっしゃい……」
「幸人、今日はよろしくな」
そう言った輝彦の糸は幸人の腕を巻き上げた。その上頬やら頭やらを撫で始めたので、どうやら輝彦も幸人の服装を気に入ってくれたらしい。
中に輝彦を案内し、リビングへと入る。続き部屋のダイニングテーブルで、幸人の両親は待っていた。
「こんにちは。今日はお時間を頂き、ありがとうございます」
さすが輝彦、完璧な笑顔に完璧な切り出しだ。彼は自己紹介をすると、両親も笑顔で挨拶を交わす。座って話そうと促されて席に着くと、父は苦笑した。
「幸人、お前が一番緊張しているな」
「だ、だって、友達が家に来るのも滅多にないし……」
「友達? 私は恋人って聞いてるけど?」
からかうように入ってきたのは母だ。麦茶をグラスに注ぎ、輝彦と幸人に出してくれる。輝彦は笑顔で礼を言い、すぐに断ってそのお茶に手を伸ばす。
「すみません、緊張で喉が渇いてて……」
「ふふ、こんな場面を見ることになるなんて、思いもしなかった」
母は笑った。どうやら母の中では、輝彦は合格点らしい。ホッとした幸人は、輝彦がお茶を飲み終わるまで待つ。そして、母がお茶のお代わりを注ぎ、麦茶ポットを冷蔵庫に入れたのを確認し、今日の目的を切り出した。
「父さん母さん、この人が、お付き合いしてる輝彦。大学の同期」
幸人の言葉を両親は笑顔で聞いている。事前に話は軽くしてあるけれど、緊張して上手く話せるか不安になってきた。けれど、腕に巻きついた輝彦の赤い糸が、頑張れ、と言っているようで背中を押される。
「まだ学生だし、どんな社会人になるかもハッキリと決まってないけど……」
そう言うと、両親は笑顔のまま目を伏せた。分かってくれているだろうけれど、両親も緊張しているのだろうか、と幸人は拳を握る。
「社会人になったら、輝彦と一緒に生きていきたい。今日は輝彦の紹介ってことで時間もらったけど、俺 た ち が今後どうしたいか、聞いて欲しくて……」
うん、と父は頷く。
学生の身であるうちに、一人暮らしの輝彦の家に入り浸ることもできた。けれどそれだと、両親にはあまり良い印象を与えないよな、と輝彦と話し合ったのだ。そして出た答えが、きちんと公認の仲にしてもらうことだった。
どちらからともなくこの話が出たのは嬉しかった。幸人は時間さえあれば輝彦の家に行っていたし、輝彦もまた、ずっと一緒にいたいと言ってくれたからだ。
けれどそうなると、色々と考えなければならないこともできる。輝彦の家は単身用だし、新たな住まいを探さないといけなくなった。それなら、パートナーシップ制度を利用して家族になるか、という話まで出てきたのだ。
年齢的に成人したとはいえ、金銭的にも社会的信用度的にも、学生だと色々不利になる。
「……と、いうことで考えた結果、社会的基盤ができたあとがいいよなって話になって。家を借りるにも保証人がいるし、ちゃんと父さんたちに認めてもらおうと思ったんだ」
「そうか……」
父がそう呟くと、ふふ、と笑い声が聞こえた。笑ったのは母だ。
「幸人、ちゃんと考えてたの?」
「そりゃあ……。今だって、ふざけんな! って言われるのが怖いよ」
できるだけ誠実に、と二人で考えた答えだ。まだ卒業まで丸三年はある。熱に浮かされた子供の戯 れ言だと、言われる覚悟もしていた。
「本当は、社会人になってから話した方がよかったのかもしれないけど、母さんに輝彦を紹介するって約束もあったし……」
「いつでもよかったのに。……でも、そうね」
母は微笑みながら答える。
「幸人が自分から紹介したいって言ったのは、初めてだったから……二人の仲は疑ってないわ」
「う……」
そう言われると恥ずかしい、と幸人は俯く。でも、母のおかげで堅苦しい雰囲気にならずに済んでホッとした。
「それで? 輝彦くんのご両親は何て言ってるんだ?」
黙って聞いていた父も口を開く。幸人は輝彦に視線を送ると、彼は説明した。
「うちは両親が離婚していまして……。父とは連絡が取れるのですが、概ね賛成してもらってます」
輝彦の両親は、年度が変わってすぐ辺りに離婚した。輝彦に彼の母親の素行が怪しいと言われた時、糸がどうなっているのか聞かれたのだ。
幸人は迷った。話せば輝彦の家族がバラバラになってしまう、と。けれど輝彦はこう言ったのだ。今の状態が苦しいから解放されたい、と。家族、そして妻という立場を利用する母親が、好き放題やっているのをもう見たくない、と。
幸人は驚いた。今まで自分の能力は、惹かれ合う者同士を結ぶことしかできないと思っていたからだ。けれど輝彦の話を聞いて、壊すことで救われるひともいるんだなと感じた。それなら、と幸人は輝彦に、彼の母が不倫していることを告げる。輝彦はすぐに動いた。結果は今しがた言った通りだし、幸人がしたことの是非は、輝彦が笑っていることが答えだろう。
「それなら、僕たちからも言うことはないよ」
「え……」
父の言葉に幸人は思わず聞き返すと、父は苦笑した。
「逆に何を言えばいいかな? 頑張りなさい、とか?」
幸人がそう決めたなら、親としては見守るしかないよ、と言われて、そもそもの話、と幸人は声を上げる。
「輝彦との仲を認めてくれるの?」
「認めるも何も、僕たちは幸人の味方をするって言ったじゃないか。ただ……」
将来のことまで考えているとは思わなくて、成長したんだなぁ、と思った、と言われて、幸人は顔が熱くなる。
「しっかりしたひとみたいだし、幸人が足を引っ張らないか心配だよ」
「……そこは、まぁ……頑張るよ……」
「幸人が決めたひとだからね。振られないように頑張りなさい」
「母さんまで……」
幸人は恥ずかしくて肩を竦めた。隣の輝彦も、クスクスと笑っている。
大丈夫、ここにいるのは幸人の絶対的な味方だ。そう思えることが嬉しかった。
しばらく世間話をして、長居をするのも、と輝彦が席を立つと、幸人は駅まで送るよ、と二人で家を出る。両親との別れ際に「またいつでも遊びに来て」と母に言われた輝彦は、綺麗な笑みを浮かべて「はい!」と答えていた。その時の輝彦の糸の暴れようはすさまじいものだったけれど。やっぱり面の皮が厚いな、と幸人は笑う。
「幸人」
駅に着くと、輝彦に手を握られた。こんな往来で、と思わず辺りを見回したけれど、ひとはあまりいなくてホッとする。
「ありがとう。……今度は、俺の親父にも会ってくれる?」
「もちろん」
幸人は即答した。かつて輝彦が、幸人を裏切らないと言った時のように。してくれて嬉しかったことは、これからもどんどん返していきたい。
輝彦は綺麗な笑みを浮かべると、その顔を近付けてきた。咄嗟のことで動けなかった幸人は、そのまま輝彦のキスを受け入れてしまう。
「ふふ、幸人かわいい……」
唇が離れたあと、外でこんなことをするな、と幸人が怒ったのは言うまでもない。
[番外編 完]
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